このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です

  私の日記

  8月19日(日)               晴
  =<移動日>=========================
  ・ イシクル湖
博物館
  チョルポンアタ 11.30(乗り合いタクシー)→13.15 バクチル(大型バス)
  → コチコル

                          
コチコル
  ===============================

    深夜

    斜向いのベットには若いカップルが眠っていて
    私は子供用のベットで寝ている

  7.40 起床
  パソコンを開けるわけにもいかず、リュックをまとめて外に出た。
  このまま、食事ができて博物館を見学したら戻るつもりだ。今は、
  露天でフルーツミックスジュースとポテトチップスを買い、オープ
  ン前のレストランのテーブルを借りて日記を書いている。

    <朝食>
    ・ パン
    ・ チャイ
    ・ 両者とも旨いので満足

  
  (上:部屋を貸してくれたおばあちゃんと記念撮影)


  それから博物館へは歩いて行ったんだけど、予定の距離を過ぎてもない。
  おかしいなあと思っていると、ビシュケクから父母のレストランの手伝
  いに来ている女子大生が声をかけてきた。

  「どこに行くんですか?」
  「博物館です。」
  「それなら反対方向です。石に絵が描いてある博物館でしょ。」
  「いいえ、この地図にある『イシクル湖博物館』です。」
  「そんなの知らないわ。でも、現在位置はここだから反対方向に歩いて
   いるわよ。」

  彼女は友達と2週間の予定で『遊び』と『手伝い』に来たが、ここ数日
  連続して雨が降ったので友達が先に帰ってしまったらしく、ちょっと可
  哀想。(彼女、かわいかったなあ)

  それから、その辺に止まっている車に「タクシー?」と声をかけると、
  タクシーでもないのに「タクシー」に変身して走り出した。博物館あた
  りに来ると、運転手の奥さんが「ここよ。」と言って教えてくれた。建
  物は、そこら辺にあるものと同じなので、歩いてきても通り過ごしてし
  まったろうな。
  
  9.40 博物館
  入場料25スム(受け付け女性の財布に入っちゃったけど)を払い、
  中に入る。綺麗に展示してある。一見の価値はあった。
  

  (上:博物館内にある写真)
     これってイシクル湖なのだろうか、水が澄んでいる

  
  (上:昔の写真)

  
    場所: 大きいバザールと小さいバザールの間
    開館時間: 9.00- ?

  ===

  
  (上:ビールで乾杯)
   私は乾杯したくないんだけど、朝から酔っぱらっているカザフスタン人
   カップル2組捕まった。彼らとは夕食の時に知り合ったんだけど、2組
   とも不倫しているようで、自家用車に乗って遊びに来ている。金持ち。
   だから、私のような珍客とビールを飲んで、帰ってから話のネタにする
   んだろうなあ、、、(写真も撮られたし、、、)朝から会話も弾んでい
   ないし、、、

  11.20 タクシーで長距離バス乗り場へ
  11.30 乗り合いタクシー出発
  13.15 バクチル発
  13.45 コチコル着
  14.00 チェックイン

    
    とても暖かく迎え入れてくれた
    私が約束した通りに帰って来たからだろう
  
    玄関を入ったとろこで、
    アデレット婦人と子供達が絨毯を作っていた(写真上)

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  18.00 バーニャ(公衆浴場)
  アデレット婦人が予約しておいてくれた。息子のサマットに道案内を
  させたり、洗面桶を用意してくれるなど至れり尽せりだ。料金につい
  ては、「15ソムだよ。ツーリストだとぼったくるんだ。」と言って
  わざわざ現金を出して確認してくれた。ぼったくるジェスチャーをし
  て笑った。

  バーニャに行く途中(100mも離れていないんだけど、)ツアーコー
  ディネイターのウルマットに出会った。前から頼んでおいた「英語の
  話せるガイド」については、まだ手配できていないと言うし、バーニ
  ャの料金については20ソムに値上げしたと言うし、ちょっと信用でき
  ない感じになってきたので、計画と料金をしっかりしておかないとト
  ラブルになるから、しっかり確認しよっと。他のツーリストも「英語
  の話せないガイドとトラブルになる」と言っていたけど、何だか計画
  的なトラブルのような気もするので、誰に料金を支払うのかも、しっ
  かり確認しなくてはね。バーニャについては、3人ぐらい同時に入れ
  る広さがあったけど貸しきり状態だった。
  

  (上:バーニャの中)
  

  20.00 夕食
  

  ・ 羊肉ラーメン(ニラを入れて臭みを消した)
  ・ チャイ
  ・ きゅうりとトマトのサラダ
  ・ この他、いろいろ

  20.30 ウルマットと
  「通訳にいくら払う?」と聞かれてもそ
んな話は初耳だし、「いらな
  い」と断った。それから、彼はウズベキスタンとキルギスの物価につ
  いて細かく質問してきたので、答えてやった。
  
<例>
  キルギスにはブラックマーケットがない(レートが同じ)
  ウズベキスタンの公定レートと闇レートには3〜4倍格差がある
  ウズベキスタン『スム』:キルギス『ソム』 =20:1
                       =100som:5com(闇)
  実際の物価(パン)については、ほとんど格差がない
  フルーツは、気候の関係でウズベキスタンの方が安い
  タクシー料金も同じ。40km= 2000som= 100com= 2.5com/km
  カーペットも同じ(1.2m×5m)1500com=45ドル
  椅子のカバー(0.5m×0.5m)200スム=4ドル=1週間の仕事

  ここに及んで、学校の先生の給料になったが月収10〜30ドルなので、
  やっぱり日本の1/100だ。想像していたより格差は大きい。

  22.30 アデレット婦人と
  もう寝ようかなと歯磨きにいったら、婦人と近所の人との3人で
  長い話をすることになった。内容はウルマットとほとんど同じだけど、
  彼女達の方が日本により強い感心を抱いていた。みんなへとへとにな
  るまで話し合い、ついに力つきて寝た。

  23.30 消灯

  

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8月20日

 

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