このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です

  私の日記

  8月20日(月)          快晴
(キルギスに入国して初めて)
  =<ソンクル湖>======================
  ソンクル湖観光
                          コチコル泊3
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  3.20 起床
  身体が冷えて起きる。体調が悪いのか、思うことが多すぎるのかわ
  からないけど、アデレット婦人の用意してくれた懐中電灯を持って
  部屋の扉をゆっくり押した。音が出ないように注意したけど、ぎぎ
  い。次の部屋は真っ暗なので懐中電灯のスイッチを入れ、明るすぎ
  ないようにレンズを手で覆った。次の扉も音が出ないようにしたか
  ったけど無理だった。婦人と家族の寝ている部屋の扉は開いていた
  ので、私の足音で目をさました人がいるかもしれない。その次の部
  屋は電気がついていた。ここは昼間、家族が集まりカーペットを作
  っていた部屋だ。夜になると電気の供給がストップするからと言わ
  れていたけど、こんな時間なのにまだ電灯がついているから大変助
  かるし、防犯にもなる。さて、最後に玄関を開ければよいのだが、
  フック式の鍵が掛かっている。一旦扉を手前に引っ張ってから、上
  に持ち上げた。とても硬くて開かない。もっと、手前にひかなけれ
  ばならない。ドンと音を発てしまってからでは遅いので、右手に持
  っていた私のサンダルを一旦下においてから両手で力一杯ひっぱっ
  た。サンダルが家の中にあるのは、盗まれないように? あるいは
  雨が降った時濡れないようにしまっておいてくれたのだろう。外は
  満天の星だったけど、まず、トイレ。中庭を通り、つっかえ棒を外
  して外庭にでた。さらに、15メートルほど歩いて行くと、手入れ
  されたトイレがあるのだが、私はヤギ小屋の隣で空を見上げながら
  用を足した。天の川、白鳥座と夏の大三角とカシオペアとなんだか
  わからない細かな星達の二等辺三角形とスバルが見えた。星達をつ
  ないで、自分で星座をつくってみた。そんなことしたことないのに、
  勝手に作りはじめた。できたのは、スペースシャトル座。さっきの
  良く分からない細かな星達を頭にして、ちょっと曲った宇宙船がで
  きた。星座の名前を知らないから出来たのかも知れない。寒さは忘
  れていた。というか、本当はトイレに行く必要もなかったし、寒く
  もなかったのかもしれない。心の空白が私を戸外に誘ったのだろう。
  寝る前、ジャミイラ婦人とグルさんと話をしていたが、彼女達は自
  分達はプアーだと言っているけど、日本の平均収入と比較するとそ
  うだけど、良くわからなよ。月収20ドルだというから、私の1/100
  に満たないけれど、私とは比較にならならい、それこそ100倍以
  上も裕福な大きな家に住んでるし、家畜もいるし、広い広い庭も、
  離れも、曾おばあちゃんが作った大きなカーペットは今でも美しく
  輝いているし、テーブルセットも上品だし。唯一、婦人が可哀想な
  のは、ご主人と離ればなれに暮らしていることだ。彼は首都ビシュ
  ケクで単身赴任で働いているらしいけど、どうしてそんなことをす
  るのだろう。ここで、おじいちゃんやおばあちゃんが残してきたも
  のを、ゆっくりと成長させて行けば幸せなのに、どうして僅かなお
  金のために家族離れて暮らすのか。(結婚していない私がいうのも
  変だけど)僕には分からなけど、キルギスに大きな時代の波が押し
  寄せているのは確かだ。しかし、もっと昔の話をすれば、チンギス・
  ハンに代表されるように、一夜にして消滅した街(生命)もたくさ
  んあるわけだから、急激に感じる社会変化はいつの時代も同じよう
  に起っていた。日本も激動だよ。私は第2次世界大戦を知らない西
  暦1962年に生まれたけど、学校教育ではかなり難しい内容まで
  教えれ、その結果?独身を選択して海外を国々を旅するチャンスを
  与えられている。これは私の時代にとっては平均的なことだけど、
  世界の国から見ても日本国内からみても特殊な時代的条件だと思う。
  もう少し早く産まれてきたら、日本は経済成長のまっただ中だし、
  遅くかったら世界との経済格差が縮まって金銭的に不可能になる。
  だけど、こうした時代的変化は宇宙スケールで測ってみると、旧石
  器時代が新石器時代になったよりも微々たるもので、人類が地球外
  に生活するようになっても、それは激動でも微々たるものなく、
  必然から産まれた必然に過ぎない。

    5.10 消灯
      ↓
      7.50 起床


  8.00 朝食

  8.50 ソンクル湖へ出発
     このとき、
     2泊3日(馬に乗っての)湖畔巡りが、トンだ口論で
     終止符を打つとは夢にも思わなかった。

  → とりあず、出発しましょう(クリック)

  17.40 タクシー乗り換え
  「900ソム払え」と言われていて、そうするしかなかったけど、途中
  の村で降りることにした。タクシーの乗り換えればいい。50km乗っ
  たから450ソム払い、向こうに見えるタクシーに声をかけてみた。
  「満車なのでダメ」

  しばらく待っていたら、スイスから卒業論文の研究にきている学生
  3人に出会い、一緒に車を探してくれることになった。車を持って
  いる人に声をかけた。
  「酒を飲んでしまったからダメ」
  「今日は私の家に泊まり、明日帰りなさい」
  など色々だったが、結局、350ソム払って車をチャーターすることに
  なった。あのままタクシーを乗り続けた場合と100スムしか変わらな
  かったけど貴重な経験が出来たし、浮いた100ソムでアデレット婦人
  にお土産の果物を買っていくことができる。

  19.40 アデレット邸
  いつもの笑顔が待っていて、帰ってきて良かったと思った。それから、
  今朝まで何もなかった中庭に、ユルタの木組みが出来上がっていた。
  1日でできてしまうので驚いた。

  20.20 バーニャ
  帰り道、西の空に細い細い月が見えた。

    ソンクル湖で見たら神秘的だろうなぁ
    鏡のような湖面を舞台に
    月影は黄く蒼く語り
    ゆっくりゆっくり夜の帳
とばりが幕を降ろす
    あるいは、
    さざ波の中に銀色に輝く月が揺れ
    ステージは深い碧から暗黒まで熱湯のように変化してゆく
    と空想する。

  20.50 夕食
  

 (上: トマトとジャガイモのサンドに、羊乳をかけたもの)
    非常に美味しい
    奥には、パン粉を錬って揚げたもの

  
  (上:羊肉ラーメンも出て来た)

  21.30 消灯
  夕食を食べ終えると睡魔が襲い、歯磨きもせず部屋の扉を閉め電気も
  消さずにベットに潜り込んだ。

  

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8月21日

 

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