このページは、旅行記『中央アジア2001夏/taka』です

  私の日記

  8月22日(水)      晴
(コチコル)→ 曇り(ビシュケク)
  =<コチコル→ ビシュケク>=================
  ・ カーペット購入
   コチコル13.10(乗り合いタクシー)→ 17.00 ビシュケク着
  ・ ムツ百貨店
  ・ 鉄道駅『ビシュケク2』

                   ビシュケク泊
  ===============================

  1.15 寝ようかな
  と思っているけど、どこの国も同じで、金に心を奪われた一部の人
  のために多くの人々苦しんでいるのを見るにつけ、金はいらないと
  思う。どこの世界にも誤差や乱れは生じるから、それに負けないよ
  うな知恵を生み出すことが必要だけど、その知恵に対してまた誤差
  や乱れが発生して苦しむ人々がでてくるのだから、そのくり返しを
  楽しむ術が必要になる。さてと、これから防寒対策を整えてトイレ
  と星空への旅にでかけよう。


  5.10 外で
  ビーナスとシリウスが明るさを競い、オリオンを見た。残念なこと
  に天の川は消えていたけど、夜は終わることを知った。

  8.10 起床
  8.30 朝食
  フランス人カップルと美味しい食事をしているところへウルマット
  がやってきて、フランス人と討論会を始めた。不味い食事になった。
  その後、一昨日のタクシードライバーがやってきて、また論争が始
  まった。消化も悪くなって、気分が悪い。このまま討論を続けても
  何も起らないのは知っているけど、やっぱり何も起らなかった。気
  分が悪くなっただけだ。ドライバーとウルマットは一応満足して帰
  っていったけど私には何も残らない。私は何をやっているんだ。ま
  るで、日本で仕事をしているかのようだ。そこに何か探すことが必
  要かも知れないけれど、私は他にできることがあるし、自分にとっ
  て楽しく、かつ、多くの人のためになる仕事ができる。それをしな
  くてどうするんだ。目前の苦しんで助けを求めている人を外ってお
  くことは辛いけど、そうしなければならない時が来たのかも知れな
  い。

  11.00 激論の末の時間がこれだから、無意味のように思うけど、
  あとから振り返った時に彼の顔を思い出すだろう。若さゆえの思い
  込みも激しいが、この国やこの土地の若さもある。しかし、大切な
  のは観光客や金ではなくて自分達の生活であることを忘れてならな
  い。絶対に金もうけをしてはいけない。身銭を切らなければ、何事
  も身につかないの同じように、泡銭は真面目に働く人々の心を蝕む
  疫病であり、感染から発病まで1分とかからない。まるで、沸騰し
  た水が鍋から吹き出るかのようである。伝染力は極めて強く、耳か
  ら空気感染するだけでなく、どんどん病原菌としての抵抗力を強め
  ていく。末期患者の場合、自分を正当化するために金以外に虚言、
  狂言をばらまくので極めて危険であり、さらに、未熟な人間が興味
  関心を持って近付き癒着するので、治療は困難を極める。

  12.30  カーペットを買う
  とっても淋しいけれど、今日でこの家ともお別れ。アデレット家の
  みなさん、さようなら。感傷に浸っていても終わらないから荷物を
  まとめ、不要になったもの、プレゼントしたいもの、散らばった紙
  幣を分別した。ソンクル湖のために買った靴、セーター2枚の他、
  ろうそくなど細々としたものをプレゼントした。そしたら、ジャミ
  イラ叔母さんが手作り座布団をくれた。嬉しい。実は、湖ツアーに
  準備していた金が余ったので、(座布団)絨毯を買おうと思ってい
  たところなのだ。しかし、僕の欲しいのは赤と緑で目がちかちかす
  る大きなものなので、暫くしてからグルに頼んだ。
  「この床にあるような立派な絨毯はありませんか。」
  「ジャミイラが持っているかも知れないから待っていて。」
  15分ぐらいすると、グルが大きな絨毯を持ってきた。丁寧な仕事
  で1年かかったそうだ。持って帰るには大きすぎるの躊躇したが、
  買うことにした。料金は分からないけど、アデレット婦人が丁寧に
  畳んで袋に入れてくれた。玄関に出てから料金を訊ねると、3200ソム。
  「高くてご免なさい。」と言っているけど、私は言い値を払った。
  高いか安いか分からないけど、ビシュケクの土産物屋では絶対に売
  っていない上物だし、ツーリストなら10倍価格でも買いたい品質だ。

  
  (上:食卓にて)
     左からアデレット、サマット、ジャミイラ、私、グル

  
  (上:アデレット邸前から南を望む)

  
  (上:バザールまでタクシーで)
     大好きなアデレット婦人の隣で御機嫌

  13.10 コチコル発
  アデレット婦人が、バザールまでタクシーで送ってくれただけでなく
  安い値段でビシュケク行きのタクシーを見つけてくれた。お陰で、ビ
  シュケクのホテル前まで苦労無しで到着した
  ・ 120ソム

  17.00 ビシュケク着
  17.01 ホテル『サリチェレ』
  ・ 水シャワー付きダブル
  ・ 300スム

  17.30 ムツ百貨店
  歩いてくる途中、ホンダ『プレリュード』がタクシーの看板を乗せて
  停車していた。15年前に乗っていた車なので懐かしくて近寄ると、
  車のキーを差し出して「運転しろ!」と言われた。さて、百貨店は
  「雑貨店の集まり」以上に立派で、綺麗に化粧した売り子で華やいだ
  気分。1階から3階までつぶさに見て回った。私が買いたかった物は
  『使いきり洗濯粉』なんだけど、売っていない。そうだよね、ここは
  今までのバザールとはひと味違うから。それから、店内で20ドル両
  替えしたけれど、外のレートと比較したら少々悪いのでショック。
  (外:47.7、内:47.2)

  外に出て、国際列車の切符を買おうと歩き始めたが、腹が減って動け
  なくなったのでハンバーガーを食べる。写真を見て1番美味しそうな
  のを注文したので、1番高額料金を出したらお釣がいっぱい返ってき
  た。いい人作ったハンバーガーは美味しかった。

  18.40 鉄道駅『ビシュケク2』
  


  カザフスタン『タラズ』行の国際列車の切符を買おうとしたが、運行し
  ていないんだって。それは仕方ないことだけれど、その時の駅員との会
  話を聞いていたタクシー運ちゃん達にまたまた取り囲まれたけど、彼等
  は相当な重傷患者だった。タラズまで「100ドル」って言っているんだ
  から、、、真面目に働く人の半年以上の給料だよ。日本に当てはめれば、
  400万円。そんなのが1日で稼げるわけないんだけど、1年に何回かは
  払ってしまうツーリストがいるから病気が蔓延して治らない。

  20.00 夕食
  ビシュケクの街は公園みたいで、ビールを飲んでみたい場所が一杯ある
  けど満席なので、いつものレストランまで歩いてしまった。ここは美味
  しいものが期待できるし、、、
  

  ・ 生ビール 2杯
  ・ 海藻サラダ
  ・ 162ソム

  21.00 消灯
  寝てからまた電話がかかってきた。チェックインしたときも掛かっ
  てきたけど、「レディー、レディー」と言ってくるだけだから無視。
  このホテルは以前売春宿だっと書いてあったけど、今でもそうです。
  壁はピンクに綺麗に塗り直し、カーテンも真新しいピンクのもので
  天井の白とのコントラストが清潔だけど、ピンクに理由がある訳だ。

  

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8月23日

 

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