このページはイタリア旅行記 2001冬 です |
私の日記
2002年1月1日(火)
(快晴)(晴れ)(くもり)(雨)
==◎ ベネチア→ ミラノ=================
・ サンマルコ広場で新年を迎える
14.00 ベネチア(鉄道)→ 17.00 ミラノ
ミラノ泊1
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 左の写真は、ベネチア『サンマルコ広場』の新年の様子です。30分前から、バンバン爆竹の量が増えてきて、5分前から打ち上げ花火が始まりました。だたし、日本の花火大会とは違い、個人で打ち上げているので規模は小さく、とっても危険。人壁の後ろにいた私の足下にも、何回か飛んできました。 |
新年の鐘と同時にシャンパンが開き、酔った若者達が振り掛けるので逃げまどった。
もしかして、何年か前に経験したように、近くにいる人達(おじさん)と頬擦りして
お祝いするのだったらどうしよう!!と心配していたけれど杞憂に終わり、ほっとし
ている。
熱いキッスはそこらじゅうで随分前から始まっていた。もう、滅茶苦茶になっていて、
勘違いもいっぱいできていた。短い歴史と長い歴史がこれから始まってしまうけれど、
私は難を逃れた。できるからといって何でもやってはいけない。将来を予知する能力
や選択する自由を失ってはいけない。
(上:鐘楼の上にかかる月は、月齢17ぐらい)
まあ、そんなところで爆竹や花火を見物し、ガラスが散乱する広場でかけっこしたり、
踊ったり、絶叫したり、空き瓶を投げて割ったりする最低の行為をみたりして30分
過ぎたので帰ることにした。
ボレット(船)は満員で待ち時間は予想できない
歩いて帰る
1人で帰るのはちょっと寂しい
(サンドウイッチを食べながら帰る)
40分でホテルに着いた
1.30 消灯
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(熟睡中)
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布団から出る前に思うことは、新年になったから特別なことがあるわけじゃなく、
いつもと同じように時間が経過しただけだ。しかし、時間と共に自分も含めて全て
は古くなる。私達は若さと引き換えに経験を受け取る。表面的な美しさと引き換え
に内面的な美しさを受けとる。勘違いと引き換えに目標を受け取る。 / サンマ
ルコ広場に散らばった花火やガラスの破片は地中海が洗ってくれるのだろうか。今
頃(朝8時半)広場は深さ数十cmに水没しているから、掃除するにもできないし、
自然の力で洗われるのを待つしかない。まるで、いつかは水没するかであろうベネ
チアのように、夢のように、、、
8.50 起床
窓を開けてシャワーを浴びた。スモモのフレッシュジュースがうまい。
10.13
今日も不味い朝食を終えて部屋に戻ってきた。だいたい「卵」すら満足にゆでれな
いからコーヒーも不味いしチーズも大きいだけだし、椅子の数も多過ぎる。サービ
スが悪いから不味いのであって他に原因はない。さて、今日はこれからベニスを散
策して、そう! 今日は青空が広がっている。1年のスタートとして気分がよい。
午後からミラノに移動して、美味しい朝食にありつけますように、、、
(上:TVでローマ法皇が祝福していた)
・ でもローマにいたときのような親近感はない
・ もう遠い過去の人のように感じた
===
荷物をフロントに預け、ベネチア最後の散策に出発!
(上:鉄道駅前から)
(上:水面に写った建物)
(上:元旦の街角に、人通りはない)
(上:小さな運河で)
(上:礼拝を終えて帰る人々)
パイプオルガンの音が教会全体に響き渡っていて、生きていると感じた。
教会について肯定的な感想を持ったのは初めてだった。
(上:観光客と信者と)
(上:駅前に戻ってきました)
さようならベニス
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14.00 ベネチア発
15.30 ベローナ通過
何時に到着するのか分からないけれど、このペースだと17時かなと思う。さっき
まで、食べ過ぎなほどに大量のチキンサンドを食べて寝た。やっと起きたら、6
人部屋の2等席はいっぱいになっていた。静かなおじさん3人とトランプをする
カップルなので仕事に集中することができる。
(上:コンパートメントの中で)
車掌が切符の拝見に来たけれど、スタンプも押してあるし慣れたところになった。
16.55 ミラノ着
(上:太陽は西に傾いていた)
・ イタリア主要都市の駅は、どん詰まりになっている
(ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノなど)
(上:全車両の始発・終着駅となる)
車掌がライトの赤いカバーを外していた。今度は先頭車両になる
19.30 ホテルにチェックイン
・ 地図を見損なっていて時間を無駄にした
・ ホテルは6軒回った
・ 部屋を比較するのは楽しい
20.00 スカラ座
・ 今年の初公演は1月9日だった
・ 残念だけど、あきらめがついた
21.00 夕食
・ マック
・ コーヒーの美味しさにつられてしまう
(上:壁面に、ミラノ市街とマックを食べる少年)
これまで歴史的建造物や教会で見てきたフレスコ画のようで、イタリアの『歴史』
を感じてしまった
21.30 夜のドゥオーモ
(上:クリスマスツリーが残っていた)
(上:凄い商店街みたいと思っていたら、新しくなった『ヴィットリオ・エマヌエー
ル2世のガッレリア』であった。)
◎ ミラノのHotel情報
・ 地図を見間違えていて、ホテル街探しに苦労した
・ 結果、中央駅の半径100mのロータリーを超え、駅を背にしてやや左(南東)に
いった道沿いにある
・ ★★★が中心だが、言い値から40%値切ることができる
・ ★★★★も同様だったが、170000リラだったので止めた
・ 私の宿泊したのは
(上:大満足の部屋)
・ シングル
・ TV、冷蔵庫、金庫、シャワー
・ まずい朝食付き
・ 90000リラ(これは相当安いと思う)
初めの言い値は110000リラだったけれども、外でうろうろしている客引きが
「100000リラだ」と言うのでその通り払ったけれども、ホテルからもらっ
た領収書は90000リラだった。この料金につてはホテル側からしっかり説明し
てもらったけれども、儲かったのは偶然私を見つけた客引きだけ。
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