このページは、旅行記アフリカ南部 2002夏 です

  私の日記


  8月20日(火)
                     晴れ
  ==グレート・ジンバブエの遺跡→ ハラレ(ジンバブエ)===
  早朝: グレート・ジンバブエの遺跡散策
  グレートジンバブエ→ マシンゴ→ ハラレ
                           ハラレ泊

 
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  5.45 起床
  6.15 遺跡の丘に登り、日の出を待つ
  真夜中に神殿に忍び込むつもりだったけれど、夜半、小用を足そうとしたら犬を
  連れた夜警のおじさんに出くわしたので中止になった。少なくとも狂犬病の疑い
  がある野生の猿が活動していることは間違いない。


  (上:丘から降りてきたところ)
  日の出はどこにでもある感じで、新しいイメージは広がらなかった。

  次に、神殿へ向かった。

  (上:神殿の外壁で)
  入り口の正面から太陽が差し込んでいた。今日は8月20日だから特別な日では
  ない。エジプトのピラミッドのような仕掛けはないと思うけれど新鮮な朝日を感
  じた。

  神殿の中央に座り込むと、ごーごーと外壁にあたった風が渦巻く音のほかには何
  も聞こえない。私の背中には樹齢数百年の大木が息づいているが、彼は歴史を知
  っているように思う。私が尋ねれば何か語りかけてくれると思うが、私は身体で
  風の音を聞き、空虚な創造に世界に連れ去ってくれることを願った。

  
  (上:入り口を支える石板)

  7.55 部屋に戻る
  歩き回って汗ばんだの体を洗い清め、ヒゲを剃る。そのままパンツ1枚で日光
  浴したら爽快な気分で、無性に仕事をしたくなる。食料はなくてひもじいけれ
  ど、水を飲みながらマックした。時間を節約したい。

  9.40 チェックアウト
  部屋を掃除に来たおじさんに「いらなくなった毛布」を差し上げたら喜んでく
  れた。また、スタッフの人に「鍵が壊れてしまったこと」を伝えたら、問題な
  いよと言ってくれたので嬉しかった。

  グレートジンバブエホテルまで700メートル歩き、さらに、国道の交差点まで
  約3km歩く覚悟を決めていたが、地図がまちがっているのだろうか。意外に
  早く国道に出てしまった。車が走ってきてすぐにヒッチできそうだけど、今回
  の旅では初めてなので公共バス乗り場まで移動した。反対方向で待っている家
  族に尋ねら、3、40分間隔で走っているそうだ。

  バスは来ない。
  車は時々通過する。

  ヒッチしたくなってきた。手を上げたがダメだった。次は大きなトラックだっ
  た。私の前方100メートルで停まり、人が乗り降りしているので便乗させても
  らうことにした。話をすると、目的地の手前でお終いなので「残念だなあ」と
  思っていると、すぐ後ろにワゴン車が停まった。今度はマシンゴまで行くとい
  うので荷台に乗った。100z$だった。町につくと、安全な町外れの「長距離
  バス乗り場」まで連れていってくれた。ここまでに所用した時間が60分だっ
  た。

  11.20 大型バス『ハラレ行き』乗車
  35z$の大きくて美味しい蜜柑を食べながら待っていたのは良いけれど、この
  バスは遅い。とにかく遅くて困る。雑多な人々で混みあう首都『ハラレ』に行
  くのだから覚悟を決めなければならい。1100z$。

  15.20 ハラレの手前『ムバレ』で下車
  
  (上:こんな感じのバスに乗ってきました)
  『ムバレ』は首都ハラレから5km離れたところにある長距離バス乗り場。
  大きな市場も隣接しているけれど、とっても汚れていました。

  そこから、たまたまバスで隣の席だった『マイク』という地元の青年と一緒に
  乗り合いタクシーに乗った。市内まで25z$だった。それから、下調べをして
  おいたホテルまでタクシーに乗るつもりだったけれど、マイクの様子がおかし
  いので500z$を渡したらさっさと帰っていった。良い感じの青年だっただけ
  に後味が悪かった。

  16.30 チェックイン
  予定していたホテルはドル払いなので、とても宿泊できる料金ではなかった。
  アメリカ75ドル。ジンバブエドル払いなら1/10の価格になるけれど、ここは
  扱っていなかった。近くのホテルを紹介してもらい、そこまで歩いた。

  (上:私の部屋)
  ツインの寝室、テレビと机と椅子のある居間、バスタブ付きの洗面所、さらに
  キッチンまでついて4000z$(7$)。すばらしい設備だった。

  さっそく市内にくり出し、美術館の1つでも回りたいが、この中途半端な時間
  ではどうにもならない。明日の夜行列車の切符を手配してから、食事としよう。
  振り返れば、朝からほとんど何も食べていない。

  
  (上:ハラレの交差点)
  街の印象は、散々おどかされていた割には安全だった。
  ただ、私はTシャツ1枚なので寒く感じた。

  
  (上:街の教会)
  冬なのに、せっせと歩いていると汗ばむ感触がある。公園にも噴水があるので、
  教会に水があってもおかしくない。ステンドグラスや宗教画はほどんどなかっ
  た。

  17.00 鉄道駅の予約窓口で
  『ムタレ』行き寝台車を予約しようしたけれど、当日でなければ予約でできな
  いと言われて、「それは予約ではなくて当日券でしょう」と思う。明日7時か
  ら予約できるらしいけれど、、、  それから、地元民がいっぱいはいってい
  る『ライオン』というレストランを見つけて入る。ライオンビールの生を飲ん
  だけれど、まあまあ。チキンとチップスもまあまあ。合計、800z$。

  暗くなり始めた道を歩くのは恐かった。途中のスーパーで買ったスナックをぼ
  りぼり食べながら、歩き慣れた雰囲気をかもし出そうとしたけれど、暗くて1
  回ではたどり着けなかった。地図を開けるのは危ないので、さっさと歩き続け
  た。たった1kmの道のりに、たくさん神経を使った。

  ホテルに辿り着くと、部屋には戻らずバーへ行った。冷えたビールを部屋で飲
  みたかったのだ。しかし、お持ち帰りはできないので、紹介してもらった外の
  店(バー)までいった。メンバー制と書いてあったけれど、すぐにビールを売
  ってくれた。

  バスタブに暖かい湯をはった。

  ビールを飲みテレビを見た。チャンネルは1つだけで、番組タイトルは
  『KIDS SAY』、子供に面白おかしいことを話させる内容だった。日本もそう
  だけれど、大人が真面目に語る内容を増やさなければ、国が成長しないと思う。

  テレビを消して寝室に移動した。

  このままでは風邪をひくと思ったので、羽毛ベストを着て寝た。

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私の日記 8月21日

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