このページは、旅行記アフリカ南部 2002夏 です

  私の日記


  8月23日(金)
                            晴れ
  ==移動日(ジンバブエ→モザンビーク)============
  ムタレ→
  
ジンバブエ(ZIMBABWE)出国 モザンビーク(MOZAMBIQUE)入国
  
→ シモイモ(乗り合いタクシー、大型バス、ヒッチ)→ ビランクール
                            ビランクール泊

 
 ===============================

  6.20 ムタレ着

  (上:ムタレの鉄道駅前)

  客引きはプラットホームまで満ちあふれていた。声をかけられるまま
  乗り合いタクシーに乗り込んだがぼられることはなかった。荷物はト
  ランクに詰め込んだ。

  
  (上:駅前のポーター、知人を待つ白人女性)


  (上:国境までの道のり)
  約20kmだったと思う。快適な舗装道路だった。

  7.00 国境着

    ジンバブエ(
ZIMBABWE)出国
    ↓       

    モザンビーク(
MOZAMBIQUE)入国
    ↓
    両替(20ドル→470、200ランド→400)
    ↓
    乗り合いタクシー

  9.30 シモイモ(CHIMOIO)着
  国境で知り合った女性に案内されて、ベイラ行き『大型バス』に乗った。
  彼女がいなければ両替も危なかったし、このバスにも乗り損ねたかも知れ
  ない。モザンビークに入ってから英語の通じる割合が極端に減ってしまっ
  たのだ。

  10.30 交差点着
  『ビランクール行き』バスに乗り継ぐため、私は女性と別れて降りた。外
  は大粒の雨が降り始めていたので、「このままベイラまで乗車して宿をと
  り、今日はゆっくりして明日の朝『直行便』に乗ろう!」と散々迷ったけ
  れども、初志を貫徹した。

  10.35 食事
  雨宿りをしなければならない。屋根のある店に入ってコカ・コーラを注文
  した。
  
  (上:良く冷えたコカ・コーラは気分を落ち着ける)

  それから鶏を注文したけれど、たっぷり待たされた。

  
  (上: チキン&ポテト(30メティカシュ)
  これがめちゃくちゃ旨い。さっきまで走り回っていた鶏をつぶして、炭火で
  焼いたできたてを持って来てくれたようだ。今回の旅の最高の1品。

  13.23
  交差点から少し移動したところでずっと待っているけれどバスは来ない。情
  報が錯綜していて、こんなことならビエラまで行けば良かった。今頃ホテル
  にチェックインして、観光を始めていることだろう。あるいは、昼食をして
  昼寝といったところか。

  さて、こんな状況であるが発見したことがある。それは『小さな地域で同じ
  ことをくり返すことの楽しさ』である。あちらの壁際にはおばさん達が日傘
  をさして小さな物(果物やジュースやお菓子)を売っている。バスが来ると、
  我先に走り寄っては商売をしているけれど利益はいくらもないだろう。いく
  らにもならない商売だけれど、これで一生を終えてて楽しい気がする。

   また、私の座っている左側からは『鶏の匂い』が漂ってくる。そこは汚い
  ゴミ捨て場で、その中央に雄1匹、雌4匹からなる家族が日なぼっこしてい
  る。彼等の生活環境は狭く小さく、最良からは程遠いけれど楽しそうに生活
  しているのだから幸せだと思う。私も狭い名古屋から出ようとしないけれど
  無意識のうちに活動範囲を限定して楽しさを得ようとしてるのだろう。決ま
  りきった規則のような生活をくり返すことは、そこに不平不満があったとし
  ても安心感と引き換えれば楽しさの一部になると思う。

  14.30? 大型バス『マプト』行きに乗車


  (上:途中、小さな村で休息した)


  (上:モザンビークの風景には汚さと温かさを感じる)


  (上:「旨そうなパイナップルですね」と声をかけた)
  一切れもらった。果実の形をしたジュースのようなパイナップルは、ジュー
  ジューと音を立てていた。


  (上:背伸びをする乗客)
  私達の乗った大型バスの『後輪』のネジが金属疲労のため2本折れていた。
  交換できるはずもないが、その修理のために2時間を必要とした。


  (上:小さな村の風景)


  (上:何だか分からないけれど集まっている)

  
  (上:荷物を運ぶ少年)

  バスは出発したけれど、ビランクールの手前20kmにある交差点に
  到着したのは夜がとっぷり更けた後だった。

  21.00 交差点着
  ここで降りたのは私を含めて3人だった。乗り合いタクシーは終わ
  っているので、方法はヒッチしかない。しかも、こんな時間に車は
  走ってくるのだろうか。実際、私達が車を拾うまでに1時間かかっ
  たけれど、一晩中待っていても不思議ではなかった。私1人ならヤ
  バかったかも知れない。

  22.00 ヒッチ成功
  22.30 ビランクール村着
  運ちゃんに50MT請求された(昼間の乗り合いタクシーなら10MT)のは
  仕方ないとして、あと1キロメートルのところで、さらに200MT要求さ
  れるのは許せない。当然、途中で降りて怖い夜道を歩く。

  23.00 チェックイン
  予定していたホテルは潰れていたので、予定変更してチェックイン。苦難
  のモザンビーク第1夜である。


  (上:私の部屋)
  これは朝の光の中で撮影したので良い感じ写っているが、床面積はこれだけ、
  あとは何もない。蚊帳は持参したものである。これで220MTだから設備とし
  ては最悪である。シャワー、朝食もなし。

  23.30 消灯

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私の日記 8月24日

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