このページは、旅行記アフリカ南部 2002夏 です

  私の日記


  26 AUG (mon.)
                             晴れ
  ==
MOZANBIQUE → SWAZILAND=============
  ・ マプト市内散策
  MAPUTO → MOZAMBIQUE→ SWAZILAND → MBABANE 
  ・ ムババネ市内散策
                        ムババネ泊1

 
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  6.00 起床
  窓の外は曇り空で散歩をする気にはならない。
  カーテンを開け、マックの電源を入れる。

  7.00 朝食
  ホテルの朝食はオレンジジュース、パン、目玉焼き、ジャガ芋、コーヒー。
  何も起らない。

  食事をしながらガイドブックを読むと、ほどんどの博物館・美術館は月曜定休
  になっていた。今日はホテルでゆっくり仕事をして、午後から気分転換に出か
  けるつもりだったので、コーヒーを追加して予定を見直す。アフリカ南部の旅
  は残すところ4日。モザンビークでは楽しみにしていたダイビングができなか
  ったけれど、昨夜、思いもかけず見れた演劇で良しとしよう。これからスワジ
  ランドに移動して優雅なホテルで仕事しよう。

  7.40 CENTRAL MARKET
  食後、唯一足を運んでみたい中央市場に出かけた。

  (上:街の大きさに比べてとても小さく、活気もない)
  いずれ近いうちに潰れてしまうのではないかと思う。
  商売をしている人々には中近東、欧米の血が混じっている人が多かった。ムス
  リムの人々も目立っていた。


  (上:新鮮な魚は少なく、冷凍ものが多い)

  市場から戻り、急いでパッキングして『スワジランド行き』バス乗り場へ向か
  おうとしたものの、鉄道駅に立ち寄ってしまう。

  
  (上:マプトの鉄道駅、Train Station in MAPUTO)
  ここを占領したポルトガル人の趣味に合わせたデザインなのでしょう。


  (上:市バスを待つ人々)
  服装からしていろいろな階層の人々がいるけれど、これは今の日本も同じ。名
  古屋駅前で撮影すれば、もっと大きな差を感じると思う。


  (上:駅前にある石像)
  ここで殺し合いがあたっことは間違いない。日本も英雄と呼ばれる武将の石
  像を作れば、とても勉強になると思う。石像の大きさは、殺害した数によっ
  て決まる。それにしても、女性を先頭にしているのは何故だろう。彼女が戦
  陣をきって人殺しを行ったのか?子供をもつ相手の気持ちが分からない獣の
  化身なのか? 有名なフランス革命の絵画を思い出す。

  それから、この石像の周りに半径5メートルほどのスペースがあって、芝生
  でも植えてあれば美しいけれど、悪臭漂う水たまりしかない。そこにはボロ
  を着た少年や浮浪者がたくさんいて、私に『中国人』と声をかける。その言
  葉に内包される意味が分からないから、『日本人』であると訂正しなかった。
  ここモザンビークの首都『マプト』には中華料店が目立ち、波止場にはたく
  さんの中国人が働いていた。

  もう1つ。駅前の広いロータリーでうろうろしていると車が止まって道を譲っ
  てくれた。とても嬉しいけれど、ショッキングな出来事でもある。ジンバブエ
  は明らかに車優先で、道路を横断するときは車から逃げ回っていた。もう少し
  で渡り切れるという場合でも、車は人に向かって突進してくる。日本も同様で、
  信号のない大きな道を横断するのはご法度のようだが、もし横切ったとすれば
  車はクラクションを鳴らしながら猛進してくるに違いない。次に、ニューヨー
  クを追加して交通・優先順位を表にした。
  
優先順位 モザンビーク

ニューヨーク

日 本 ジンバブエ
1 位 信 号 (信号)
2 位 (信号)

信 号

===
3 位

===

4 位

===

===


            注1: ===は大きな落差があることを示す
            注2: (信号)は、信号が少ないことを示す

  日本は信号最優先、かつ、人が最下位であることが明らかになった。狭い道の
  場合、横断歩道がなければ歩行者は立ち止まり、人は徐行する車を優先させる
  ことを喜びとしていることが多い。(強い者に道を譲って喜ぶ?、車対車では
  事情が異なる)規則が1番、強いものが2番、自主的な判断(臨機応変)は最
  下位。これは継承しなければならない日本文化1つかも知れないが、私はなじ
  めない。また、モザンビークが人優先なのは、朝からビールを飲む人が大量に
  いることも一因だろう。

  10.00 バスターミナル発
  スワジランドの国境行きの大型バスに乗り込んだら、何度も何度も止まり、そ
  の度にバスの屋根から50kgの米や小麦粉の袋を降ろすので大変な長旅になって
  しまった。
  
  (上:バスの中)
  ターミナルを出発したばかりは席にゆとりがあったけれど、だんだん増えて
  通路に立つ人も出てきた。私は大きなリュックを足元に置いて脚を広げて座
  っていたので快適なような気がしていたけれど、1時間すると尻の筋肉が痛
  くて尻を座席から持ち上げる『電気椅子』の姿勢でリラックスしなければな
  らない状況になった。また、婦人達の頭巾がお洒落に感じるのは、新しい国
  『スワジランド』に向かっている期待感からなのだろうか。


  (上:切符を切るお兄さん)
  太い眉毛が素敵。20000Mtc(0.8$)

     12.00
     今はバスの中で今日の日記を書いている
     やっぱり尻が痛いです

  12.30 国境の街、Namaacha

  (上:パンを売る少年)
  街に入ったものの国境まで少し距離がある。途中で降りる乗客と荷物のため大
  量に時間を待たなければならない。デジカメを取り出して窓越しに撮影した。


  (上:隣の席の婦人)

  
  (上:背景には市場がある)

  12.40 バスが止まり、全員降りた。
  イミグレーションが見えないので、もう一度バスを乗り継ぐのかと思ったが、
  スワジランドに行きたいと言うと、ポルトガル語しか話せない1人の少年が
  「ついて来い」と手招きした。500メートルほど歩くと国境が見えてきた。
  少年と一緒にモザンビークを出国した。パスポートを出しただけだった。オ
  フィスを出てスワジランドのイミグレーション前までくると、少年は私に別
  れを告げた。少年がどこに行ったのか分からないけれど、私は1人でスワジ
  ランドの入国スタンプをもらった。少年よ、ありがとう。

  モザンビークに入国したところで余ったモザンビーク紙幣を両替えした
  100000M= 40ラント
  スワジランド通貨ではなく、南アフリカの通貨になった。スワジランドの紙
  幣は銀行で両替えしない限りお目にかかれないかも知れない。

  13.00 昼食
  
  
  (上:国境の店で購入する)
  炭焼き『チキン』は大変美味しい。
  ポテトに酢とチリをかけて絶好調。
  車の中で食べた。
  28ラント


  (上:私の乗車したベンツ・タクシー)
  120km/hで快適に飛ばした。私は助手席に座わり、手づかみで『チキン』
  を食べながら景色も楽しむという忙しい旅になった。

  モザンビークから開放されて、とてもリラックスしている自分を感じた。

  15.20 MBABANE着
     
  15.30 ホテルにチェックイン
    ・ CITY INN
    ・ ツインベット
    ・  朝食
    ・ テレビ
    ・ バスタブ
    ・ 210E

  (上:私の部屋)

  それから、ムババネ市内を歩き回った。たぶん仕事がないであろう人々が
  トランプや下のような遊びに興じていた。
  
  (上:ビールの栓を使っていた)

  

  

  

続きをどうぞ!

私の日記 8月27日

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