このページは、カンボジア旅行記 2002冬 です

  私の日記


  2003年1月1日(水)
                     晴
 
 ===移動日====================
  シェムリアップ(スピード・ボート)→ プノンペン

                     プノンペン泊
  ==============================

  1.45 鼻血でシーツを汚してしまう
  2.40 みなさま、明けましておめでとうございます
  今年の初夢は、私の勤務に関することだった。なぜ、私の勤務地が当初の希望
  と全く違うところになってしまうのか。なぜ、名古屋市の小中学校をABCに
  ランク分けする必要があるのか。なぜ、職員自宅の住所を二の次にするのか。
  なぜ、1週間の勤務時間が4時間違うことは毎週1日余分に労働命令をされて
  いるに等しいことを問題にしないのか。鼻血が吹き出したのは、これらの初夢
  が原因である。

  新年早々、情けない話から始まったが現実は改善しそうにない。まだまだ悪夢
  と鼻血は止まりそうにない。

  3.40 起きている
  日本時間5時40分。起きようか寝ようか迷う。
  現存する悪夢を何とかしなければ眠ることはできない。

  5.29 起床
  目覚まし時計が鳴る10秒前に起き上がり、そのままシャワーを浴びた。
  着るものは準備しておいたし、あとはシャワーセットを入れるだけだ。
  
  5.40 
  予定時刻に外に出たけれどピックアップトラックが来る訳でもなく、
  コンビニで豆ジュースを買う。

  東の空を見ると28日目を迎えそうな細い月と金星がいた。初日の出を見に行
  った人はさぞかし満足していると思う。

  6.10
  30分遅れでピックアップトラックが来た。しかし、私のチケットを見て「別
  料金1ドルを払え」と言うから言い合いになり、最終的に宿の女主人に助けて
  もらった。彼女は「ご免ね。彼は英語が分からないから。」と謝ってくれたけ
  れど、気分悪い新年のスタートはまだまだ続く。そう言えば、今年は私の厄年
  かもしれない。


  (上:今年の初日の出は、トラックの荷台に揺れながら、、、)

  プノンペン行きのスピード・ボート乗り場へ行く道沿いでは、今朝捕れた魚の
  仕分けしていた。毎日、自給自足には十分過ぎる収穫があるので、真面目に働
  いていれば裕福な生活になっていくのが普通だと思うけれど、ここでも現実は
  ゆがめられているのだろう。どこの政府も、国民が死なない程度の生活ができ
  るように法律を作る。日本では、企業が頑張って開発した発泡酒などの税率を
  上げたり、自宅から遠いところに赴任を命じた職員から駐車料金をとろうとし
  ている。また、カンポジアで大量虐殺を行ったポルポトが、自らの忠実かつ優
  秀な部下さえも家族ごと拷問・処刑したことと何ら変わりはないと思う。


  (上:トラックに小魚を積み込む)


  (上:水上ボートで生活する人々)
  

  6.50 プノンペン行きスピード・ボートに乗船
  ・ 5時間
  ・ 毎朝、7時出発
  ・ 外国人料金25ドル(私は送迎付きで23ドル)
  ・ 地元料金6ドル(額面は15ドルらしい)
  ・ 地元の人がプノンペンに行くときは、ピックアップトラックを使う(2ドル)

  7.05 出発
  ・ 朝食はフランスパン1個(1000ラント。高い!)
  ・ デッキから写真撮影
  ・ 広いトレンサップ湖に出てからクーラー効き過ぎの船室に移動


  (上:捕った魚を売りさばいて自宅に戻る人々)


  (上:この浮かぶ島?からは宗教的な音楽が流れていた)


  (上:行き交う人々)


  (上:洗濯したり食事の準備をする婦人達)


  (上:ボートで、野菜などを売りに来た人)


  (上:網をひく人々。学校に行っていない子供達も働いているのだろう)

  プノンペンまで数10分のところまで来たが、まだ、私の乗っているスピード
  ボートを撮影していない。


  (上:スピードボートのデッキにいる観光客)
  いろいろな客層がいるけれど、先ほどの写真とは明らかに生活水準が違う。


  (上:プノンペンの波止場で観光客を待つ客引き)

  たくさんの客引きに出迎えれて、私はその中の1人に同行した。ゲストハウス
  の名前は『ハッピーGH』。そこに決めた理由は長期滞在の日本人が声をかけ
  てくれたこととロケーションが良いこと。

  13.00 ハッピーGHにチェックイン
  ・ ダブルルーム
  ・ シャワー、トイレ、ファン
  ・ 3ドル


  (上:私の部屋)
  たった3ドルの部屋といえども、水上家屋に生活する人々と比較すればあまりに裕
  福だ

  13.39 昼食
  ・ とうふAMOK
  ・ 大変おいしい
  ・ 1.5ドル

  それから、不覚にも寝過ぎてしまった。ボートの中で不自然な格好で寝ていたので
  首の筋を違えてしまい、痛い痛いと寝ていたら5時になった。頑張って国立博物館
  ぐらい散歩すれば良かった。

  宿の周りを散策すると、何度も何度も「女はいらないか」「ピストルを撃ってみな
  いか」と声を掛けれられるので、一刻も早くプノンペンを脱出することを決断した。

  旅行代理店で飛行機の予定を問い合わせると、明日10時、ベトナムとの国境に近
  い『ラタナキリ』までのチケットが手配できることがわかった。55ドル。私のカ
  ンボジア滞在は残すところ4日間なので忙しい旅になるだろうけれど購入した。

  20.50 夕食
  私のゲストハウスは西洋人向けのビデオを大音量で流しているので、隣のGHで食
  事をした。ここも同じように安くて雰囲気の良いレストランを持っている。湖に面
  したレストランだけなら、本物の穴場であると言える。


  (上:テーブルは10ぐらい、客は6人)
  私は仕事をするのにちょうど良い高さのテーブルを選んだ

 
  (上:メインディッシュは豚肉のしょうが焼き)
  ・ 極めて美味
  ・ ビールも飲んだ

  ◎ レストランでの独り言
  狭い範囲で見れば、良いところを発見することは簡単だけれど、それで納まっては
  いけない。視野を広くして、いろいろなことにチャレンジしなければ自分の正確な
  位置が確認できない。しかしだ。どんなに手広くやったとしても限界があるのだか
  ら、否、やればやるほどに限界を知るのだから限界を知るための活動と言って良い。

  最終的には、いろいろな形で奉仕したいと思っている。私にはこれだけの運しかな
  かったけれど、決して悪い運だったとは思っていない。努力するのは当然だけれど、
  努力できたことが最高に幸運だったのだ。

  1番安い女 5000リエル(1ドル強)
  次に安い女 7000リエル(2ドル弱。現地の人も汚いと言って断るレベル)
  外国人料金の女 40000〜60000リエル(10〜15ドル)
  1番高い女 200000リエル(50ドル)
  タイから出稼ぎに来ている女が多い理由は、取締がゆるいから
  また、ロシア人など他の国の女もたくさん働いている

  バイクタクシーの運ちゃんが、女はいらないか射撃をしないかと誘うにつけ、私は
  一刻も早くこの地から脱出しなければならないと思った。これが、街の活気である
  としたら絶対に間違っていると思う。でも、何が間違いで何が正しいのかはその文
  化や時代が決めることだらから、これで正しいのかも知れない。私のようなよそ者
  がごちゃごゃ言う問題ではない。ここは黙ってここの世界の法律や文化で生活しな
  ければ旅をしている意味がない。なるほど、となると私は自分の既成概念や一般的
  に価値観を崩すために、あるいは、自分が不本意なことを本意なものとして捉えな
  ければならない社会に旅をしているのだから挑戦してみなければならない?!
  とんでもないことになってきたぞ!! 私は、自分のやっていることが日本で通用
  するのように自制したり判断したりしならがら旅をいていたけれど、それは間違い
  だった。何処かを基準にしたり、何処かに戻ろうとしてはいけない。

  売春は人類の歴史で一番古い商売だというけれど、物々交換ではなくて、現金が生
  まれた以降の歴史から考えれば、正しいような気がする。売春の代価として、米な
  ど現物をもらうことがあるのだろうか。また、国と国の物価を比較する基準として、
  売春価格が利用できるような気がする。

  日本の売春はひどい。感覚が完全に麻痺している。つい先ほど行われた日米野球で
  アメリカからやってきた超大物バッターが東京の超高い値段の某店で売春行為をし
  たような記事(『・・・でホームラン?』というような見出し)を、某スポーツ新
  聞がカラー1面で扱った。売り上げ部数は伸びたに違いないが、私の価値基準から
  すればカンボジアよりも正々堂々と裏を公認した売春自由国家である。国民も政府
  もぼけぼけ。私は日本国籍を持つものとして赤面の至り。たとえ裏があるとしても、
  どうして新聞1面に印刷され、コンビニエンスアや駅の目立つ位置に配置され、
  100円で購入した大衆が公共交通機関の中で読みながら通勤できるのか。新聞社は
  自主規制できないのか、政府は法規制できないのか。私はこうして発言することが
  自分の責任と義務であると感じている。

  この分野で日本は最低に位置し、最高物価水準をもっている。
  この感覚の麻痺こそ、資本主義経済発展の原動力であると私は直感している。
  日本よ、しっかりせい。
  

  

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