このページは、カンボジア旅行記 2002冬 です

  私の日記


  1月4日(土)
                  快晴
  ===ラタナキリ3日目 ============
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  ・ ラタナキリのマーケット散策
  ラタナキリ11.30(飛行機)→ 12.40 プノンペン
  ・ プノンペンの国立博物館 National Museum

                     プノンペン泊
 
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    星を見る
    人工衛星と大きな流れ星と小さな流星

  6.30 起床
  飛行機が出発が11時半だから、それまで市場を散策しようと思う。
  朝食は市場の中で探そう。

 
  (上:今朝はフランスパンのサンドウィッチ。)

  
  (上:ソーセージを初めて食べた。美味しい。)

  ここでバイクの給油方法を紹介しよう。
  コカ・コーラの瓶に入っているのはガソリンで、赤いじょうろを使って入れる。
  バイクの燃料計は99%故障しているので、満タンかどうかは目で見て確かめる。
  もちろん、満タンをすることはなく、1リットルずつ給油するのが一般的だ。
  玄人のドライバーは、コカ・コーラの瓶をじっくり眺め、どのボトルか良いか選
  んでいるが、私には何を基準にしているのかさっぱり分からない。
  2000リエル(0.5ドル)/リットル

  
  (上:ガソリンは無色透明でなく、日本と同じように赤色)

  バイクはもっとも重要な交通手段で、自転車も少ない。
  車も見かけない。
  バイクか徒歩である。


  (上:小さな弟をバイクに乗せようとガンバルお兄ちゃん)
   これぐらいは日常茶飯事で、最高7人乗りを見た。

  ===

  朝の市場には、食事の屋台がたくさん出ている。
  仕込んできたものが無くなったら閉店。
  メニューは豊富だけれど名前が分からないので、食べている人の器を覗き込み
  同じものを注文する。

  
  (上:このお姉さんの屋台は清潔感に溢れていた)


(上:豚肉と春雨スープ)

(上:雑炊)

  さて、市場の裏側はゴミ捨て場になっているが、ビニール袋が汚い。リヤカーでゴミを
  捨てるようになっているが、公共の場を美しくしようという意識からは遠い。

  
  (上:市場のゴミ捨て場)

  塩塚さんと野々口さんを発見。目立たないようで、すぐに見つけてしまうから、日本
  人はやっぱり目立つ存在なのだ。綺麗な服装をしているからだと思う。

  さて、私はカンボジアを掃除をしない国だと感じていたけれど、ここに数年滞在して
  いる人が、「他のアジアの国よりも綺麗ですよ」というのでそうかも知れないけれど、
  やっぱり汚いと思う。私のような外国人が、普段着の写真をバシバシ撮れる理由は、
  「綺麗じゃないと撮ってはダメ!」という意識が低いためだと思う。


  (上:段ボールでできたレストランの壁)

  ここで得意の定点撮影を行った。
  午前8時。
  朝の光を楽しめる最後の時間になっていた。
 
 
 

  場所を変えた。
  今日は声をかけずに隠し撮りをしている。


  (上:風車は赤ちゃんによく売れていた。)

  どこの市場でも日の出から2時間までが勝負で、それ以降はだらだらした雰囲気に
  なってしまう。新鮮な野菜や魚は、我先に争うようにしてなくなっていき、悪いも
  の傷んだものが残る。遠くからきた人がそれを全部売りさばこうとすると、その後
  夕方まで長い時間を潰さなくてはならない。家に帰れば、それなりの仕事は待って
  いると思うが、出遅れた人は出遅れたまま1日を終えなければならない。

  8時半、市場を後にしてホテルに向かった。
  その距離は500メートルしかない。

  途中、ラタナキリ特産の宝石加工の店が何軒もあったので、そのいくつかを覗いた。


  (上:原石を加工するための棒に接着する)

  この青い石が特産品だそうだが、名前を忘れてしまった。


  (上:原石と指にはめられた宝石)


  (上:回転板に当てて研摩する)

  10.30 タラナキリの空港へ
  ・ 空港使用料 4ドル
  ・ 何もないのに、、、
  ・ PRESIDENT AIRLINES

  11.40 プノンペンに向けて離陸
  ・ またまた機内食が出た
  ・ 乗客率は80%あった
  ・ 1番前の席に座りました
  ・ 隣はタラナキリ生まれの裕福な家の娘さん

 
  (上:タラナキリから帰ってくると、プノンペンの家並みは賑やかです)

  12.50 プノンペン空港に到着
  ・ タラナキリで知り合ったドイツ人とタクシーに乗車
  ・ 市内まで7ドル(固定料金)
  ・ 中心部にあるホテルに直行
  ・ 部屋で仕事をしたいので、豪華な設備を選ぶ
  ・ ドイツ人は、私が以前宿泊した湖畔のゲストハウスへ

  13.20 ホテルにチェックイン
  ・ ダブルルーム
  ・ バスタブ(湯)とトイレ
  ・ エアコン
  ・ 冷蔵庫とテレビ
  ・ コーヒーとミネラルウォーターのサービス
  ・ 20ドルを交渉して18ドルに

    バスタブの準備をする
    ↓
    コーヒーを飲む
    ↓
    少々仕事
    ↓
    バスタブにつかる
    ↓
    ベットに横になって
    ↓
    5分後、
博物館に出動する
    ・ ホテルからは、バイタクで10分、1500リエル
    ・ 乗っている間にも、女やピストルの話を聞かせれる

 15.30 国立博物館 National Museum
  ・ 入場料金2ドル
  ・ 館内撮影禁止
  ・ 展示内容はそこそこ
  ・ 頑張って2回観て1時間半
  ・ 結論として、ちらっと見るだけで十分です
  
  (上:国立博物館正面)

  思ったより早く退館してしまい、することがないので近くの外国人用高級土産屋を見学。
  友人へのプレゼントを少々購入。

  それから、川まで歩いて、そのままホテルまで徒歩で帰ることにする。
  この辺りは賑やかである。


  (上:博物館横にある広場で遊ぶ少年少女達)

  私は男なのに、こんな時代があったような錯角をしてしまった。


  (上:サッカーをする少年達)


  (上:自慢のバイクを点検する青年)

  それにしてもビニール袋等ゴミの多い、市民意識を向上させるなど
  政治家は頑張って仕事をして欲しい。

  ===

  川沿いにはレストランが沢山あって、そのほとんどが2階3階にテラスを持っている。
  客のほとんどは西洋人。日本人団体客は、超一流ホテルのレストランで食事をしてい
  ることだろう。

  私はセメントでできた堤防に座り、まっすぐ西へ伸びる道から差し込む傾いた太陽の
  弱い光を浴びている。頭にハスの実を載せた少女が来た。私は無言で断ってしまった
  が、隣に座っていたイスラエル人風の青年は熱心に英語を話し掛けていた。

  腰をあげた。川岸で時間を遊ぶ人たちを見ながら歩いた。ハスの実を食べている人を
  見て、「ああ、そうして食べるんだ。食べ物だったんだ。」と思った。少女から1つ
  買ってやろうと思い後ろを振り返って彼女を姿を探したけれど見当たらなかった。

  中央市場にきた。
  
  途端に空腹感を覚え、腹が痛くなってきた。
  目の前にある『肉マン』らしき物を買った。
  
  (上:いろいろ入っていた。1000リエル)

  腹が減っているので一気に食べた。
  うまいけれど余計に腹が減った。

  どこかレストランに入って食べようと思った時、賑やかな音が聞こえてきた。
  人だかりができていた。

  フェンスの向こう側で民族舞踊の練習をしていた。
  思わぬところで質の高い芸能を見せてもらい大満足。

 

  1時間は見学していたと思う。
  プノンペンは暑いから夕方の限られた時間に揃って練習するのだと思った。
  それから、最後の座長らしき人が話をしていた。
  練習で失敗した人は、腕立て伏せを命じられ必死にやっていた。
  そうでなければ良いものはできないと思った。

  お腹が減っていることを思い出し、レストランに入る。
  
  (上:豚肉入り炒めソバ)

  写りは良くないけれど、麺が美味しい。その後、フルーツ・シェイクを飲んだ。
  シェイクに卵黄を入れるのは驚くけれど、それがうまい。


  
  20.30 消灯
  21.00
  電気を消してみたものの眠れなくて起きてしまった。室温は24度に調節したが
  寒過ぎる。まるで冬の日本みたいだから丁度良い温度にして欲しい。
  ↓
  温度設定を25度Cにした。
  ここのリモコンには日本語が書いてある。
  まるで、自分の国みたい。


  (上:私の部屋)

  そうそう、さっき高級っぽい土産物屋で頭に来たことがあった。品物を見てい
  たら、後ろからきた人に払い除けらた。腕で押されたら、私が迷惑を掛けたと
  思い道を譲ったのだが、それは違っていた。私を押しのけたのは、原色の黄色
  いズボンを履いたフランス人だった。店にいたフランス人女性とかん高い声で
  会話していたから間違いない。調子に乗るのもいい加減にしろよと思ったけれ
  ど、私はそのまま店を出た。こんなちょっとしたことで私のフランス人に対す
  る印象は大きく地に落ちた。また、その店はシルクを扱っていたけれど、品質
  の相当悪い商品の隣に、品質の少し悪いものを並べることによって粗悪な商品
  を高値で売るという古典的な悪徳商法を行っていた。彼の店だと思う。

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