このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です

私の日記


1月3日(土)
                      
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午前: ディナ→ ラホール
午後: ラホールの旧市街(城壁内)散策
                      ラホール泊1          
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 7時10分のアラームを聞いてから部屋のTVを見てだらだらしている。4、5日前から痰が治まらない。本格的にカゼをひいてしまったようだ。食堂への階段を降りたのは、9時を回ってからだった。

9.15 朝食はホテルの食堂で

(上:オムレツとトーストとコーヒーを頂く)

 食事をしながら今日のスケジュールを考える。パキスタンの旅も最終章を迎え、ラホールに移動し博物館などを見学したらお終いになった。


(上左:バスの運転手とただの通行人。ディナのバス乗り場にて。)
(上右:ロバ車と、派手にデコレーションされた乗合いバス。これに乗って出発です。)

11.19
 今はバスの中、ちょっと調子が悪い。無理しないよう楽するように心掛けよう。金はまだ十分にある。財布の中には5000ルピー。つまり、平均的なパキスタン人の月収以上あるんだから、裕福な生活をしよう。体調を落としては元もこもない。


(上:ラホール河を越える。)

 大都市『ラホール』に近づくと、どやどや乗客は適当な場所で降りていく。終点バスターミナルまで乗っていく人は少ない。私もホテル探しに適当な場所で途中下車した方が良さそうだ。

 市街地図を見て、交通量の激しい5又路で降りたが失敗。商店の人に路を訊ね、排気ガスに負けないよう張り切って歩いたが、だんだん不安になってきた。もう2キロは歩いている。片手を挙げて進行方向に走っているリクシャーを止め、黙って乗り込む。交渉はしない。変なところで曲ったら、そこで降りれば良い。乗合いリクシャーを拾って走れるだけ走ってみよう。


(上:前を走る乗合いリクシャー。注目して欲しい細かいポイントは、左に写っている道路脇にしゃがみ込んでいる男性、路側帯を走る馬車や逆走する中古トラック、電線など。)

 安宿から中流ホテルが密集している鉄道『シティー駅』に着いた。大きなところから小さなところまで10軒ほど尋ねたが、どこも満室。。ガイドブックにも紹介されている有名な怪しいホテルカードを持った男の紹介した宿は空いているが、もちろんパス。その他にも1軒、空室を見つけたが、シャワーが付いていないのでやめ。とにかく、こんなにホテルで苦労するのはパキスタンで初めてだった。

 くたびれ果て、とあるホテルの電話を借り、ガイドブックに紹介されている『日本人旅行者に人気の安宿』に電話した。シングル150ルピーの部屋があるが、もう少し高い部屋に泊まりたい。電話で交渉しても始まらないし、ここにいても仕方ないのでリクシャーで移動することにした。

 その安宿は、ラホール博物館と城壁の中間にある。散策するには最高の位置。リクシャーで走り始めたが、途中で運ちゃんが値段を釣り上げてきた。もう、ラホールという街は嫌いだ。25ルピーの約束だったが、運ちゃんがぶつぶつ言うので30ルピー払ってさようなら。もっと請求してきたが絶対に払わない。ラホールの最低貸しきり料金が25ルピーであることを私は知っている。

 部屋を見せてもらったが、階段も部屋も狭いので残念ながら断った。

 近辺のホテルをチェックすると、2軒目で希望に近い部屋を見つけた。ツインルーム、ホットシャワー、TV無し、窓あり(相当喧しい)、450ルピー。ただし、ボーイが怠慢で、シーツを替えてくれと頼んだのに、私が見張っていないとしてくれないし、バスタオルもいまだ届かない。悪い奴ではないが、仕事に関してはまだまだである。


(上:やっと見つけた私の部屋)

  ガーデンホテル
  ・ 450ルピー
  ・ ホットシャワー、TV無し、ツイン

 荷物を置いてラホール市内散策に出発。元気よく階段を降り、道路に飛び出そうとしたところ、後ろから日本語で話しかけれた。振り返ると、紳士服を販売する小さな店を経営する男がいた。47才の彼は埼玉県に5年間住んでいたことがあるそうで、日本に女友達もいるという。はー、そうですか。と返事をしつつも、30分以上彼の話を聞き込んでしまった。日本はとても良い国で、今すぐにでも帰りたい。日本に戻れば、他の日本人よりテキパキ仕事をしてたくさん給料をもらっていたし、今でも昼夜を問わず働きたい。パキスタンでは仕事が少ないので、頑張ろうとしてもできない。・・・などなど。彼の話はまんざら嘘でない。


(上:遅い昼食はチキンカレーと焼立てのチャパティー。美味。)

 夕寝をしてから、ラホールの旧市街(城壁内)を散策した。迷路のような路地が入り組んでいることで世界的に有名である、とガイドブックに書いてある通りに素晴らしい。


(上:旧市街へ向かう途中、乗合い馬車がたくさん並んでいた。)

 さて、旧市街は立派なレンガ造りの城壁に囲まれている。城壁内部への入り口(門)に到着した時は、「来たあー!」と歓声をあげたが、同時に足がすくんだ。初めてだし夜だし、ちょっと怖い(写真下)。カメラをポケットにしまい、足がすくまないように早足で歩く。内部の小道は迷路のように入り組んでいるので、絶対に曲らないように注意し、真直ぐ直進する。地図は当てにならないので見ない。三叉路には十分注意して、何回も振り返って大きな目印を覚える。


(上:この門の内側には迷路のような小道が待ち構えている。わくわく。)

 調子も出てきたし、小腹も減ったので夕食。大きなステンレス鍋を覗かせてもらい、小羊のカレーを選ぶ。とはいってもカレーの中身のメニューは本当に限られている。いつも美味しいが、メニューは単調。


(上:小羊のカレーとチャパティー)

(左:ジャガイモや挽肉を練ったものを焼いている人がいたので1つ注文した)

(上:できあがったものは、小麦粉の生地に野菜や肉を練り込んだぴり辛チャパティー。甘いよう気もする白いヨーグルトにつけて頂く。)

(左:素敵なまわり階段を見つけた。自分で鉄材を溶接して作った味わいが良い。また、登り詰めた先にある穴の奥には何が隠されてるのかも興味深い。


(上:靴を作る兄ちゃん達)


(上:ヨーグルトみたいな牛乳)

城壁の反対側に着いた。素晴らしい。これからカメラを構えて本格的に旧市街のスケッチだ。


(上:旧市街地メインストリートの1つ。初夜の散策では、脇道に入ることを許さない。)


(上:色とりどりのジュースを売る男)
(右:お使いに来た少女)
(下:パキスタンで既製服を探すのは難しい。布地を選べば1、2日で仕立ててくれる。)

 


(右:この男はインドから流れてきた。何を売っているのか知らないが、苦労をたくさん知っているようだった。)

 


(上:小物を買う男性。店員も男である。)

(上2枚:男性ばかりの婦人服売り場。服を買いたい女性は、群れをなして入るしかない。1人で服地を選んだりサイズを測ってもらうのは難しいでしょう。ちなみに、女性の売り子は誰1人として見なかった。)


(上:子どもを背負って買い物に来た婦人)
(右:これも婦人服売り場)
 


(上:夜9時なのに、生きた鶏をどんどん捌いていた。それだけ需要があるということで、結構な話だと思う。太っている人はいるけれど、鶏の食べ過ぎではなく、穀物の食べ過ぎだと思う。(注:私はベジタリアンを好まない) パキスタンの人々は贅沢な暮らしをしていないので、鶏を日常的に殺していても新鮮に見えるし、人間のごく自然な行為に見える。気持ち悪いなんて感覚を持っているようでは、偽善者と呼ばれても仕方ない。全ての生物、動物と植物と神に感謝しなければいけない。(注:私は無神論者に近い)


(上:冠婚葬祭用品だと思う)


(上:中央の男性にチャイを奢ってもらった。)


(上:接骨院の看板の裏側に回ると、医者?が患者の足に包帯を巻いていた。)

お疲れ様でした。初めに入った門に戻ってきました。一安心すると同時にとっても満足。明日も歩きます。

(上:城壁の内部へ通じる門の1つ)

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消灯時間: 不明


(上:自室の窓から見た商店街の風景)

 

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