このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です

私の日記

1月4日(日)
                      
◎ ラホール市内散策=====================
1 ラホール博物館 LAHORE MUSEUM
2 バドシャヒ・モスク 
3 ラホール城 LAHORE FORT
                          ラホール泊2
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 7.30 起床
 薬が効いたのか、それとも、昨日排気ガスの少ないところ歩いたのが良かったのか体の調子が良い。元気よく市内散策ができそうだ。メインは勿論博物館。期待している。

 8.00 朝食
 ホテルの食堂で優雅にとろうとおもっていらた日曜定休。なんてこったい。パキスタンは日曜日が休日なのだ。ペシャワルもそうだったけれど、ここも同じで、日曜日に市場には活気がない。シャッターが閉っているから当然。道路いっぱいに散乱したゴミだけが、昨日までの活気を伝えている。

 露天で食事して、結果はこの方が面白い。豆とゆで卵だったつもりが、後から来た人のチキンをみて追加して、湯気でほこほこになったチャパティーと頂いて、そうそう、ここでは、辛くなる粉を振り掛けた。
(上:本日の朝食)


(上:食後のチャイ)

 一旦ホテルに戻り、マックを置いてから再出動する。体調を落とすといけないのでズボンは2枚重ねていこう。


(上:午前8時半、ホテルの前の通り)

 パキスタンの人々は食事に関心がないようだ。ないことはないけれど、メニューが少ない。これは男女の関係を抑制されている結果だろう。また、禁酒の教えは、喧嘩をすくなくしているのでとても良いと思う。日本のように、酒なくしては語れないのような話題はない。全て、しらふのままで平和的民主的に進んでいく。今のところ、アラーの言葉に大きな間違いはない。復讐、あるいは、報復という言葉をちょっと変えるだけで十分だと思う。さあ、8時半になった。歩き始めよう。

ラホール博物館 LAHORE MUSEUM

(上:ラホール博物館正面)
・100ルピー
・スチルカメラ10ルピー(ビデオ50ルピー)

ラホール博物館へGO!

それから徒歩で1度に9万人が礼拝できるバドシャヒ・モスクへ向かった。途中で昼食を食べた。


(上:これは何だか分からないけれど、辛そうだし、あげると言われても困る)


++


バドシャヒ・モスク

 インドのラジャスタンから運んできた赤い砂岩でできている。1度に9万人が礼拝できると言われているが嘘ではない。写真下の中庭に入ると、職業カメラマンが7、8人が待機しているほど多くの人が訪れるモスクである。

(上:私はセルフタイマーを使って記念撮影)
この後、カメラマン達も一緒に撮って欲しいと言うので撮影した

(上: 一面に装飾が施された礼拝所では、信者達が熱心に礼拝していた。なお、右の写真は現場の色を再現するため、かなり乱暴に修正した。)


(上:モスクの回廊から、パキスタン独立を記念して建てられたミナリ・パキスタンが見えた)


(上:礼拝に訪れた人々)

 モスクの入り口右側にムハンマドの聖遺物を展示した部屋があった。拝観させて頂いたが、聖遺物には力が宿っていた。撮影禁止だったので、皆さんに紹介できないのが残念。なお、入場するとき5ルピーを支払ったのに係員が領収書(チケット)をくれないので、ピンと来た私はチケットをもらうまでガンとして入場しなかった。彼のポケットに金が入らないように、アラーの神に代わって私が見守った。(チケットno. 407968)


(上:熱心に床を掃除する人)


(上:モスクの前で居眠りをする老人は賢者のよう)

(右:もうちょっと良いモデルじゃないとつり合わない)


(上:モスク出入り口から、これから訪れるラホール・フォートを望む)


(上:
ラホール・フォートから振り返り、たった今訪問したバドシャヒ・モスクを撮る)

ラホール城 LAHORE FORT
・ ラホールで1番古いと言われている建造物(1622年)
・ 外国人200ルピー


(上:子どもの記念写真を撮るパキスタン人観光客)


(上:繊細な模様のレリーフ)


(上:これまた先ほど訪問したバドシャヒ・モスクのシルエット)

 モスクでは特別なことはなかったが、ここでは「一緒に写真に入って欲しい。」と何度も何度も声をかけられた。こんなおじさんの何処が良いのか知らないけれど、外国人、とくに日本人は珍しいらしい。男ばかりの写真は味気ないものだと思うけれど、肩を組んだり握手したり様々なポーズで写真を撮った。


(上:写真中央のmr. Rafakaにはアイスクリームまで奢ってもらった)

 一旦、モデル依頼を引き受けてしまうと、我も我もと次から次に「一緒に撮ろう。」と頼まれる。「本当に俺で良いのか!」と声に出して自問するが、間違いないようである。彼らにしてみれば、休暇をとって観光し、親戚と出会い、高額なカメラを持ってきているのだから、珍しい外国人と一緒に写真を撮るのは楽しみであることは間違いない。言葉は全く通じないけれど、無邪気な男達と愉快に過ごすしかないようだ。


(上:またまた撮りました。彼の名前は、MR. Attete Ali)

 こうして撮っているのを見物されて、また我も我もと・・・有名人になった気分で、そそくさと足早に退場するのでした。


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 小腹が減ったのでコロッケを頂く。

(上:気分は上々、味はまあまあ。5ルピー)


++

 それから、旧市街を散策した。太陽は沈みかけていたが、パキスタン最後の夜はラホール旧市街散策で締めくくりたい。


(上:旧市街にある小さなモスクの1つ)


(上:これは旧市街でもっとも美しいレリーフを持つと言われるモスク)


(左と上:外観も美しいが、内部も確かに美しい)


(上:内部壁画の一部)

 モスクの外には綺麗な幕が張られ、宴が催されていた。結婚式のようだ。ずかずかと侵入することもできそうだが、主役は新郎新婦なので、もうここは絶対に気がつかれないようにそっと覗くだけにする。


(上:結婚式の会場)


(上:が、あれよあれよと言う間に子供達が集まってしまった。)


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19.00? 夕食(旧市街で)
 期せずして夕食を奢ってもらった。奢ってもらうと、かえって気を使うので対等の立場で付き合いができない。彼にしてみれば、いつものように旅人をもてなしているにしぎないが、慣れない私は居心地が悪い。具体的な金品をもらったり、何かの約束をすることはなかったが、彼の長い話をじっくり聞かせてもらった。


(上:野菜のカレー、臓物のカレー、焼立てのチャパティー)

 「君の宗教は何だ? えっ、宗教がない! それは大変なことだ。じゃあ神はどこにいるのだ? えっ、全てのものに神がいる! だとしたら、善悪の区別はどうするんだ?」「盲人は1人で道を渡れない。足がない人も1人で道を渡れない。しかし、盲人と足がない人が協力して、盲人が足がない人を抱きかかえれば道を渡れる。このように人は協力しなければ生きていけない生き物だ。」

 「宗教より大切なのは、人間として協力することだ。これには君も賛成するだろう。それが宗教以前の宗教だ。その次に、君が日本人で私がパキスタン人というような国籍がある。」

 「私は時間に興味がある。時間は全てを作る。時間をかければ何でもできるし、ずっと生きいていれば全ての歴史を知ることができる。10年経てば世界は大きく変化するけれど、それは時間によってもたらされる。時間とは何か。時間を作ったのは誰か。神が作ったという人がいるけれど、私はそう思わない。時間が神を作ったかも知れないし、時間と神は等しいかも知れない。」


(上:右端の男性が私に食事を奢ってくれたmr.Tariq Qamar。食堂の前で記念撮影。)

 長い会話の後、彼の家を訪問した。長男がTVでクリケットの試合を見ていた。大きな身体と落ち着いた物腰から判断して、とても大切に育てられてきている。25歳だけど、ちょっと腹が出てきた未婚男性。国内最大のバス会社の運転手として勤務しているが、将来はオーストラリア、カナダ、日本で働きたいと希望している。私の職業的視点(中学校教諭)から見ると、彼は現代日本社会と同じように過保護に育てられた青年のようだ。が、同時に彼は十分なチャンスに恵まれていないとも感じた。チャンスがあれば飛躍的に成長するだろうが、大切なのは本人の貪欲なチャンスを求めようとする意志と時間だろう。


(上:彼の家の居間で記念撮影)

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