このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です |
私の日記
12月23日(火)
◎ 名古屋からカラチへ ==================
OSAKA(Japan)
11.10→ 15.30 BANGKOK
17.30→ 21.05 KARACHI(Pakistan)
カラチ泊
==============================
4.55 起床
・ 母からの電話で起きる
・ 実家へ移動し、現金、小切手、カード、顔写真、方位磁針、無添加石鹸
などをパッキング
5.10 朝風呂
・ 特に何もアルでもなし
5.25 朝食
・ 昨日、越前で購入したという鯛と鯵の干物が出てきた
・ 旨かった
5.51 地下鉄『御器所』駅から、桜山線『中村公園行き』に乗る
・ 名古屋まで13分
・ 御器所から名古屋駅方面への地下鉄は、5.41(始発)、5.51、6.01
・ JR名古屋駅で、関西空港までのチケットを購入
・ 名古屋→(新幹線『こだま』)→新大阪→(特急『はるか』)→関西空港
・ 7500円
6.22 新幹線に乗る
・ 名古屋始発、各駅停車の『こだま』
・ 乗車時間は1時間強だったと思う
(上:7時10分、京都を過ぎたところで太陽が昇ってきた)
・ 空席がらがらなので、気分が良い
7.48 関西空港行き『はるか』に乗車
(上:今度も空いているだろうと余裕をかましていたら満席)
・ 1時間立たされた
・ これを利用するなら、始発『京都』からどうぞ
8.50 関西空港着
・ 早く着き過ぎた
・ 出発2時間20分前
・ そそくさとチェックインをして出発ロビーで寝る
・ 出入国カードの提出がなくなった
・ ただし、出国スタンプがパスポートに捺される
(上:海に浮かぶ関西空港)
11.10 関西空港発
15.30 バンコク着
(上:大阪で作られたタイ航空の機内食。)
・ 安い材料で美味しく調理されていた
・ 赤ワインは美味
・ その後、ポール氏につられて、ビールとブランデー
青い目と緑のネクタイのポール氏は、とても日本語が上手だった。それもそのはず、
彼は大阪のとある学校で、日本人に古典と漢文を教えている。茶道と華道の免許も
持っている。さてさて、彼の目的地ミャンマーへの旅行は、今回で19回になるそ
うだ。恵まれない子供達のために、学習用品を届けるボランティアをされているが、
今回は知り合いがプレゼントしてくれた『カチューシャ』をボストンバック一杯(
それを3つ)も持ってきた。入国時に関税で問題にならないか気にしていたが、僕
の予想でも、絶対に税関で問題になると思う。頑張ってね。
(上:MR. EASTER PAULと私)
18.20 バンコク発
・ 飛行機の出発は、50分遅れた
・ 飛行機に乗っている時間は、5時間10分
・ 日本とバンコクの時差は2時間
・ 日本とパキスタンの時差は4時間
21.00
今は空の上。飛行機に乗ってちょっと落ち着いたところだ。早く夕食を頂いて、
早く寝たい。
(上:待つこと1時間半、やっと出てきた夕食)
(上:カラチ国際空港に着陸する直前に写す。露光時間4秒。)
20.45 カラチ着(Pakistan)
入国審査に時間がかかった。30分並んでいたけれど、全く進まないので馬鹿らしく
なり、ソファーで行列の行方を伺った。審査の列は5つあるが、そのどれもが遅々と
して進まない。あまりの職務怠慢に腹を立てた乗客が審査官のところへ歩み寄り、怒
鳴り声を上げ始めた。何回かトラブルが発生した後、私が並んでいた列は解散。そこ
に並んでいた乗客は他の列に分散した。哀れなものである。私は目を閉じた。疲れで
何も考えることはしなかったし、憤りも焦りも感じなかった。さらに20分ほどする
と、先ほど解散したブースに立派な身なりをした検査官が入り、テキパキと処理を始
めた。私はその列に並んだ。お陰で、私は他の列より早く自由の身になれた。私を見
ていた人は、私を羨ましいと思うほどの気力もなく、ただ絶望と疲労で同じ列に並び
続けていた。入国スタンプは、パスポートの縁から捺してもらいたかったが、机に散
乱した入国カードから判断して、お願いできる状況ではなかった。
次は、両替。許可書を持ったポーターらしき男性に尋ねると、ここの両替所のレート
は悪いので街の銀行を勧めてくれた。私は最低限度必要な20ドルを両替した。1010
ルピーになった。それから、ターンテーブルの下に転がっていた私の荷物を拾い上げ
外に出た。空港の外には、いくつかの飛行会社がチケットを発券していた。明日乗る
予定の鉄道も、この空港に発券窓口があったようだが、残念なことに午後10時で閉
った。
それからさらに100ドル両替した。5630ルピーになった。良いのか悪いのか分
からない。それにしても、客引きの数が少ないのにびっくり。初めて歩くパキスタン
の空気を自分のペースでゆっくり呼吸できる。どんなに歩いても私から声をかけるば
かりだ。
街まではタクシーを使った。到着が遅くなったので、公共バスを使うのは危険と疲労
を伴う。空港を出た所で10ルピーを支払い、メーター付きタクシーを手配してもら
った。しかし、チケットと引き換えに乗ったドライバーは、「350ルピー払え!」
「350ルピー払え!」とくり返している。よくよく見ると、このタクシーにはメー
ターがない。「やばいかも?」と思い、タクシーを止めろと強く催促すると、ドライ
バーはまるで手品師のように、さあーっとダッシュボードにかけられた白い布をとっ
た。『メーター』が現われた。電源は入っていない。私が手当りしだいにボタンを押
そうとすると、ドライバーは慌ててメーターを動かした。それでも外国人から法外な
料金を請求したい彼は、走行途中にエンジンを切ってメーターを0に戻すなど様々な
試みを行ったが、結果として、私は相場よりも安い150ルピーで、彼と別れた。今
回の旅は、私の勝利から始まった。儲けることもあれば損をすることもある。醜い行
いをした彼の負けである。一応、チップとして30ルピーを用意したのに、拒否した
彼の失敗も大きい。
23.45 ホテルにチェックイン
・ ホリデー・ホテル
・ サダル地区(危険らしい)の中心にある
・ 地元の人に尋ねても、その位置を知らない
・ ダルブで500ルピー(シングル料金にしてもらった)
・ 24時間利用できる(すばらしいシステムです)
それから、夜のサダルを散策した。
後から得た情報では、この地区は昼間でも危険らしい。
ゴミが散乱していたけれど、危ない感じはしなかった。店はほどほどに開いていた。
続きをどうぞ! 私の日記 12月24日
↑このページのTOPへ
(c) 2003-2004 fukuchi takahiro [→home]