このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です

  私の日記


  12月24日(水)
                      
  ===<カラチ市内観光>================
  ・ 鉄道駅で外国人割り引き証を作ってもらう
  ・ カラチ→ モヘンジョ‐ダロのチケット購入
  ・ 国立博物館(水曜は休館日)
  ・ 
カイデ・アーザム廟
  ・ ディフェンス・ハウジング・ササイアティー(DHS)・モスク

  ・ カラチ港で蟹を喰う

  20.15 カラチ(夜行列車、一等寝台車)→

                           車中泊
 
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  0.20 夜食
  小腹が減った。ピザやハンバーガーなどファースト・フード店の灯りはついてい
  ても、パキスタンで最初の食事は地元レストランにしたい。道を見失わないよう
  に歩くと、何本目かの通りで好い感じの店を見つけた。適当なテーブルに座ると
  水とチャパティーが来た。
  

  (上:来ましたチャパティー。死ぬほど嬉しい。)

  手が伸びて、ぱく。「うまい!」 たった今、店の奥で焼いたばかりだから当然だ。
  さて、何かを注文しなければいけないが、何を注文すれば良いのか分からないので、
  隣の人が食べていたチキンを頼んだ。

  
  (上:チキン38ルピー、チャパティー2.5ルピー。合計42ルピー、82円)

 
  (上:お店の人が撮影して欲しいんだって、)
  これから先、街角で男性を撮影することはいとも簡単だった。一声かければ、喜んでオ
  ッケーしてくれる。外国人に声を掛けれるだけでも嬉しいようだ。私もハッピー、あな
  たもハッピー、こんな素晴らしいことはない。(本当です)これから行くモヘンジョ・
  ダロ(世界遺産、インダス文明の中心地)では、カメラを持ったパキスタン人が、私と
  一緒に写真を撮りたくて、私を中心に何枚も記念写真を撮った。1回や2回の話ではな
  い。日本人って、そんなに珍しいのかなあ。

 
  (上:宿へ帰る途中にちょっと撮影)
  午前0時を過ぎでも、いくつかの屋台が商売をしていた。それほど危険は感じなかった。
  誰もが闖入者をチェックしているけれど、、、

    1.00 消灯
    寝る前に時計を4時間戻した。
    シャワーを浴びた。
    日本から持ってきたシャンプーとリンスが心地よい。
    ↓
    ↓
    ↓

    6.25 起床
    窓の外では、車の喧噪がこだましている。

  8.00
  まだ部屋で日記を書いている。
  もうすぐ出動する。
  それにしても、この部屋を午後11時45分まで使えるなんて夢のようだ。パキスタン
  のホテルはチェックインから24時間使える???

  8.30 朝 食
  朝食は宿の正面にある小さなレストラン。焼き立てのチャパティーが出てくると同時に
  手が伸びた。これは夜食と同じで致し方ないことで、美味しそうなものは1秒たりとも
  放置できない。次に出てきたのはチャイ。チャイとは、煮え立った牛乳でしっかり出し
  た紅茶である。たっぷり入った砂糖は、朝の1杯には最高である。本当はジュースをご
  くごく飲んで水分補給したいが、美味しいチャイに免じて許してあげよう。次に出てき
  た目玉焼きは、油まみれで苦労した。
 

  それから今日の夜行寝台を予約するためシティー駅まで歩いた。約3キロ。面白い道
  もつまらない道もあるけれど、旅行と関係ないことを思いながら歩いた。日本での身
  の振り方を考えていた。

 
  (上:とある交差点の風景)
  ・ 派手にデコレーションされた市バス
  ・ リクシャー(ちんちん)と呼ばれる三輪車
  ・ 自転車は、珍しいかも
  ・ バイクはそこそこ
  ・ 本当に汚れた空気なので、呼吸したくない
  ・ 信号はどうなっているのか分からない(とにかく横断するべし)

  10.00 鉄道駅(シティー駅)にて
  駅の観光局で申請すれば、外国人観光客は25%割引きになるシステムがある。博物
  館や遺跡の入場料は20倍(外国人料金)が普通なのに、なぜ鉄道だけ安くなるのか?
  僅かな金を稼ぐことより、そのようなシステムに興味がある。これから何時間浪費す
  るか分からないが、割引証の発行にチャレンジする。

  さて、係員に尋ねること3人目にして、ようやく目的の観光局に辿り着いた。しかし、
  いきなり大ピンチ。ホテルにパスポートを忘れた。交渉したけれどダメなので、腹に
  巻いてある貴重品袋をさばいた。査証のコピーが出てきた。「むむっ、これで何とか
  なるかも!」 案の定、何とかなって入室許可書を作ってもらった。アラー神は、ド
  ジな日本人観光客に微笑んだ。さらに、1人の係員が2階の一番奥の部屋まで案内し
  てくれた。哀れな人に対しては、誰もが優しくなってしまうのね。

  申請書を記入する段になり、またまたパスポート問題が浮上した。当然である。問題
  はより深刻である。目の前に現れたのは融通の効かない若者風係員だったので、さら
  にもたもたの外国人を演じ、うやうやしく例のコピーを差し出した。作戦大成功。出
  来上がるまでに1時間かかったけれど、感謝感謝の割り引き証である。ありがとう。

 
  (上:シティー駅の観光案内所の室内には、風化中の書類が山積していた)
  同じような書類は、どの部屋にもある。それに埃を感じないのは、その書類そのものが
  塵(ちり)になりつつある証拠だ。誰が、何時、何故、何のために作成したのか、そし
  て、どのように処分されるか誰にも分からないだろう。これもまた、アラー神のみぞ知
  る。

  割引証を手にした私は、アッパークラスの切符売り場に並び、カラチからモヘンジョ・
  ダロまでのチケットを買った。そこから乗り継ぐバハワプールまでのチケットは、買う
  ことも予約もできなかった。モヘンジョ・ダロ駅でしか、購入できないらしい。
  ・ 1等寝台車(240ルピー、480円)
  ・ 安過ぎるので心配です

  11.00 ちょっと早い昼食
  
  (上:パン屋さんでひと休み)
  これから国立博物館に突入するので、腹ごしらえします。

  11.30 カラチ国立博物館
  博物館は水曜定休だった。ショックだったけれど、アラー神の思し召しなのですぐに諦め
  た。そんな自分が不思議だった。もう入り口のガードマンの男がチャイを御馳走してくれ
  た。彼は英語を話せないけれど、私を歓待してくれた。チャイを飲みながら、自分が死ぬ
  までに、再びカラチ博物館を訪れることも彼に奢ってもらうこともない、と感じていた。

  
  (上:博物館のガードマンと写す)

  博物館以外に興味がなかったので、カラチでの目的は果たしてしまった。ガイドブッ
  クを読み直し、パキスタン共和国を建国したのカイデ・アーザムの墓を訪ねることに
  した。彼の霊廟まではリクシャーを使った。さっくり移動したかった。

 

  (上:パキスタンで初めてリクシャーに乗る。30Rs、60円。)
   ・ 市内は比較的空いていたように思う

 
  (上:たまに馬車を見かけた。馬を操っていたのは親子のようだった。)

  12.15 カイデ・アーザム廟
  遠くに鼓笛隊の音がする。小太鼓、トランペットのリズムに合わせて衛兵が交代している
  ようだ。私は走った。時計は12時を15分回っているから、今すぐ終わってもおかしく
  ない。緑の芝生を走り抜けると、白い大理石の床になった。さっさと靴を脱ぎ、係りに預
  けた。とにかく急いだ。

 
  (上:これは終わったあとに撮影した練習の様子)

  ほとんど交代式は終了していたが、ちょっとだけ乱れた足並みを見学できたので満足。
  補足:日本の自衛隊の行進を見たことないけれど、
北朝鮮>パキスタン>日本だと思う   

  式が終了すると、パキスタンの観光客と一緒に大きな白い建物に足を踏み入れた。そこ
  は静かな落ちついた空気に満たされていたが、同時に、地方からきた観光客の感動にも
  包まれていた。

 
  (上:ノーファインダーで女性を撮影した)

  
  (上:建国の父、ムハンマド・アリー・ジンナーの棺)

 
  (上:カイデ・アーザム廟の外で、ランチを楽しむ家族)

  楽しかったので欲が出て、次は世界最大のドーム型モスクを訪ねた。

  ここへもリクシャーを利用した。しかし、リクシャーの運ちゃんは誰も知らないし、モ
  スクがあるデフェンス地区に来ても、何度も道に迷った。地域の人に訊ねても知らない。
  直径72メートル、世界1であっても、モスクは観光客が見物する対象ではない。この
  巨大モスクは、たまたま近くに住んでいる信者が祈るための場所であり、遠くの信者が
  わざわざ出掛ける場所ではない。私は、パキスタンには本物の信仰があることを感じた。

  ===

  14.00 ディフェンス・ハウジング・ササイアティー(DHS)・モスク
  足を1歩踏み入れると、かなかな蝉の鳴き声のように、子供の笑い声がこだましていた。
  音が全反射し、ドーム全体で何回も何回も響きあっている。今は礼拝の時間ではないの
  で、小さな子供達がモスクの片隅に集まって勉強をしているのだ。内容はもちろんコー
  ラン。神の言葉である。

  私は、信者達が一斉に言葉を復唱する時を想った。地鳴りならぬ天鳴りのような、神の
  言葉が聴こえるのだろう。

  それから、ゆっくり中央に向かって歩いた。10歩ほど進むと、天井がきらめき始めた。
  ガラスのタイルがはめ込んであるのだ。自分の歩みに連れ、夜空に瞬く星がその位置を
  変えた。自分が、いくつもの天の川を創造しているようだった。

 
  (上:DHSの内部。壁面は美しい大理石のモザイク。)

  ===

  
  (上:大満足の帰り道。市バス内で写す)

  さて、宿のあるサダル地区まで戻ったのは良いが、夜行寝台車の出発まで4時間ある。
  まだまだ遊びたい。どうしようかガイドブックをぱらぱらすると、何と、パキスタン
  で海を見るチャンスは、ここカラチしかない! 船を貸し切り、蟹釣りをして、船の
  中で調理したものを食べるのが面白そうだが、そこまでできなくとも海を見たい。

 
  
(上:市バスで移動しました。)

  たまたま乗車したバスは、とくに凝った装飾なので撮影しました(写真下)。尚、写真
  中央のステンレスの格子は、女性専用と男性専用の座席をわけるためのもで、私は後部
  の男性専用シートから、前の女性専用部分を写しました。写真左端に写っている男性は
  車掌さんです。

  

 
 (上:カラチの日常の風景)

 
 (上:カラチの日常の風景、サダル地区北部)

  海らしきものが見えてきて嬉しいです(写真下)

 

 ど派手なバスばかりの車庫を発見。バスの窓からシャッターを何回も何回も押す(写真下)

  ===

  16.00 カラチ港着

  さて、ここからは画像がございません。港は撮影禁止なのです。たいしたものはないと思
  うけれど、それは素人の考えで軍人様には大きな意味があるのでしょう。

  海を見るだけのつもりが、「かに、かに、」の声に誘われるまま、帆かけ舟に乗り、日本
  では絶対に食べないような(舟底から出てきた)ワタリ蟹を茹でた皿と炒めた皿を食べて、
  それから、モーター付きの漁船に乗り換えて海に出て帰ってきた。初めの舟に乗ってから
  岸に上がるまで45分。信じられない超スピード。500Rs、1000円。何が何だか
  分からないけれど、今は蟹のシーズンではないからお勧めしません。冬は早朝に魚釣りし
  て、それを舟で調理してもらって食べて、それから、漁民だけがいる島を2つに上陸(港
  の警察で許可書を発行してもらう。船主が手配してくれます)して散策する、以上4、5
  時間のお遊びをすることをお勧めします。1人なら700Rsぐらい、2人でも800R
  sぐらいでしょう。叩けば500Rsかもね。

  ===

  ふーサダル地区に帰ってきた。

  思い起こせば、今日はクリスマスイブ。いまだ街中でキリスト教会もサンタのおじさんも
  見たことないし、クリスマスソングも聞いたこともないが、露天に飾れられた
のク
  リスマスカラーで思い出した。全然関係ないのかも知れないけれど、何だかちょっとだけ
  メリーな気分になりたい。イスラム教の信者にとっても、マリアの誕生はおめでたい。キ
  リスト教もイスラム教も、同じ宗教(神)から発生している。イエス・キリストは神の子
  『救世主』であり、アラーは神の言葉を伝える『(この世で最後の)預言者』である。と
  にかく、今日はめでたい日なのである。(私はメリー気分だけだけど、、、)

 

  20.15 列車の出発時間だった
  鉄道駅では、自分の乗る列車の番号と部屋・ベットの番号を受け取る必要があった。15
  番窓口に並ぶと、すぐに自分の席を指定してくれた。コンピューターは作動している。私
  のコンパートメントは4人部屋で専用トイレがついている。そこまでは良いけれど、私の
  ベッドは下段だったので、寝るスペースが狭いし、早々に寝込めない。だから、駅員と交
  渉して上の段に変えてもらった。上段が空いているので両方使っても良いとの返事だった。
  寝袋を出したけれど、暑いので脚のチャックを開けて胴体だけにして寝た。それでも暑い
  ので、全部脱いで、寝袋を頭の上からかぶった。2つの白熱灯が私の頭上で煌々と輝いて
  いるからだ。

  後から入ってきた2人のパキスタンの青年は、機関銃のような英語で私に話し掛けた。何
  を言っているのか半分分からなかった。
  
  (上:列車の扉が開くのを待つ人々。先を争うことはない。)

 
  (上:1等寝台は4人部屋になっていた。)

続きをどうぞ!

私の日記 12月25日

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