このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です

  私の日記


  12月27日(土)
                      
  ◎ 移動日 ============================
  →(昨日からの寝台列車)→ 17.00 ペシャワル
                              ペシャワル泊
 
 ==================================

  7.20 ラホール着
  まさか、ラホールとは思わなかった。パキスタンの芸術・文化の中心と言われるこの
  地は、パキスタンに別れを告げる出国ポイントでもあるので、偶然、朝食を買に降り
  て駅名を見たときは本当に吃驚した。

  注意: 何分、何10分停車しているのか誰にも分からないけれど、発車前には長い
  ホイッスルが2回鳴るし、万一、発車しても車両の扉は開いたままなので、いつでも
  優雅に飛び乗れる。だから、ゆとりで朝食を食べられる。

  何はともあれ、昨夜も食事を抜いてしまったので、今朝もチャイとスナックでは面白
  くない。朝食したい。米かチャパティーを食べたい。長いプラットホームに点在する
  キオスクを早足で回ると、1軒だけ米を出していた。豆入りカレーライス。20Rs
  (40円)。悪くない。さらに別の店で、チャイとパイとケーキ。ただし、パイは油
  臭いので吐き捨てた。これで腹一杯になったけれど、チキンサンドの店を見つけて精
  神的な空腹感を満たした。が、さすがに途中で食べれなくなり、物乞いにプレゼント。
  年老いた彼は無言で受け取り、私の目の前で立ったまま食べた。白い食パンに挟まれ
  た鶏サンドは、生まれて初めて食べたのかも知れない。

 
  (上:重たい荷物を運ぶ3人のポーター)

 
  (上:朝日に輝くプラットホームとライフルを持った警官)

 

  ラホール駅には30分以上停車していた。腹一杯食べたし、たくさんの人と話した。隣の
  車両に乗っていた割腹の良いパキスタンの男性は、東京で10年働いていたそうだ。頭の
  回転が早く、日本でも社長に大切にされていたと話していたが、嘘ではないと思う。30
  人ぐらいの小さな会社で、社長の家に住み込んで3食共にし、どんな雑用でもしていたそ
  うだ。パキスタンは街中汚いので、もう一度、日本で働きたいと繰り返していた。彼には
  十分できると思うけれど、パキスタンに残される家族は寂しいだろうな(これは推測だけ
  ど、、、)。尚、彼が私にかけてくれた最期の言葉は、どろぼうが多いから注意してね!

  (写真下)ラホールからワラールピンディーへ向かう途中の街。ちょっと雰囲気が違って
  きた。もう18時間列車に揺られているから当然ですね。気候も風土も生活も変わります。
  寒くなってきた気分。

 

  (写真下)踏み切りを通過。首都ペシャワルにも近いので、何となく広々とした感じがする。

 

  (写真下)レンガ工場。6000年前と変わらぬ風景でしょう。煙突の高さは違っても、
  良質の土が産出するところに工場あり。原料のあるところで生産する。品質に間違いはな
  いでしょう。それしても、地震が発生する地域で、昔と変わらぬレンガを焼き、それを積
  んだ建物に生活する。耐震性はゼロ? 日本なら建築基準に違反しているけれど、僕はこ
  れも良いと思う。安全や快適な生活を追求するより、こうして土を焼いた家に生活する方
  が人間らしい豊かな生活ができると思う。地震や大洪水によって全てを失っても、また再
  生する。再生するものが豊かさなのであり、安全や保障は豊かさの基準ではないと思う。
  日本人は何を得て、何を失ったのか。パキスタンの持つ豊かさを尊重し、自国の価値観を
  押しつけないよう、そして、全ての国の人々が地球規模で再点検する必要があると思いま
  す。

 

  13.40 ラワール・ピンディー
  乗客のほどんとが降りて、車内はがらがらになった。やっとパソコンを開ける気分にな
  った。予定では、あと4時間以内にペシャワルに到着の予定だ。たぶん上手く着くと思う。

  (写真下)がらがらになった1等寝台の車両。写真中央上部に、私の赤い寝袋が写ってい
  る。つまり、それが私の指定席で、24時間いつでも寝ていられるけれど、座る場所がな
  いので誰かの席をお邪魔することになる。それはそれで楽しい。
 

  (写真下)手の甲に描かれた模様。同じような紋様はこれまでも何回か拝見したが、撮影
  するチャンスはここしかなかった。どんな意味があるのか、どんな背景があるのか、とて
  も興味がある。今日は撮影するだけで精一杯。

  (写真下)赤い服を来たポーター達
  

  (写真下)線路沿いのテントは難民キャンプなのか、それとも、名古屋市でもお馴染みの浮浪者
  なのか。その違いは大きいようだけど、同じかな。ちょっと考えてみたけれど、根本的な原因は
  同じでしょう。

 

  (写真下)鉄道の陸橋工事。新しい橋を建設していた。
 

  (写真下)ヒマラヤ山脈は見えないけれど、内陸部に入ってきた気分。寒くなってきまし
  た。馬やロバが増えてきたような気もするけれど、これは気のせいでしょう。

 

  (写真下)とある駅の移動式キオスク。こうした商売を営む人々の1日の売り上げを計算
  すると、(全部売れても)少ない。それでも、屋台を持たずに売り歩く人よりは裕福だ。
  ・・・平均的なパキスタン人の収入は? ・・・ある国の平均を出す、その考え自体、日
  本のように均一化された生活をしている国民の発想であって、貧富の差が何桁もあるよう
  な国では、『平均の定義』が極めて難しい。パキスタンで平均値を求めれるもの?・・・
  年収など金の計算は難しいけれど、その代わりに現代日本が失ってしまった公正と平和、
  誠実さ、人の優しさなら、日本よりはるかに高い水準で求められる。片寄った考えの人は、
  1日の売り上げやGNPを計算して、それらを比較し、数字を上げることに専念するが、
  それが不公平と戦いの始まりです。毎日の生活に苦しむパキスタンの人々は、汚れてぼろ
  ぼろになった小額紙幣を何回もくり返し数えているけれど、それでも僕は公正と平和を感
  じる。興味本位の凶悪犯罪、自己中心的な殺人事件、売春や婦女暴行の匂いを感じない。
  パキスタンに心の健康と安全を感じる。

 

  (写真下)列車の影が伸びてきた。目的地『ペシャワル』が近づいてきた。

  そう、その前に書き留めておきたい事件がある。私の靴がなくなった。「盗まれた」という
  より「私が放置しておいたので拾っていかれた」という出来事。ことの顛末を記述すると、
  昨夜、寝袋に入る前に靴を脱いだ。当然である。起きてから、サンダルを履いた。1等車両
  は暖房が効いているので自然の成りゆきである。ここでリュックに靴を片付ければ事件は発
  生しなかったが、そのまま椅子の下に置いたままにした。持っていった人のために、もう少
  し状況を付け加えると、ラワールピンディーでほぼ全員の乗客が降りた後に靴が放置されて
  いたので、誰かの置き忘れか、捨てていったと判断して間違えない。最終駅なら100%だ
  けど・・・。うー、このように書くと私のミスが大きいが、実際その通りで。これから雪国
  に向かおうとしている旅人にとって、履き慣れた靴はとっても貴重なのである。何で、ここ
  から靴下にサンダルなのか。とほほ。

 

  18.00 ペシャワル着
  冬の太陽は沈んでいた。駅前から市バスに乗った。市街地への行き方を訊ねた警察官は
  乗車料金(3ルピー)まで教えてくれた。私は5ルピー紙幣で払ったが、お釣はなかっ
  た。でも、目的のホテル『ローズ・ホテル』の目の前で降ろしてもらったから気になら
  ない。

  そのホテルは、旧市街のバザールの外れの大きな交差点に面している。ここに宿をとる
  のは簡単だけど、簡単に着き過ぎてしまい面白くない。ここはちょっと冒険気分でリク
  シャーに乗る。気になる歴史的な様式を残した高級ホテルを訪ねた。

  18.30 カーンクラブ
  パキスタンで1番かも知れないと言われる250年の歴史を持つホテルを訪ねたけれど、
  生憎改装中で宿泊できなった。しかし、店番をしていた青年にホテルの中を見学させて
  もらった。

 

  ねっちょ、ねっちょと生乾きのペンキの上を歩く。歴史的建造物の階段に私の靴痕が残
  された。幅50cmの螺旋階段を昇り、パチンと電気をつける。裸電球1つにあぶり出
  された室内の真ん中には、ペンキを塗るため斜になった欧風家具、天井から外されたシ
  ャンデリアなどが転がっていた。それでも、1つのフロアーに2室しかない贅沢なつく
  りがよくわかる。さらに狭い螺旋階段を上がり、別な部屋を見学させてもらう。充満す
  るペンキの匂いにむせながらも、誰もいない高級ホテルを散策するのは楽しかった。屋
  上から見たペシャワルの夜景は、街路灯もイルミネーションも期待していたほどではな
  かったが、案内してくれた彼との会話は弾んだ。宗教や結婚のことを話した。

  19.00 夕食
  宿のそばのレストランにて
  吃驚するほど美味しいものではないが、羊のシシケバブを食べて満足している。それよ
  り、コーヒーが素晴らしい。インスタントコーヒーが瓶ごと、受け皿に載って出てきた。
  素晴らしい。自分で好きなだけ何杯でも飲める。そのブラック・コーヒーを初めて口に
  した時・・・カフェインに痺れた。意識が遠く無くなるような感覚は、初めて薬を飲ん
  だ子どものような驚きだった。

 

  ===

  戒律を作ろうと思う。
  1 酒を飲み過ぎるな
   ・ 週に3日の休肝日を作れ
   ・ 意識不明の深酒をした場合は、1ヶ月の禁酒とする
   ・ 二日酔いをした場合は、1週間の禁酒とする

  2 寝過ぎるな
   ・ 
  3 隣人に話し掛けよ
   ・ 1日に1回は、見知らぬ人に話し掛けろ
  4 テレビをつけるな
   ・ 見たい番組以外は、絶対に見るな
   ・ また、1週間の合計時間は7時間とする(ニュース、教養番組を除く)
   ・ それを超えた場合は、1週間の禁テレビとする

  自分の宗教に着いて考えている。宗教という言葉は適切ではないけれど、私には私の宗教がある。
  あるいは、仏教徒。チベット仏教にしようかな。

  ===

  それから、初めの宿に戻りペシャワルの街を歩いた。旧市街の市場をちょっとだけ歩いた。

 

  (写真上、下)市場の東にある映画館前で

 

 

  鉄道の中でも、ペシャワルの市内でも、パキスタンについてどう思うか何度も聞かれた。
  その度に、私はパキスタンは平和な国、ムスリムは平和主義だと力説した。カシミール
  問題については、それはパキスタンでもインドでもなく、カシミールはカシミールのも
  のであると力説した。以上2つの主張は、パキスタン国民の誰とも一致していていた。
  そして、アメリカは侵略戦争をする国家であること、つまり、自国のインデアンを迫
  害したことから始まり、インド、中国、ロシア、カンボジア、ベトナム、イラクと戦争
  をしていることについても意見が完全に一致した。資源がなく、侵略される恐れの少な
  いパキスタンにいると、アメリカは本当に嫌な国、人殺しによって略奪をする国としか
  思えない。また、アフガニスタン人の半数はテロリストだというけれど、人殺し国家に
  反対する勇気ある人々という考えにも半分だけ賛成できる。パキスタン政府も、本音の
  部分でアメリカの侵略に反対しているので、とても健全な精神をもった政府だと思う。
  日本政府については、アメリカの言いなりになっていることや資金援助のほどんどが企
  業のためになっていることなど、あまりパキスタンの人々に知られていない。それで私
  はほっとひと安心しているけれど、実際イラクに自衛隊が派遣されてしまうと状況は一
  変するかも知れない。今のところの私の感触では、日本はアメリカに隷属してる国とし
  て映ることになると思う。人殺しなるくらいなら、奴隷に甘んじてよい。

  ===

  アラーの神は、全ての創造神である。ムハンマドはこの世で最後の予言者で、これから
  後に現れることはない。コーランは、神の言葉を全て書き記してあるので、これから先
  困ったことがあったら、コーランを読めば必ず解決する、というのがムスリムの考えだ。
  とても平和的で、私は悪くはないと思う。いかに平和的であるかは、彼等の目を見れば
  分かる。本当に平和的で、自制心に富み、勤勉だ。

  それにしてもムハンマドの考えは、とても禁欲的で、よくそこまで思いきった戒律を作
  れたものだと感心する。例えば禁酒。おそらく、酒に溺れた人が蔓延してた世の中で、
  彼は禁酒を説いた。凄いと思う。次に女性の身を隠す。身体を完全におおってしまう。
  結婚の前も後も、一切他の異性は知らない。これもセックスが反乱する社会において作
  った、空前絶後の厳しい戒律だ。それに断食月。これまた、信じられないほど厳しい。
  普通に生活している人にとって、いきなり1ヶ月にわたる断食(太陽が出ている時間)
  を強いることは、ある人間の人生そのものを変えるほど大きな影響力を持つ。ムハンマ
  ドは、非常に厳格な政策を打ち出した、という点において本当に偉大な人物である。自
  由や個性の発見より、遥かに凄いと思う。そんなに厳しいことは普通の人では絶対に言
  えない、できない、予想も想像もつかない。その戒律の厳しさにおいては、他の宗教に
  追随を許さない。本当に平和な宗教であり、金銭も必要としない。

  ===

  列車の中で靴が無くなったことは本当に悔しい。自分のミスによることころが大きい。
  もっと早くバックの中にしまっておけば、まるで置き忘れのように思われることもなか
  ったろうに、、、どうせ取られるなら、これから役にたたなくなるサンダルにして欲し
  かった。靴は歩き易いものを購入するのは難しいし、その手間が面倒臭い。それもまた
  旅の1つに加えるのも一興だが・・・、うーん、うーん。これから雪もある地域に行く
  というのに!!! カメラやパソコンが被害にあっていないだけホントに幸せだと感謝
  しよう。それしかない。

  そしてもっと十分に注意する必要がある。靴で幸い、と考えよう。

 
  (上:ペシャワルの宿。ここには2泊した。)

続きをどうぞ!

私の日記 12月28日

 このページのTOPへ



 (c) 2003-2004 fukuchi takahiro [
→home]