このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です |
私の日記
12月28日(日)
◎ ペシャワル市内散策===================
1 旧市街
2 マハバット・カーン・モスク
3 ペシャワル博物館
4 バラ・ヒサール・フォート
5 ゴール・カートリ
ペシャワル泊
==============================
6.20 起床
ペシャワルの朝
運があればカイバル峠まで行く。なければ行かない。その前に、昨日列車の中で紛失した
靴が欲しい。
7.00 朝食
旧市街の市場に向かう道で声を掛けられ、定番の朝食メニュー『プーリ(小麦粉を練って
円形に伸ばし、油で揚げもの。写真下)』とチャイを頂く。それに油まみれの目玉焼きを
追加した。合計20ルピー、40円。
(写真下)目玉焼き、チャイ、食べかけのプーリ
過熱した油の中に落とされた鶏卵は、ぐつぐつ形を変えながら白い衣を身にまとっていく。
チン、と鍋の底を叩く音がしたかと思うと黄味が潰れ、白味とほどよく混じりあい完成。
ここまで1分もかからない。調味料なし。かくして目の前に差し出された皿を受け取り、
自分で塩をかけて食べる。塩が上手い。目玉焼きというより、塩と熱々の油を楽しむ格好
だ。
(写真下)
日曜休日でがらんとした旧市街に入ると、1軒だけ行列ができている店がある。何
10リットルもある大量の油で小麦粉を揚げている。それに、とろ〜り溶かした甘
い蜜をかけて売る御菓子屋(朝食屋?)だ。ベルトコンベアはないけれど、流れ作
業で次々に出来上がる。20枚/分のペース。客は10枚ぐらい、まとめ買いする。
家族揃って、早朝から油と蜜を食べる食生活は日本人に理解し難いが、それは、好きで食べているというよりも、他に栄養と取るものがないから、油を食べているのではない。パキスタンの人は油好き、ではなくて、安く高率よく栄養を摂取するために必然的にそうなっただけで、その歴史は浅いと思う。彼らの食生活を見てアンビリーバブルと思うのは、彼らの現実を知らないからである。。下の写真は、目を丸くして驚く
の異邦人を見つけたパキスタン料理人が、撮れ撮れと催促した1枚である。
(写真下)
あーあっ、やっちゃった。殺しちゃったよ。でも、10分のうちに数匹はやっちゃう
んだよな。首をぐっと持って、いともあっさりと。それも1人で。パキスタンには、
たくさん人が住んでいるから羊もたくさん殺して、いつでも新鮮な肉を食べる。当然。
ここでこうして見ていると、ついつい、またやっちゃった、と言ってしまうけれど、
そうしてぶつぶつ言いながらも、だんだん美味しそうな肉だなと見えてきた自分の感
覚がとても健全だと思う。新鮮な肉が欲しいなら、新しい肉を食べたいなら、自分で
殺すか殺される現場に立ち合わなければ不健全よ、絶対に。僕はこうしてまた、食に
五月蝿い人になる。
(写真下)よくよく考えてみると、ロバを殺している現場に立ち会ったことはないし、
ロバ肉を食べたことがない。ロバは小さいけれどよく働き、馬のように臆病ではない。
それにとっても愛らしい。人間って、本当に勝手な動物なんだよね、。
(写真下)そんで、この羊達は売り物なのか何なのか一瞬迷うけれど、街の真ん中で放牧
しても食べるものはないから、これはやっぱり売り物でしょう。そして、買われた羊は、
2つ上の写真のように、いともあっさりと、その辺の側溝に首を「ぐい」と仰け反らされ
たと思った途端、ナイフでばっさり。それでお肉の出来上がり。とてもシンプル。羊って
縄で縛らなくて群れてあまり逃げないし、隣で仲間が殺されても動揺しないみたいだし、
逞しい動物だよね。
(写真下)金色に輝くボイラーから出る白い湯気は、まるで、ほくほくの石焼き芋のように
男達を引き寄せていた。私も引き寄せられるところだった。さっきからチャイばかり飲んで
いるのに、、、
(写真下)鳥を扱う店は珍しい。食用ではないと思う。
それにしても今日は日曜日でなので、ほどんどの店が閉まっている。アフガニスタンと
の国境『ハイバル峠』の入り口となる交通の要所、ここペシャワルの市場には大きな期
待をかけていただけに、シャッターに閉ざされた市場が恨めしい。
(写真下)マハバット・カーン・モスク
1630年創建、1898年改修された旧市街の中心ともいえるモスク。外観、内装ともに立派
なものだったが、内部は改修工事中だった。豪華な壁画をガンガンガンガン丁寧なのか怠
慢なのか分からないペースで剥ぎ取っていた。崩れ落ちた壁画の中から花をデザインした
綺麗なものを探し出し、お土産にすようとポケットにまで入たけれど、名古屋に着く頃に
は砂埃になっているだろうと思い直し、そっと元の場所に戻した。
(写真下)
彼の言葉、プロミス、が脳裏を離れない。モスク内で出会った彼は、ペシャワルから陸路
で8時間ほど北にある地方都市『チトラル』の出身で、神学校の先生だった。何故だか彼
と写真を撮り、彼に写真を送る約束をした。できもしない約束はしないように注意してい
るはずなのに、何故だか彼と約束してしまい、別れる最後に念を押された。その言葉が、
プロミス。まるで神と約束をしたみたいだった。彼は日本から送られた写真の代わりに何
かプレゼントを送ると約束した。自分の意志とは無関係に神と契約を結んでしまった人類
の気分。
10.30 ペシャワル博物館
・ とにかく大満足
・ 内部の写真は撮れないけれど、ガンダーラ美術をいっぱい見た
・ 日本で開催された『ガンダーラ美術展』に出品された仏像は、もの静かな雰囲気だった
が、私がここで見た仏像には鬚が生え、面白い話をしてくれそうな男、衣服に身を包んでい
るけれどふくよかな体の女性だった。
仏陀の周りを飛んでいる菩薩像は理解できるが、小部屋の台座に座った修行僧が部屋ごと飛
んでいる様子には驚いた。静かな瞑想にふけるための空間までが浮遊するなんて、、、
女性像の数は少なく、必ず男性像と一緒だった。
若い男性立像の前でしばし時間を奪われた。豊かな頭髪が美しい。身体には半分だけ衣服が
掛けられているが、着衣なのか裸体なのか思い出せない。脚部の印象は薄い。足にはサンダ
ルを履いていた。まっすぐに伸びた美味しそうな親指と人さし指の間に、金属で編んだ草履
の緒がきっちりハマっていた。彼は前を向いてどんどん歩く神(伝道師)のようだ。近づい
て見ると細部が風化し迫力を失っているが、数メートル離れてみると、当時のガンダーラ芸
術の勢いを感じる。
・ 100ルピー
・ 昼食時間になったので退場した
(写真上)
ペシャワル博物館の前で大満足の筆者。パキスタンで初めてまとまった文化的の香りに
触れて、寒さも市場が休日で休みであることも忘れた。
(写真下)
博物館と次に訪問するバラ・ヒサール・フォートは、広い幹線道路に面している。派手に
装飾された大型バスが群れをなして走っているが、そのどれもが満車状態で、バスがスピ
ードを落すと乗客が群がり、扉のない入り口に掴まる。バスが完全に停止することは稀。
13.00 昼食
簡単な食堂を探しても見つからない。大型バスが排気ガスをまき散らす道路脇に、車座
になって羊肉を食べる男達を発見したが、砂埃と大量の排気ガスにまみれていそうで、
とても食べる気にならない。昨日からの懸案になっている靴屋を見て回りながら食堂も
探したが、結果として、交差点角のその屋台?しかない。
(写真上)
地べたから20cmだけ高い椅子に座ってみると、小さな料理店も捨てたものではない。
大勢の人が入れ代わり立ち代わり食事をするから、車から排出された窒素酸化物も希釈
され、ほどよい酸味となって味に深みを与えているのだろう。写真に写っている彼は、
トマトをスライスしているが、炒めたトマトはそのエキスを全て肉に吸われて皮だけが
残る。味は大変よろしい。
(写真下)
とはいっても、洒落たテーブルはない。皿は埃まみれの地べたに置くしかない。どう常
識的に考えても通常の日本人の感覚では食事できない。皿を膝に乗せて食べようかとも
考えたが、それは他の客に対して失礼だし、それ以前に、そんなスペースのゆとりはな
い。長いナンを2つに折りたたみ、地面につかないように注意しながら食べる。24R
s、48円。
(写真下)私の座席から見た風景
黒い上着の少年は、隣の食堂のシェフ。同じようなメニューの食事を出している。彼は焼
肉の他にピーナッツなども売っていた。また、赤や黄色のバケツには生水が入っていて、
私の隣のおじさんや、そのまた隣のおじさんがコップを回してくるので、バケツに1番近
い私が水を汲むことになる。旨そうにごくごく飲むので、私もトライしようかなと思った
けれど今回は遠慮。尚、支払いの時、25Rs出したらお釣の1Rsがなかったので、私
は「いらないよ、取っておいて。」と申し出たのに、隣の少年の店で食事をしていた兄ち
ゃんが、店主に代わって銅色に輝く硬貨をくれた。ありがとう、と元気よく立ち去るのが
旅人の礼儀作法。見事に全部平らげて珍客は、爽やかな挨拶と共に排気ガスの中に消え去
った。
13.30 バラ・ヒサール・フォート
1時半と4時。2回もチャレンジしたのに入れない。門番も、入口にある観光案内所の人も
英語を話せない。何故だ。結果として、現在、観光客には開放されていないような感触だっ
たけれど詳細は不明。下の写真は、この城塞の外から撮影したもので、手前ではリクシャー
の運ちゃんが警察官に呼び止められている。
(写真左) ちなみに、日本語で2回話しかけられました。 |
(写真下)
金細工の店。声をかけてから撮影した。これらのデザインは日本人向きではないので、
国内向けの商品なのだろう。とすると、真っ黒なベールの下には、ゴージャスな装飾品
を身につけた女性が隠されていることになる。あるいは、婚約時の結納品?
(写真下)
同じ通路の横を見ると、こんな感じ。
上から水滴でも落ちているのか、男達が上を見上げていた。
15.00 ゴール・カートリ
1630年頃はキャラバン用宿舎だったが、現在は何だかわからない建造物だけが残っている。
一応訪問してみたが、やっぱり何だか興味が沸かないところだった。しかし、鉄条網で隔
離された芝生には弁当持参でピクニックを楽しんでいる家族がいて、一人旅の日本人が昼
寝をするのに違和感がない。
鉄製のベットに白い布で包まれた死者を乗せた葬儀の列が行進してきた。敷地内で礼拝を
捧げた後、来た道を帰っていった。故人にとって所縁ある地なのだろうか、こうして死者
と共に街を歩き回る風習があるのか勝手な推測をした私は、その葬儀の列を追っていきた
い衝動に駆られた。
(写真下)ゴール・カートリの西門
(写真下)
快眠後のティータイム。市場の路地で、グリーンティーを出している店を見つけた。
パキスタンで緑茶を飲むのは初めてなので、それだけでも楽しみなのに、この店の奥
には新鮮な草を敷きつめた客室がある。数人の男達があぐらをかいて小さなティーセ
ットを囲み、日曜の午後のひとときを楽しんでいた。ここでもお茶は、会話のための
舞台装置なのである。
(写真上左)
緑色のティーポットを開けると、3種類の植物が入っていた。そのうちの1つ、1cmほど
ある実を噛むと、喉の奥から頭のてっぺんまで透き通ったミントのような香りが駆け抜けた。
(写真右)
この店の主人と息子。
===
カフア(緑茶)の後、再び市場をぶらぶら歩く。今日の予定は終了した。ペシャワルの空気
を吸う以外にない。首からデジカメをぶらぶらさせ、旅行者です、と宣言しながら歩く。数
日前、私は夜行列車の中でアフガニスタンから流れて来たタリバン人と勘違いされたので、
アフガニスタンの国境に近いこのペシャワルでは、よりハッキリ宣言しなければならない。
私は無防備な旅行者です。
(写真上)
女性を見るとついついカメラを構えてしまうが、私が彼女を発見するずっと前から、彼
女が私を観察している。中国人か日本人か、はたまた、いまだ聞いたことのない異国の
外国人なのか、彼女の好奇心は妄想と変わるほどに大きい。イスラム社会のパキスタン
では、女性は異邦人に出会うチャンスが少ないので好奇心が断然強い。彼女と視線が合
うとしばしの激突をするが、笑顔を交わすことはない。それは簡単だけど、誤解を招い
ては大変なので、どちらからともなく視線を逸らすし、はたと気づくとまた鋭い観察の
目に驚かされるという、際限のない好奇のくり返しとなる。
(写真上)
三叉路に小さな台を出し、ピーナツを並べて売っていた。綺麗な身なりをしているので、びっちり
と肩を並べた商店のうちの、どこか商店の息子だろう。私が撮影した彼の写真をモニターで見せて
やると、はにかみながら喜んでいた。
(写真下)
その様子を見ていた男性が2人が、私たちも撮ってくれと申し出た。そのうちの1人は片足。私は
ちょっと躊躇ったが、後からゆっくり考えると、それは大きな偏見に満ちていると思った。彼は、
珍しい外国人がカメラを持っているから撮影してもらい、写った写真をモニターで見てみたいだけ
である。ひっきりなしに大型トラックが行き交う道を渡ろうとする彼を撮影するなら別だけれど、
それだけの動機に躊躇う理由はない。身障者でもなければ、特別に介護を受ける必要もない。何は
ともあれ、喜んでくれて私も満足なのです。日本のように深刻ぶったり、政治に利用されたり、権
利や人権を振り回す必要はないのです。
(写真下)
羊の脳味噌。大脳が2つと小脳、それに脊髄がつながっている。理科の授業なら、それをひっ
くり返して縦や横の切片を作ったり、顕微鏡で神経細胞を観察したり、すばらしい教材になる
のになあ。そのあと食べたら、とっても盛り上がるのに、、、でも、日本で『羊の脳』の観察
授業をしたら新聞ネタだろうね。私自身が現代日本の常識に食べられて失職。でもね、学校で
こうした授業をしないから、未成年の凶悪犯罪や乳幼児を虐待する親が増えていることが分か
らないのかなあ。日本の政治家は本当の馬鹿じゃなくて、凶悪犯罪者を育てるのが上手いと感
心する。指導要領に『牛や豚など大型哺乳類の解剖授業をせよ。』と明記すれば、相当解決す
るのに・・・ちゃんと責任とれよ。とれる立場の政治家がとれよ。責任も権力もない現場で働
く教員としては、こうしてHPで発言しながら、日本社会を健全にしようと頑張るしかないの
です。(ちなみに、私は生理的に解剖や血がダメなので、下のような写真を長時間見れません。
本当です。理科教師としては不適格ですが、1日数時間なら頑張ります。)
(写真下)
こんな立派な魚も売っている。間違いなく今朝捕れたものだ。
(写真下)
丸裸にされた牛を、たった1人で運ぶと頼もしい男性。こんなに重いものを、とよく見ると、
4本の下肢の他、すべての内臓が取り出されていた。それでも逞しい男性であることは間違
いない。
(写真下) |
(写真下)
その隣の店。羊の頭だけを売っている。今度は脳味噌も入っていて、値段は男が持っている
サイズで70Rs、140円。やっぱり教材にするより食材ですね。これは。調理したこと
のない私には、美味しそうと言えないけれど、、、旨いらしい。
(写真下)
正直なところ、肉売り場から脱出して、ほっとしている。自分で好き好んで歩き回っているん
だから、自分の勝手だったんだけど、野菜をみているとほっとするよ。だけど、野菜だって生
きているんだし、彼らの悲鳴を聞き取れる能力を持った人なら、野菜屋さんも耐えられないだ
ろうな。(ちなみに、私は水に飢えた植物が悲しい涙を流しながら萎びれていく声が聴こえま
す。)
もうすぐ閉店時間なのにたくさん野菜がならんでいるのは、日曜日で客が少ないのかなあ。
(写真下)
市場のジャンクションで撮影した。平日なら、人の頭しか撮影できないくらいの人込みだろう。
それでも、いくつかのリクシャーやロバ車が無理矢理進入していくんだろうな。
(写真下)
市場を抜けて大通りに出た。ペプシの看板を撮った。街頭で飲んでいる人も見かけないし、誰の
飲み物か知らないけれど、看板と現物はどこでも入手できる。どんな飲み物なんだろう。
(写真下)
昼飯を食べた大通りに出た。排気ガスが酷い。この日は大丈夫だったが、帰国する直前になる
と咳、痰、鼻水が止まらなくなった。1時間に鼻を20回かみ、痰を10回出した。都会に住
むパキスタンの人々で気管支を患っている人は多いと思う。路地裏でひっそりと、公害病に悩
みながら生活しているのだと思う。あるいは、病気のために田舎に帰っていったかも知れない。
クリーンな排気ガスを出す日本へ帰れる私は幸せ者だ。
(写真下)
大量の排気ガスをまき散らすバスやリクシャーが走る中、馬、ロバ、水牛などの乗り物は際立
っていた。それらは糞をまき散らしながら移動するけれど、絶対にクリーンな乗り物だと思う。
動物達のまき散らす糞が汚く感じるのは、アスファルトで地面をおおい尽くしてしまったから
で、草食動物の糞はぜんぜん臭わない。それに引き換え、食い過ぎの人間の糞は何と臭いこと
か!
(写真下)
車椅子の人が来た。写真には1人しか写っていないが、後から10人程の団体だった。
誰もが同じように、チェーン付きの3輪車椅子だった。
===
それから、靴を購入した。明日は50センチの積雪情報がある山間部に突入する。
何軒か回ってみたが、品揃えも品質(値段250〜300Rs)も同じだった。どの
店にもパキスタン製と中国製が置かれていたが、品質の高いものは中国製だった。だ
だし、50Rs高くなるだけなので、履いても大差はなかった。
あきらめずに店を回ると、中古品を扱っている店を見つけた。壁一面に、欧米の旅行
者が売り払った靴が吊るされていた。どれもが汚れてぼろぼろになっていたけれど、
私のニーズに合っている。冬なので水虫はなかろう。新品の靴を履くより、使い古し
た本格的トレッキングシューズが足に馴染む。店番の少年から2メートルほどある棒
を貸してもい、あーでもない、こーでもないと試しながら選んだのは、イギリス製の
手縫いの皮靴。言い値は700Rsだったけれど、靴を盗まれた日本人旅行者を可哀
相に思ったのか、私が「400Rsなら、、、」と言うと、店主は「もってけ」と応
えた。
===
17.30
宿に帰ってきた。サンダルを置いて体制を立て直したい。鬚を切りそろえ、いよいよ
怪しい東洋人の完成に近づいた。・・・日本でもこのままいこうかな。冬は寒いから
鬚は温かそうで良いかも。ちょっと白髪も混じって良い感じ・・・
(上:チャパティーを焼く店)
18.00 夕食
宿の近くの立派なレストランに入った。靴を脱いで座敷きに上がり、7メートルほど
あるビニール製マットの前であぐらをかく。両隣りには、裕福そうな地元客。
・ 163ルピー(そのうちチキンが80ルピー)
今日は日曜日なので半分ぐらい店がしまっていた。全部開いていたら、何十倍も迫力があっ
たような気がする。またいつか訪れる奇跡の日まで、さようなら。
クラビットを飲んで寝る
リクシャー
・ 市内なら20ルピーでオーケー
|
↑このページのTOPへ
(c) 2003-2004 fukuchi takahiro [→home]