このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です

  私の日記


  12月29日(月)
                      
  ◎ ミンゴラとカラーム============================
  ペシャワル(リクシャー、乗合いバス)→ ミンゴラ
  ・ 
シャンカルダール・ストゥーパ
  ・ ミンゴラ博物館
  ミンゴラ(乗合いバス)→ カラーム
                                    カラーム泊
 
 =======================================

  2.10
  夜中にクラビットを追加する。これから寒いところに行くので、ちょっとしたウィルスを
  撃退しておきたい。昨日は下痢気味だったけれど、今は大丈夫。

  6.30 起床
  もう少し早起きすれば良いのに、、、、取っかかりが悪い。
  これを何とかする戒律を作ろうか。(今後の課題)

  7.00
  紙パックのマンゴジュースを飲むつもりが、フレッシュジュースの店を見つけてしまった。
  振り返れば、まだパキスタンでフレッシュジュースを飲んでいない。冬の季節が悪いのだろ
  う。クラッシャーやジョッキの中をじっ、と点検すると、私が1番客のようだ。「1杯下さ
  ーい。」 大小合わせて7、8個のオレンジが潰され、下のスレンレス製容器にたまった。
  氷や水や砂糖を入れそうになったら、入れないように声をかけようと息を凝らして見張って
  いたが、そのまま溢れるばかりに注がれたジョッキを手渡されたので、いきなり飲んでしま
  った。半分飲み干し、はたと記念撮影。腹はたぶん大丈夫。寒さも忘れる美味しさ。おじさ
  んは、変な外国人を興味深げに観察していた。15ルピー、30円。(写真下)
 

  その後の朝食は、ちょっとだけ進歩した。
  いつもの油で揚げたプーリではなく、焼きたてのチャパティーを1枚2Rsで2枚購入。
  それを別の店に持ち込み、目玉焼きとチャイを注文。
  えへっ。

  8.00
  ホテルのチェックアウトを済ませると、玄関に停まっていたリクシャーで、ミンゴラ行き
  バスターミナルに向かった。30Rs、60円。

  バスターミナルでは、ちょっと慌てた。
  リクシャーの運ちゃんが、ミンゴラ行きの客引きを見つけてくれたところまでは良い。し
  かし、客を掴まえた兄ちゃんはスタコラさっさ、私の荷物を担いで走り去った。おいおい、
  荷物じゃくて私を連れていけ! 泥棒じゃないことは分かっていても、ごちゃごちゃに込
  み合った駐車場バスで、君を探すのは大変なんだ。何のために、あんたが来たのか分から
  んじゃないか。・・・私は急いで金を払い、自分の荷物を追っ掛けた。彼はすでにバスに
  乗り込み、ミンゴラ、ミンゴラ、すわっと、スワットと連呼していた。私の荷物は、後部
  座席に放置されていた。

 
  (上:バスの窓から写した流れゆく街の風景)

 
  (上:ビニル袋に入れたサトウキビを売る人とカメラを持った外国人を見て集まった人)

  8.10
  すでにバスは走り出していた。最後尾の右に座った私は流れゆく景色を見ている。列車の
  中でもそうだったが、何の変化もない、どこにでもありそうな風景が続いている。どこで
  もありそうな、という表現は曲者なので、ちょっと記してみよう。

  幹線道路から見える町にはゴミが散乱し、空気はおんぼろ中古車の排気ガスで灰色にまみ
  れている。崩れかけたレンガの壁、はり巡らされた電線、灰にまみれた街路樹の葉、完全
  に崩れてしまったレンガの墓地、植林された木々、高さ2メートル2センチのどこまでも
  続く汚れた白い壁、煙突、工場、軍隊、鉄道のレール、突然現われる連続した小さな露店
  、踏み切り、客を待っている、あるいは、客を集めるトヨタハイエースや過激にデコレー
  ションされたリクシャー、砂埃の間から私を照らす太陽、次の街に入ったことを知らせる
  盛り上げたアスファルトの路面(連続して2つ)、小さな鉄塔、荒れた土地とコンバイン、
  分厚い布を巻き付けて自転車に乗る男、女の姿がまだ見えない、吊るされ裸の羊の肉、ペ
  プシの看板、ライフルをもつ警備員、墓、ロバに野菜をのせて運ぶ男、巨大に怪獣のよう
  な送電線、油でまっ黒になった自動車工場、地面に溢れた野菜、昨日から降ろされたまま
  になっているシャッター、ゴミの山、綺麗な身なりで学校に向かう2人の子供、井戸端会
  議をする6人の男、鉄条網のある壁、何もない2車線の道路、豪華な屋敷、アラビア文字
  の看板、道路を横切る男、汚れた木々、ロバの荷台に乗る男、誰もイナイ広い敷地の工場、
  大きな箱をつなげたトラクター。これらが、私に見えた日常だ。

  再びバスは線路を跨いだ。途端にでこぼこの道になり、風景が変わった。サトウキビを収
  穫したばかりのトラックの大軍とすれ違った。新しい街に入った。この街も、他の街と同
  ように、全ての事物が『土誇り』で統一されている。

  抑揚のある口笛、連打されるクラクション、パラリラコと鳴る警笛、客をよぶ車掌、コー
  ランはまだ聞こえない。また、線路を跨ぎ、今度は線路と一緒に北上することになった。
  標高は依然変化なし。

  私は、冷たいすきま風が膝を痛めないか心配している。
  他に変化はない。

  見た目よりたくさんの人が生活しているので均質化している。

  (写真下)シャンカルダール・ストゥーパ
  目的地の『ミンゴラ』まであと10キロ。そろそろ右手にガンダーラの仏教遺跡が見える
  頃だ。カメラを準備してぼけっとしていると、果たして天文観測所のようなドームが現わ
  れた。直径13メートルのシャンカルダール・ストゥーパ。3〜4世紀に創建された当時
  は、黄金に輝いていたという。とにかく、こんなにハッキリと拝観することができて私は
  幸せだ。

 

  12.20 ミンゴラ着
  私が乗ってきたバスの乗客は、街の中心から外れたところで全員降りてしまった。ここが終
  点のようだ。今日は移動日と決め込んでいたので、今日の最終目的地『カラーム』までのバ
  スを探す。私と一緒のバスに乗ってきたおじさんが、そのバス停まで案内してくれた。

 
 (上:案内してくれたおじさんは顔の輪郭は、私と同じでアフガニスタン人に近い)

  ゼネラルバスターミナルの入り口前には、ずらりと食堂が並んでいた。私はバスを探すより
  も先に、ターミナルの真正面にある食堂に入った。鍋の中身を見せてもらい、ひき肉のカレ
  ーを注文した。

  

  (写真上下)
  食後のチャイにいたく満足している。チャイはいつ何処で飲んでもうまいが、ここは格別に
  うまい。旅の序盤が終わり、これからガンダーラ仏教美術とカラコルムハイウェイの旅にな
  る。

 

  (写真下)この食堂の入り口には丸裸の鶏が吊るされている。ローストしてくれと頼めば、
  いつでも調理してくれそうだ。これも今朝潰されたばかり、蝿も寄り付かないほど新鮮な
  食材だ。僕は本当に美味しそうだと思って眺めている。

 

  腹を満たして元気になった私は食堂に荷物を預け、ミンゴラの散策に出掛けた。
  1時間の予定だった。

 
  (上:店番をする兄弟)

 
  (上:甘いお菓子を売る店)

 月曜日のミンゴラには、人々の活気が溢れていた。

 ペシャワルの市場で不完全燃焼だった庶民のエネルギーをここで感じると同時に、今はもう遠く離れてしまったペシャワルの雑踏を夢見た。

  「こんにちは、日本人の方ですか?」
  メインロードから斜めに走っている小道に入ると、日本語で話しかけられた。振り返ると、端正
  な顔だちの男性が立っていた。彼の名前はファサン。自分の店がすぐそこにあるから、そこで話
  をしようと誘われた。店内には日本から輸入した自動車部品(主にベアリング)が整然と並べら
  れ、彼の兄や親戚が店番をしていた。客足も電話も途絶えないので、商売はうまく行っていると
  思う。東京に10年住んでいたので、日本語教師ができるほど日本語がうまい。最近、近所の遊
  園地の隣に自宅(豪邸)を新築したそうで、衣服の着こなしも上品だ。聡明な彼とは面白い話を
  たくさんした。中でも、昨年彼のところに1週間宿泊したFという日本人の話が印象に残った。
  Fは5年間、放浪旅行を続けている。それに使った金額は30万円。貧乏なので顎ヒゲを胸まで
  伸ばし、各地の民家に世話になりながら旅を続けている。ファサンのところでも1週間世話にな
  ったそうだ。ファサンはとても喜んでいるし、Fもそれで喜んでいるのだから、世の中には色々
  な需要と供給があるものだと感心した。私もそんな人生を送ってみようかしら、と思うけれど、
  それは私の旅とは違う。民家にお世話になることには大変興味あるけれど、同じスタイルの旅を
  する自信はあるけれど、違う。自分が面白く珍しい日本人だから、という理由で世話になりたく
  ない。と強気の発言をしたけれど、この考えやスタイルは41歳11ヶ月の若造のもので、もっ
  と経験を積めば変わると思う。

  聡明なファサンとの会話をしながら、私は自分が日本人に生まれたことを強く意識した。私は日
  本人として生まれた事実だけで、海外旅行を楽しんだり80歳の長寿を全うできるチャンスがあ
  る。逆に、アフリカ諸国のように自分の肌の色によって迫害を受けたり、幼くして餓死に至る人
  もいる。ヒトの人生はそんなものだ。運命の不公平を嘆く前に、ヒトという生物に生まれたこと
  を、地球に存在する物質であることを、果ては、ここに認知できる存在であることを・・・ああ、
  今日もまた哲学の淵に落ちていく。

 
 
  (写真上)
  中央がファサン。その頭上の写っているKIYOMIと言う看板は、彼が経営するインターネット
  カフェで、パソコンが10台以上あった。びっくり。尚、KIYOMIとは、彼が日本にいたとき
  お世話になった女性の名前である。

  それから、ミンゴラ博物館に行った。ここから徒歩30分の距離だけど時間節約のためリク
  シャーに乗った。ファサンが交渉して15ルピー、30円にしてもらった。ありがとう。

  ミンゴラ博物館
  ・ 200ルピー
  ・ とっても充実していて大満足
  ・ ギリシャやトルコからの影響を強く感じた
 
 
 
  (上:博物館の前で写す)

  リクシャーで戻ってきたけど、トンでもない時間になってしまった午後2時50分。ここか
  ら4時間バスに揺られると、今すぐ乗れたとしたも午後7時になってしまう。ひえー、夕日
  に染まる6000メートル級の山々を眺める計画はあえなく消え去った。

  それにしても、奇跡としか思えない幸せは、食堂に預けておいた荷物が盗まれていなかった
  こと。昼食を終えた時、私はちょっと浮かれていて、誰でも簡単に持っていけそうな場所に
  荷物を置いてしまった。博物館にいる途中から気になり始め、ガンダーラ美術どころではな
  くなった。急いで食堂に戻って確かめると、店の人が適当な場所に隠しておいてくれた。パ
  ソコン入りリュックと対面した時は、本当の奇跡を感じた。もう2度と会えないものと諦め
  ていた。

  このまま良いことが続くかと思ったが、カラーム行きのバンは出発したばかりで、30分ほ
  ど時間を潰さなければならないけれど、それは仕方ないこと。近くを散歩したり、日記を書
  きながら乗客が集まるのを待つしかない。

 
  (上:ひき肉を丸めてたものを油で揚げる。大変うまい。)

 
  (上:ミンゴラの町を流れるスワット川にかかる橋)

 
  (上:近郊をつなぐ乗合いタクシー。これから遠くに見える雪山に入る。)

  バンの中で乗客を待つ。中途半端な時間なのでカラーム村に帰る人も少ない。これから何
  時間待つのだろう。私は前から2列目の席でパソコンを開けた。トントントン、物乞いが
  来た。開かない窓なのでそのままにしておく。トントントン、トントントン、何度も物乞
  いする。私は集中しているのであまり気にならない。とんとん、今度は違う物乞いが来た。
  これから先も、何回も窓カラスを叩かれるだろう。それに、誰が物乞いで誰が物売りなの
  か私には区別がつかない。

  売り子の中で流行っているのは、今が旬の『さとうきび』。搾りたてのジュースならごく
  ごく飲んでみたいけれど、彼が売っているものは皮を剥き、長さ3センチに切り揃えられ
  たもの。小さなビニール袋に詰めこまれて1袋5ルピー、10円。悪くはないけれど、ち
  ゅーちゅー吸った後、路面にぺえっ、と吐き捨てる必要がある。好きなんだけど、、、

  4歳の少女は手作りのやビで繋を売っていた。彼女の年齢
  は10歳かも知れないが、栄養不足の体は4歳だ。

  新聞を売っているのは少年から老人まで男ばかりだ。新聞は男、と決まっているのかも知
  れない。これで5人目。

  サトウキビは相変わらず小さなビニール袋に入っているが、だんだん濃い黄色に変わって
  きた。食べても問題ないと思う。甘味が増して悪くないかも。

  セーターを着た青年は40cm四方の緑色の底の浅い篭にピーナツを入れて売っている。

 (写真右)
 ちっ・ちゅっ、ちっ・ちゅっ、と変な音がする。誰かが私の注意を惹こうとしているのだ。「俺は動物じゃないぞ!失礼な。」を呟く。窓の外には5才の少年が立っていて、その手には、口に含むと舌が麻痺するであろう薬物を持っている。タバコ?の皮に包まれ、ピンクのゴムで結んである。「そんなもんはいらん。」と答える。

 新聞売りの少年は私の服を引っ張りながら「ワンフェン、ワンフェン」とくり返した。その動作から、かつて外国人が彼にポールペンをプレゼントしてしまったことが分かる。彼は、ペンを1本くれ、と言いたいのだ。

 20才の青年は、頭に金属製の丸いボールを載せていた。その上には半分以上売れてしまったドーナツが傾いた太陽の光に照らされていた。

 今度もナッツ売りの男だ。半分禿げた頭からして35歳ぐらいであろう。

  そのナッツ男が、さっきのドーナツ売りに金を渡した。腹が減ったので1つ買ったのだ。
  しかし、値切ったからだろう。小さなものしか選ぶ権利はないのに、いくつもいくつも汚
  れた手で触り、綺麗に並んだドーナツの中から少しでも大きなものをつまみ出そうとする
  ので、とうとうドーナツ売りに愛想をつかされた。彼がドーナツの皿を頭に載せようとす
  るその瞬間、年上のナッツ男は小さなものを2つ掴んだ。怒ったドーナツ売りは、両手を
  使って皿を頭上に載せなければならないのに、ナッツ男が2つ掴んだその腕を振り払らお
  うと力強く皿を揺さぶった。見事、ナッツ男のドーナツを1つ落とすことに成功した。

  ところでカラーム行きのバスはまだ出発しない。太陽は傾き、到着するであろう3時間後
  には、あたりは真っ暗になっているだろう。わたしは、これからカラームの景色を楽しも
  うとしている。夕焼けは諦めた。焦ってはいけない。

 

  (写真上)
  乗合いバスは出発した。30分ほど走ると、町の其処かしこにある小さなモスクからコー
  ランが聞こえてきた。日没前の礼拝。バスが適当な場所に停車すると、男達は川で手や顔
  を洗い、西に向かって礼拝を始めた。私はトイレに行きたかったのだが、それができるよ
  うな時間でも場所でもない。

 

  (写真上)
  礼拝する男達の横を歩いていった地元の母親と娘。望遠レンズで撮影したら、スリット
  の間から女性の顔が見えた。彼女も家に戻ったらすぐ、日没前の礼拝をするのだろう。

 

  (写真上)
  スワット河に架かる橋を渡る。標高はまだ800メートル。まだまだだよ。

 (写真右)
  高いところに発生する雲の形になってきたので気分がよろしい。あああ、夕焼けを見たいなあ。夕日を浴びる6000メートル級の山々を見たいなあ。

 
 
  (写真上)
  エンジントラブルで車が停車したので唖然とする。そして、何気に見た車のボディーで
  大発見。皆さん、上の写真に写っている文字をよくよく見て下さい。日本製ではないで
  すよ。MADE
AS JAPAN、日本のような製。

  19.50 ハニムーン・ホテルにチェックイン
  とにかく寒い寒いと言われるのでそんな気分になってきた。ここに来る前も、ここに来
  てからも寒い寒いと言われ、今晩も氷点下18度になるよと言われて寒い気分も充実し
  てきました。とにかく寒すぎて、何もする気にならないくらいの寒いです。

  出てきた食事をすぐ食べて、すぐ歯を磨いて、お湯は来たけど顔を洗うのが精一杯で、、、
  僕は今、氷点下の室内にいる。

  もっと寒くならないうちに寝てしまいましょう。早く寝ましょう。お洋服着たまま靴下
  はいたまま寝袋に入りましょう。

  22.15 消灯

 

  (写真上)
  特注の夕食なんですが、早く食べないと凍ってしまうかも。

 

  (写真上)
  氷点下のお部屋。窓を開けると、広いテラスの向うにスワット河がごわーっと流れている。
  テラスに設置されている2人乗りブランコが、当ハニムーン・ホテルの名前の由来かも知
  れないが、それを1人で確かめようとするなら瞬時にして凍りつき、春を待たねばなりま
  せぬ。

続きをどうぞ!

私の日記 12月30日

 このページのTOPへ



 (c) 2003-2004 fukuchi takahiro [
→home]