このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です |
私の日記
12月30日(火)
◎ マドヤン======================
カラーム(バス)→ ミンゴラ(バス)→ マドヤン
・ マドヤン村の散策
マドヤン泊
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6.30
意外に寒くない。室内は2.2度C。
7.10
だけど、フンザもカラコルムハイウェイもパス。冬に行くもんじゃない。寒い。道が凍っ
ている。窓を開ければ、雪も降っている。もう決定! 朝日に輝く山はない。温泉もない。
トイレの水も凍っている。朝食のルームサービスを頼むのも可哀想。もう、帰る。暖かい
空気と温泉があれば何泊かできるけれど、キーボードを打つ指が凍り始めた。午前9時に
なれば太陽が上がってくるというけれど、本当かしら。今日の天候では絶対に信じられな
い。山はそんなもの、なんだけど。
(上:日本の温泉旅館みたいな、屋上からの風景)
(上:上空の気温の変化が大きいので、いろいろな雪の結晶が降ってくる)
ところで昨夜、このホテルには10人宿泊したそうだが、彼等は何をしていたのだろう。
小さなストーブにあたりながら、同じように後悔と懺悔していたのか? 屋上で出会った
(パキスタン生まれの)イギリス国籍の男性は、ぴょんんぴょん飛び跳ねながら両手を頭
上でぱちんぱちんと合わせて、こうやって暖かくするんだ、と張り切っていたけれど・・・
暖かい朝食(写真下)も、僕の指先に凍り付いた。寒過ぎると胃が震えて味が分からない
から、ベットの中に仕掛けた寝袋に両足を突っ込んだ。
(上:卵焼きがきちんと皿にのっていないのは、寒すぎるからである)
ミンゴラに戻るバスは、街の中心から出発するらしい。たった数キロメートルの道のりも
歩きたくないので、フロントでバスを予約してもらった。寿司詰め乗合いバス50ルピー
(100円)の座席を電話1本で予約できるのか心配だったけれど、私のために30cm
の幅が用意されていた。不思議の大感激。しかも窓側である。
(上:バスを待つ間にホテル正面を撮影)
・ 昨夜のうちに5cmほど新雪が積もった
・ 外気温は数度あると思うけれど、寒い
(上:曇った窓ガラスから外の景色を見る)
スリップして斜面が登れない。運転手はギアをバックに入れ、猛スピードでバックを始めた。
さっきまで安全なスピードで走っていた人からは想像できない超高速。数100メールは戻
ったろう。十分過ぎるほど気合いを入れ直して再挑戦。クラクションを鳴らし、前方の歩行
者にスリップ事故を警告しながら、加速。全速力を目標としているが、最後はちゅるちゅる
登りになった。前よりは進んだが、やはり止まった。「はて、これからどうするだろう?」
その答えは、いとも簡単。車内を見たまえ。乗客が山ほど乗っているではないか。全員で協
力すれば、転落した谷底からだって引き上げることができる。外国人の私はやらなくていい、
と言われたけれど、じっとしていられない性分なので一緒に押した。面白い。押して動くか
ら面白い。こんな気分転換をすること2回、しだいに標高が下がり、路面のシャーペットや
雪はだんだん消えていった。
この車は、昨日と同じ車だった。運転手も車掌も同じ。私を迎えに来たとき、目をぱちくり
させ「何かの夢?」かと首を振ったけれど、車も運転手も車掌もこの村に泊まったのだろう。
あっ、そうそう、昨日お礼を書くのを忘れたのでここに書きます。「昨日は、わざわざ終点
のバスターミナルからホテルまで送ってくれ、しかも、部屋が空いているか確認が取れるま
で待っていてくれてありがとう。お陰で生きて帰ることができました。」
この車の定員は、運転手も含めて20人(前方より3、5、4、4、4人)。私の座席は中
央列左端で、スワット川を眺めながらのドライブとしては、助手席の次に良い位置だ。川の
水は透明で、黄緑〜緑〜青の変化を見せていた(写真上)。
標高1000メートルになり、スワット川も表情を変えた。馬がよく見られるようになった。
(写真上)
何げに写した1枚には、屋根に積まれた車椅子とそれに乗った私の荷物が写っていた。よく
ぞ落ちずにここまで来ました。誉めてあげます。
そうそう、この車の中では、次の目的地をどうしようか何回も迷い、ガイドブック『ロンプ
ラ』の推薦するマダヤン村へ行きたかったけれども、その村も通過してしまった後だったよ
うで、今は、途中下車しようか、それとも終点のミンゴラまで行こうか迷っている。
<失敗の原因>
1) 私の地名の発音が悪い(マダヤン?)
2) 私がウルデゥー語を話せない
3) 乗客全員が英語を喋れない
4) 彼等の『はい』という返事が首を斜上にあげる動作なので、私が『いいえ』と勘違いした
このまま終点のミンゴラまで戻れば簡単にバスを拾えるけれども、一旦通り過ぎてしまったと
ころに戻るのは悔しいし、これから往復3時間捨てるのはもったいないし、バスの発車時間も
分からないし。うんうん唸っているうちに終点に到着。しかし、その時には心は決まっていた。
「今来た道を戻り、マヤダン村を訪ねよう。」
<決断した最終要因>
パキスタンで出会った成功した人物は、誰もが自分の事をしつこい性格だと言っていた。それ
に比べ私は淡白な性格なので、ここはしつこさを学ぶ決心をしたのである。バススタンドに着
いた時、すでに12時40になっていたけれど食事はしない。昼食はヤマダン村にする。幸い
待ち時間10分でバスが出発し、目的のマダヤン村には1時間30分で着いた。しつこい性格
の勝利である。
2.50 チェックイン
ガイドブックに載っているホテルは古びて泊まる気にならないので、川沿いにある新しいホテ
ルを尋ねた。お金は余っているので、快適な部屋に泊まりたい。シンブルルームもあったが、
600ルピーのダブルルーム(写真下)を500ルピーに値切った。シーズンオフ料金からさ
らに値切ったので、せこい日本人と思われた。
(上:クリックすると夜、お世話になったガスストーブ)
荷物を置き、マヤダン村の散策開始。
可愛い羊さんがいたけれど、これは今晩のおかずなのか。
15.00 遅い昼食
腹が命ずるまま食堂に直行する。メニューはいくつかあったけれど、昨日ミンゴラで見た
挽肉料理(写真下)が食べたくて、それを注文する。調理方法、および、皿への盛り付け
状態は頂けないが、味は最高級の部類である。10ルピー、20円。一口かじってから撮
影した。いつものごとく、食い気が先に走るのである。
(写真下)
おおーっ、これは何処かで見たことがある風景。そう、それは手のこんだ木彫家具、水に浮か
ぶ船での水上生活、清涼な自然で思い起こされる(北インド)シュリナガル。冷たく清らかな
空気と水が流れている。地図確認してみると、標高8000メートルのヒマラヤ山脈で隔てら
れているものの、直線距離は200キロ。冬の山越えは厳しすぎるけれど、インドとパキスタ
ンの国境超えも楽ではない。
(写真下)
痩せた大根を大八車に乗せた男が来た。新鮮の野菜ならまだしも、午後からの商売では
どれだけ売れるのか見当がつかない。男が野菜を売るのは珍しいことではないが・・・
私はこの写真を撮影した後、ぎしぎしと音を立てて市場に向かう大八車を見送った。し
ばらくして振り返ると、男はこの先の坂で苦労していた。たいした斜面でもないのに、
力いっぱい押している。私は手を貸してやろうと駆け寄ったが、それよりも早く2人の
子どもが車を押し始めたので、私の入る隙間はなくなった。
(写真下)
男を手伝った2人の少年。
ごく普通の少年が、ごく普通に車を押し、市場の細い路地に消えていった。
(写真下)
マヤダン村の市場の前。目抜き通り。
(写真右) |
(写真上)
色が白く端正な顔だちの人を見つけて女性かな、断わられるかなと躊躇しながらも勇気
を出して声をかけた。なんのことはない。喜んでファインダーの前に立ってくれた。し
かも微笑んで。
(写真上)
メインストリートから細い路地に入った。小さなレンガを組み合わせた壁には小さな入り
口がついていて、ちらっと垣間見える風通しの良い中庭には、好奇心に満ちあふれた子供
達でいっぱいだ。とくに、成人間近の女の子は厳しいしつけがなされているので、私のよ
うな外国人には興味津々である。もちろん、私も興味津々。おっと、狭い路地に隙間から、
老婆がひょっこり現われた(写真下)。
(写真下)
彼らは墓地の中でクリケットをしていいた。パキスタンはイギリスに支配されていたので、
そのときクリケットも輸入された。今ではパキスタンの国民的スポーツで、テレビのスポ
ーツ番組では必ずクリケットの試合中継をしているし、市場の商店でバット?が売ってい
たりする。
(写真下)
新築中のモスク、よく整備された下水道を撮影した。
この後、スワット河まで散策した。
帰り道は、ペシャワルで勉強している学生5人と一緒だった。
それから夕食をして、静かに寝た。
ホットシャワーも浴びたと思う。
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