このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です

ロータスフォート
2004年1月2日(金)

 パキスタンで1番お勧めのポイントです。ガンダーラ仏教も魅力的ですが、ここも外せません。午後からゆっくり散策、疲れたら日陰で歴史書を読み、ジュースで喉を潤し、遊牧民や観光客と会話を楽しみながら虚ろいゆく時に身を任せ、西日を感じるようになったら、お気に入りのポイントで荒野に沈む夕日を見て欲しい。絶対にお勧めです。

ディナからロータスフォートへの道

14.00 ロータスフォートへ
 ディナ市内で情報を集めていると、フォートまで乗合いリクシャーで行けることが分かった。決定的な情報は、ロータス村から来た少年のもので、モスクの前から10ルピーで行けるらしい。。本数は少ないそうだけど、住んでいる人の情報だから間違いない。(多くの観光客は、200〜300ルピーでタクシーを貸し切る)

 さて、モスク前でリクシャーを探したが、乗客がほとんどいないので、私は大枚をはたいて貸切ることにした。リクシャーは5人乗りだから、70ルピーで十分だろうと思っていたが、私のディスカウント話術に乗った若い運ちゃんが50ルピーで引き受けた。ちょっと安すぎるかな? それでは往復25キロのガソリン代が出ないと思うけれど・・・またしてもアラー神の思し召しによって私は得してしまうか!

 リクシャーは勢い良く走り出したが、だんだん遅くなり、やがて人の血を吸えなくてよろよろ飛んでる蚊よりも情けない走りになった。途中のガソリンスタンドで給油した量は、わずか0.8リットル(25ルピー)。そんな僅かな燃料で、どこまで走れると言うのだろう。若い運転手は英語が全く話せないので、私と交渉する余地がないのだ。

 幹線道路を右に曲がった。フォートまで8キロの看板があるところで2人の男性を拾うと、途端に走りがよくなった。さらに、2人の女性を拾ったときは最高潮。同じリクシャーとは思えない快調な走りで、クラクションを鳴らしながら前のトラックを被せた。

 15.00 ロータスフォート着
 東門から入り、遊牧民が住み着いているロータス村を横切り、西門まで走った。その先はチェーンで通行止めになっている。門番の男が、英語で書かれた1枚の紙を私に差し出した。外国人は200ルピー。遺跡保存のためなら喜んで払いたい金額だ。

  
(上:城壁内の芝に、そのシルエットが伸び始めた)

 
(上:城壁外に広がる原野)
当時は、こんな厳しい自然を乗り越え盗賊が攻め入ろうとしていた



(上:どれだけの人の生活を支えていたか分からない巨大な井戸)


(上:井戸の底へ続く148の石段)


(上:井戸の底には、自然に戻ることのないゴミが散乱していた)


(上:新婚旅行にきているカップル)


(上:ソヘール門(SOHAIL GATE))
聖者ソヘール・ブカーリィーの名前に由来する、もっとも美しい門の1つ。




(上:右手にはカハーン河が流れている)


(上:地平線に沈む夕日)


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公共交通機関がなくなってしまった。
(そもそも、地元民のための乗合いリクシャーはあっても観光客用はない)

街路灯のない真っ暗やみを徒歩で帰る覚悟を決めたので慌てる必要はない。
星が瞬き始めるまで、
遺跡入り口の駐車場で、
神様が運んでくれるタクシーを待とう。


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 縁石に腰を降ろして、ぼけーっとしていると、地元の青年達がピーナツをくれた。何だか分からないうちに彼ら車で、私のホテルまで送ってくれることになった。声を掛けられた時は、若手『山賊』ではないかと用心していたけれど、完全な誤解。彼らは年末年始の休暇を利用して遊びに来ている親族一同だった。

私は後部座席を勧められたが、そこには何もなかった。シートも絨毯もなく、むき出し鉄板があるだけ。真っ黒なスペアタイアを私の椅子として用意してくれたが、車が上下に弾むたびに天井に頭をぶつけ、その度に拍手喝采を浴びた。

ハンドルを握っている兄貴は両手を手放したまま窓から首を出したり、後ろを向いたりのハイテンション。さすがの私も負けてしまう危険度。遺跡からホテルに到着するまでの小1時間の旅は唄いっぱなし、スナック菓子を食べっぱなしの旅だった。


(上:後ろに写っている白い車で、私をホテルまで送ってくれた若者達。)

続きをどうぞ!

私の日記 1月2日

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