このページは旅行記『パキスタン』PAKISTAN DEC.2003- JAN.2004 です |
私の日記
1月2日(金)
世界遺産『ロータスフォート』見学==================
午前: 移動(タキサラ→ ラワールピンディー→ ディナ)
午後: ロータスフォート見学
ディナ泊
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今日は、早朝から世界遺産『ロータスフォート』へ移動したい。そのための移動方法を、
昨日からホテルの支配人や客人に訊ねているが、誰も知らない。どうして超有名な観光
地を知らないのか。パキスタン人は旅行しないのか、それとも歴史に興味がないのか・
・・おっと分かった。コーランの教えに興味が集中しているのだ。
5.30 起床
夜明け前のコーランに起こされ、食事をしようと階下の食堂へ向かった。
薄暗い。電気がついていない。玄関前に広げられた毛布の上には、凍えそうになった男
が寝ている。異教徒の私でさえ、夜明け前のコーランで起きたのに、彼は早朝の礼拝を
しないから敬虔なムスリムではない。私はコーヒーをあきらめ、一旦、自分の部屋へ戻
った。昨日買ったりんごを剥き、荷物の整理をして、再び階段を降りた。ほんの少し時
間がたっただけで、外はすっかり明るくなっていた。
6.40 食堂にて
「アッサラームアレイコム。グッドモーニング。」
再び男に声を掛けたが返事なし。私は、勝手に食堂の電気とガスストーブをつけ、日記
を書いた。しばらくすると、警察官が来た。寝ている男を起こすと、2人は連れ立って
外に出ていった。数分後に男は戻ってきたので、私はコーヒーを頼んだ。それと同時に
チェックアウトもしたい。一刻も早く、次の目的地に移動したいけれど、頼りにならな
い男しかいない。パキスタン人は早起きだけれど、寒い冬に弱いから朝だらだらしてい
ると信じたい。
7.55
ようやく私の目の前にコーヒーが並んだ。ネスカフェの細粒インスタント・コーヒー、
ステンレス製ポットに入った熱湯、別のポットに入れられた温かい山羊のミルク、砂糖、
スプーン、コーヒーカップとソーサー。これだけあれば天国に行く必要はない。大役を
終えた男は引き下がろうとしたが、私は1000ルピーを渡し、宿泊費の精算を頼んだ。
それから、
20分以上
彼が
電卓を
弾いて
いる
姿を
見た。
彼は釣り銭420ルピーと領収書を持って来た。
<領収書の内訳>
1000−(500+80)=420
合っていた。
しかし、宿泊日数を間違えている。私は2泊したので、それだけで1000ルピー。
ううう。私も間違えていた。
計算が合っている振りをしてトンズラすることも可能だが、自分のスタイルに反する。
追加料金500ルピーを払いたい。だが、しかし、そっと500ルピー札が彼のポケッ
トに入る可能性もあるので、簡単な領収書を頼んだ。だが、あああ・・・今度は、食事
代が違う。
35ルピー(コーヒー)
30ルピー(チャイ×2)
10ルピー(目玉焼き)
15ルピー(トースト)
合計:80ルピー
またしても10ルピー得している。
アラー神の思し召しなのか。
でも、私は日記を書き終えたあと、きちんと10ルピー払って出発しようと思う。それ
もアラー神の思し召しなのである。
9.00 ホテルのショップでお買い物
くるみの木でできているワニの器を買ってしまった。政府直営だから割り引きできない
そうだが、450ルピーが400ルピーになった。本当なのかしら。
9.50 タキサラ発
・ ラワールピンディーまでの乗合いバス料金:10ルピー
・ とっても安いので吃驚
・ ラワールピンディーから『ディナ行き』バスに乗り換え
◎ ラワールピンディー校外にあるバスターミナルのスナップ写真(5枚)
(上:アメリカに拘束されたサダムフセインの写真。)
パキスタン人の反応を調べてみたが、フセインについては不明。しかし、アメリカの侵略
方法については100%以上反対していた。これから先、日本の『イージス艦派遣』が自
衛隊派遣に進展することになれば、私の旅もできなくなるだろう。ちなみに、パキスタン
の人々に限らず、日本の自衛隊を自衛隊と呼ぶ人は誰1人としていない。それは、軍隊(
アーミー)である。そして、軍隊に何を期待するか尋ねると、兵士はさておき、幹部は毎
夜宴会を開き、地元の有力者との酒宴をするだけだから、期待するものはないという。当
然です。いかなる理由であろうとも武器を持ち込んで欲しくないのは誰でも同じです。大
義名分と言葉の表現は若干違うけれど、軍隊と悪徳政治家のやることは、どこの国でも同
じですね。
(上:ラワールピンディー校外にあるバスターミナル)
(上:女性は男性と同じ席にならないようフロントに座る場合が多い)
とても立派なイスラムのマナーです。
(上:顔を出している女性が目立つ)
(上:山積みになったピーナツを売る人々) |
(上:新鮮なオレンジ) |
11.00 ラワールピンディー発
・ ディナまで80ルピー
・ 車掌(写真下の右端)が釣銭20ルピーをくれた
・ 運転手(写真中央)は、とある日本人に酷似していた
・ (写真左端)の人物は、ただのお茶目な通行人
(上:車の中で小説を読む男。コーランではない。)
私は、その隣でパソコンを開き、日記を書いている。運転席の後ろだからできる技だ
けど、キーボードを上手く押せない。
12.30? ディナ着
ホテル情報がないので、大きな荷物を背負たまま、きょろきょろ。1000人以上礼
拝できそうなモスクを中心に4、5階立てのビルが立ち並んでいる。宿は簡単に見つ
かると思うけれど、看板はない。
「どこから来た。」
後ろから声がかかった。振り返ると、割腹の良い男性が、前庭のような歩道に置かれ
たデッキチェアーに座っていた。彼はイギリスに10年間住んでいたことがある紳士
で、隣の店の小僧に筆記用具を用意させると、私に2件の高級ホテルを紹介してくれ
た。
説明通りに歩くとホテルがあった。途中にある大きなモスクや賑やかな市場に心奪わ
れたが、ホテルに直行した。2つのホテルは並んでいた。初めに入った方は1泊10
00ルピー。高過ぎる。
隣は500ルピーだった。部屋に荷物を置き、散策に出かけた。お腹がぺこぺこなの
で、美味しいチキンカレーが食べたい。
(上:露天の床屋さんでは、美味しそうなお兄さんいました。)
14.00 昼食
・ チキンカレー
・ マトンカレー
・ チャパティー2枚
・ チャイ
・ 合計70ルピー
(上:チキンカレー)
このあと、マトンカレーを注文した
ディナの中心にあるモスクに入った。帽子を忘れた人のために、藁の帽子が用意され
ていた。私も帽子をかぶって絨毯に上がろうかと考えたが、遠慮した。人々は、立っ
たり座ったり思い思いに礼拝をし、私の存在に気がつかなかった。
さらにディナの街を散策。今日殺されたばかりの牛が、通りを歩く人々を見ていた。
一瞬、恨めしそうな顔に見えたけれど、これを食べている私にとやかく言う資格は
ない。同情することもしない。
ロバ車で闊歩する風景も、あと10年でパキスタンから消滅するかも知れない。何故
なら、ホテルに帰ってから従業員に下の写真を見せたとき、大きな歓声を上がったか
らだ。日本にも同じような風景が、50年前にはあった(よね?)。
ここに来て、女性の顔が見られることが多くなった。
写真下の看板を見て、今日の夕食は魚に決めた。捕れたばかりの綺麗な目をしていた。
さっきの牛と同じように、、、
リクシャーの料金は、近場だと4ルピー。10キロ以上でも、乗り合いの場合は10
ルピーが相場である。
(上:ナッツを売る青年)
(上:野菜を売るおじさん)
(上:肉やの人々)
細い路地に入った。
危険な香りはしない。
私の存在の方が、地元の人々にとって危険だろう。
つとめて、ゆっくり歩く。
遠くに子供達が集まっている。
(写真下)
2階の窓から、興味深げに女達が私を覗き見た。
(写真なし)
外国人が歩く道ではないので、
ゆっくり、かつ、方向性を持って歩いた。
子供達に気づかれないように写真を取った。
若いお姉さんが、お菓子を売っているような気配。
(写真下)
それでは、本日のメイン『ロータスフォート』へ出発しましょう。
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ロータスフォートから戻ってくると、ホテル前には近所の男達が談笑していた。
(上:ホテルのマネージャーが自慢のバイクと記念撮影)
20.00 夕食はホテルの食堂で
メニューをじっと見て頼んだものは、魚とジャガイモのフライと本日のスープ。とにかく魚を
食べたかった。
(上:味はよろしい)
が、もっと大きな魚を食べたいと思うのは日本から持ち込んだ贅沢・肥満病が再発しているか
らであろう。テレビを見たり、日記を書いたり、ホテルボーイ達と話をして楽しい時間だった。
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(左上:パルヴェーズ・ムシャラフ大統領だと思います。一般庶民の反応は、良し悪しの半々だった。本当に良いことと本当に悪いことをしている。パキスタンの一般大衆は、その事実を知った上で冷静に現政権を判断しているから凄いと思う。パキスタンは今、もっとも平和を愛し実践している国の1つだ。今の日本政府とは雲泥の差で、私は肩身の狭い思いをしながらパキスタンの人々と話をしている。) (上、左:忘れてしまいました。すみません。パキスタンの要人です。) |
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(左:ホテルのオーナー。彼とは英語を話さない。パキスタンに誇りを持ち、自分の考えに強い信念を持っていた。) |
(上:私の部屋)
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