このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です

私の日記

2004年8月1日(日)      快晴
                      
◎ クルシュ砂州(ニダの砂丘)==========
9:00 クライペダ(フェリー)→ スミルティネ
9:20 スミルティネ(バス)→ 10:20 ニダ

・ ニダの砂丘散策
・ ロシアとの国境まで歩く

                            ニダ泊
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6:30 時計を見た
 今日は日曜日なので、街はまだ眠っているだろう。美術館や博物館は10時開館だろうし、かといって、次の目的地『ニダの砂丘』に移動しても砂丘の太陽は強すぎるので夕方まで昼寝・・・それに、ニダの観光客がチェックアウトするまで空き部屋もないから・・・と、うつらうつら。

7:15 起床
7:20 チェックアウト
 パソコンで日記を書きたいけれど、相部屋の住民に気を使いながらキーボードを打つのも嫌だ。さっさと荷物を片付け、旅立ちの準備をした。玄関前の小さなダイニングルームでは、黒いのビキニパンツによれよれのTシャツを着た男が紅茶を飲んでいた。いくら静かに飲んでいても、相当五月蝿い老人に見えた。金は前日に払ってあるので、またね、と呟いてホステルを出た。

 誰もいないクライペダの街を船着き場まで歩いた。

(上:街の中心を流れる川に釣り糸を垂れる人がいた。)

◎ 世界遺産クルシュ砂州(ニダの砂丘)について
 本日の目的地『クルシュ砂州(全長100Km)』は2つの国、リトアニアとロシアに跨がっている。ロシア領を歩くのは非常に困難だけれど、リトアニア領は比較的簡単にアクセスできる。ただし、陸地でつながっていないので、5分程度の船旅をしなければならない。そして、もっとも砂州を体感できる場所『ニダの砂丘』まで1時間のバス旅行をするのが良いと思う。他のポイントでは、何がなんだか良く分からないだろう。もちろん、貸し自転車や自動車を利用するなら、観光客が少ないその他のポイントをお勧めします。

8:00
 あれっ、フェリーが出ていく。もしかして、あれって、僕が乗りたかった船じゃないの? と小走ってみたけれど後の祭り。切符売り場で時間を調べると、次は9時発、1時間後。ちょっとがっかりしながらの朝食となる。

(上:フェリーから人が出てきた。)

8:10 波止場のオープンカフェで
 屋外で静かに日記を書くのも悪くない。汚れたテーブルを自分で拭いた。

(上:合計7.3。あまり安くもなく、旨くも不味くもない。ミルクシェークは美味。)

9:00 クライペダ発
 フェリーチケットには驚いた。改札口に係員がいないと思ったらバーコードの改札だった。他の乗客がいたから真似できたものの、自分1人だったら慌てて乗り遅れたかも知れない。いきなり近代文明の道具に驚いた。

(左:バーコードのチケット。私のポケットから出てきたとき、すでにくしゃくしゃだったので一生懸命伸ばした。料金は往復で1.5Lt。片道切符はないので、全員が往復を買わなければならない。帰り客は、誰もチケットを見せていなかった。)

(下右:クライペダ港は、リトアニアで1番取り引き量が多い港。写真の後ろに写っているクレーンは、ほんの一部に過ぎない。)

(下左:フェリーの乗客。)

9:10 スミルティネ着
 世界遺産『クルシュ砂州』のスタート地点に到着。
しかし、砂州といっても、ここはフェリー乗り場なのでセメントとアスファルトでぬり固められている。それから、日本の有名観光地『天橋立』や『鳥取砂丘』に行った人なら分かると思うけれど、多大な期待は大きな失望を招くので、世界遺産と言えども、わくわくし過ぎないことがポイントである。

9:20 スミルティネ発

・ フェリーとバスは連絡していた
・ 
路線バス時刻表『ニダ→ スミルティネ』
・ 7.5Lt


10:20 ニダ村着
 村と言っても、現在は世界中から人が集まる観光地になっている。そんな観光客の1人として、私も遠路はるばる日本からやってきた。宿がないから、当然探さなければならない。今日は日曜日なので自分で探さなければならないだろうと覚悟を決めていたが、観光案内所が開いていた。/ お姉さんは疲れ気味で、昨日はたくさん観光客が来て大変だったわ、とぼやきながら民宿を紹介してくれた。60Lt。民宿料金はピンキリで、お姉さんに料金を聞かれたとき、思わず貧乏性の病気が出て1番安い宿を選んでしまったけれど、今日は午前からの滞在なのでもう少し払っても悪くないのに・・・

10:40 民家を訪ねる
 社会主義の時代を思わせる画一的な集合住宅から、目的の民宿を見つけた。階段をのぼり、お姉さんに教えてもらった部屋の扉を叩いた。親爺さんとおかみさんが出迎えてくれたけれど、言葉が通じない。親爺さんが娘を呼んだ。娘は、「まだ前の客がいるから午後4時にならないと空かないわ。あなたの荷物は、応接室に置いて、・・・」とだけ言って、奥の部屋へ消えてしまった。意志の疎通ができない観光客と両親を置き去りにするなんて・・・ぷんぷん。私はリトアニア語会話集を見ながら自己紹介を始めたけれど、彼らは彼らで私に興味がない。どうやら、民宿の目的は娘の小遣い稼ぎらしい。余計なことは止めよう。私は親爺さんと肩を並べてソファーに座わり、何だか分からないドラマをぼんやり見てから、おもむろに地図を出し、本日の計画を立てた。部屋は午後4時まで使えないので、カメラを持って砂丘まで行こう。砂丘で昼寝・・・最高かも。食料はスーパーマーケットで買い込み、砂丘を眺めながら屋外で・・・。博物館も先きに見学しておこう。

(上:夕方になってから与えられた私の部屋。散乱しているのは自分の荷物。)

11:00 ニダ村散策
 地図を見たけれど博物館の場所がよく分からない。
 スーパーマーケットで食料を買い込んで砂丘へと向かって歩いた。

(上:ニダ村の周辺地図。地図の最下端が『ニダの砂丘』。その下はロシア領になっているので立ち入り禁止。ロシアの警備員にライフル銃で打たれないように気をつけよう。また、クルシュ砂州を横断して、反対側の海岸までは数キロメートルしかないけれど、歩く道を間違えると疲れるので止めた。また、博物館の表示はあっても見当たらない。尚、
画像をクリックすると拡大します。)


(上:クルシュ砂州の大半は、日本の風景と同じように松の林に覆われていた。)


(上:魚眼を使って撮影。左右の画角は約160。)


(上:最高級の笑顔がこれ。嬉しさの度合いを示しています。)

13:00 昼食
 直射日光は嫌いなので、刺のある木の下にもぐり込んでスーパーで買ったものを広げる。木の実入りのパン、ハム、チーズ、林檎、蜜柑、ジュース。まずは、ジューシーな蜜柑から頂いた。

(上:見た目よりずっと旨い。メニューも悪くない。)

 昼寝をしてから、ロシア国境へ近づいた。国境がどうなっているのか調べてみたかった。誰も歩いていないので、ちょっと危険な香りがするけれど、本当に危険になったら、もっと恐ろしい臭いに変わると思う。
(上:昨日見た『十字架の丘』を思い出した。リトアニアには十字架が多い、とガイドブックに書いてあったけれど、そろそろ信用しても良いかも。)


(上:ロシア国境へと続く道は、だんだん雰囲気が良くなってきた。)


(上:砂地に生える植物達)
(上:ついに立ち入り禁止区域に来てしまった。危険な香りはしない。本当の国境は、ここから数キロ先にあるんだと思う。ただし、この警告テープに沿って歩いていたら、リトアニアの警備員のおじさんと目が合ってしまった。違う場所で、それぞれ1人ずつ立っていた。尚、画像をクリックすると警告の看板が拡大します。)


(上:小動物の白骨。)


(上:国境ライン上の海岸で海水浴を楽しむ人を発見!)


(上:ロシア領『クルシュ砂州』をバックにして記念撮影。双眼鏡で観察したら、あちら側の砂は誰も歩いていないのでとても綺麗な風紋が見られた。)

 さて、宿への帰り道は、海岸沿いを歩いた。これは後から知ったことだけれど、海岸沿いは立ち入り禁止区域だった。どおりで自然を感じるはずだ。


(上:ね、良い感じでしょ。裸足になって、こんな砂際を歩いた。)

(上:足長おじさんになりました。)


(上:違う種類の植物が群生していた。)


  (上:バイキング舟に揺られる観光客)
  (右:散策を終えて満足した私)

17:45 宿に戻る
 雰囲気の良いレストランに行かなくても良いほどこちらの部屋の方が良い。感激。

 暫く日記を書いてから夕刻の散歩に出かける。


(上:観光船と観光客)


(上:リトアニアの国旗が揺れていた)


(上:小さな船に乗ってサンセットクルーズに出る人々)


(上:カウナスまで船が出ていることを発見したが、文字が読めない。道行く人に声をかけて読んでもらったところ、週1便(日曜日?)しか出ていない。来た道を引き返すより他に方法はなさそうだ。残念!)

24:00 
 そろそろ寝ようかなと思っている。

続きをどうぞ!

私の日記 8月2日

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