このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です

私の日記

2004年7月24日(土)            快晴、24度C
◎ フェリーから、カレリア地方の湖と森を眺める========
早朝: サヴォンリンナの古城の外観を見学
11:00 サヴォンリンナ(フェリー、プマラ経由)→ 19:30ラッペンラータ
20:48 ラッペンラータ(鉄道)→ 23:39ヘルシンキ

                         ヘルキンキ泊
================================

3:00 不本意ながら起床。疲れているはずなのに熟睡できないのは何故だろう。北欧から帰国したばかりの友人は、朝4時には明るくなっていると話してくれたが、なるほど窓の外は明るい。デジカメで屋外を撮影してから、洗面台に移動して水道の蛇口をひねり、美味しいフィンランドの生水をごくごく飲んでから布団に潜る。

4:00 これまた不本意ながら起床。もう寝ていられないので、マックで日記を書く。


(上:薄ら明るい午前3時の空)

(上:午前6時の空は明る過ぎ)

5:00 おっといけない。俺は何をしているんだ。目の前にフィンランド3古城の1つがあるというのに、部屋に閉じこもってパソコンのキーボードを打っているなんて迂闊にもほどがある。地図とデジカメ、それに、カードキーを持って散歩に出かける。


(上:サヴォンリンナの古城と記念撮影。午前5時半。)

 城まで徒歩3分ですね。5分かからない。ほー、もう少し早く気がつけば朝焼けの城壁を撮影できたのに、とほほである。しかし、ここで素晴らしい情報を手に入れた。毎年夏、サヴォンリンナ城の中庭でオペラ・フェスティバルが開かれる。古城の入り口に掲示してあるプログラムを見ると、本日7月24日土曜日は、午後3時からと午後8時からの2回公演。1番大切な演目は読み取れなかったけれど、チャンスが2回あるとは素晴らしい。大金を払ってサヴォンリンナまで来た甲斐がある。


(上:ついに発見。サヴォンリンナで行われるオペラフェスティバルのプログラム。)

(上:中世の騎士の頭上で鳥が啼いている。これから始まるオペラと関係あるんじゃないかな・・・なんてね。)

(上:別な角度から見た古城。湖が完全に取り囲んでいるので、歩いて渡れない。開城時間になると、湖に浮かんでいた橋が、きゅるきゅるきゅるーっと移動。)

6:00 日記を書く
 昨日のページが完成すると、思い出したように食堂へ移動した。

7:15 朝食
 開場7時に合わせて行くのはあさましいかな? と思っていたら、すでに座席の2/3が埋まっている。何のこっちゃ! 客層は、おじさんとおばさまで若者はいない。ホテルのランクが高いからか、それともオペラファンが集まっているからか。勿論、日本人は欠片もない。


(上:バイキング形式だった)

 食事には大変満足した。味もさることながら量も十分。上の写真の皿を平らげた後、デザートを頂き、さらに、もう1度、ハムやチーズやサラダを頂いた。腹がはち切れるかと思ったけれど、味が良いから仕方ない。しかも、昼食代を浮かせるし・・・食べれるときには頑張って食べよう。ここでちょっと印象に残った料理を紹介しよう。珍しいと思ったのは、写真手前に写っているパン。薄いパン生地の中心には米が入っている。ミルクらしきもので味付けがされていて美味しいんだけれど、観察しているうちに食べ終わってしまった。2番目に印象深いのものは、大きな皿の右端にとろっと掛かっている茶色いペースト。たった今ひいたばかりの小麦粉のような素晴らしい香りを放っていた。80才を過ぎたと思われる女性が皿一杯に食べていた。とても身体に良さそう。

8:00 自室にて
 腹が一杯になったら、もちろん朝寝。シャワーを浴びてから本格的に眠ろう。サヴォンリンナの街は、どこもかしこも午前10時まで眠っているから。

9.55 起床
 フィンランドの生水を堪能してから、情報収集へ出かける。

 手始めにツーリスト・インフォメーション、と思って歩き出すと、オペラのチケット売り場に出くわした。売り場の男に空席状況を聞くと、すでに100ユーロ(1万3000円)の席しか残っていないのでパス(1番安い席は30ユーロ)。午後3時からのマチネは均一料金25ユーロで入場券も残っているけれど、「えっ、何? 会場が違う!? 街の劇場だって!」・・・「25ユーロ! 値段の問題じゃないって。古城の中庭で、屋外で観劇することに価値があるのに」・・・かくして、オペラの夢はついえた。

 次に入ったのはインフォメーションセンターではなく、その隣にあるギャラリー。廃校になった小学校を借りているようで、教室、食堂、体育館、廊下、階段の床から天井まで値札のついた絵が散乱してた。

 ようやく辿り着いたインフォメーションセンター得た情報は、私をよりハードな旅へ導いた。そもそも今回、無理をおして『サボンリンナ』まで来たのは、ここからヘルシンキまで戻るまで、湖水を走るフェリーに乗りたいから。北欧と言えば湖と森だから、長距離フェリーで移動したい。日本で調べて情報によると、ヘルシンキまでのフェリーはないから、途中の街『ラッペンラータ』までになる。さて、センターの人に出発時間を調べてもらうと、フェリーの出発は30分後だったので、今日は古城を散策して、博物館を見学して、覚悟を決めて高いオペラのチケットを買うしかない、と思っていたら、何と、フェリーは週1便しかなく、しかもそれは本日土曜日しかなく、あと30分後に出発したら、もう無いんだってさ。

 ほんの少しだけ迷ったけれど、ここまで来たのは古城がきっかけだったけれど、それより、フィンランドの森と湖を見ることが本命だから、そのチャンスを逃すことはできない。そうと決めたらホテルまで駆け戻り、その途中にあったヌード絵画のギャラリーを1分間だけ見て自分のサインをして作家と小話をしてギャラリーを出て、ホテルのエレベーターで4階まで上がり、散らかっている荷物を手当りしだいに詰め込み、カードキーをフロントに付き出してチェックアウトし、フェリーまで走る。間に合った。5分ほど余裕ができたのでスーパーマーケットで食料を仕入れようかとも考えたが失敗するといけないのでそのまま船内に入った。


(上:慌てて撮ったサボンリンナの街並。茶色のレンガの建物では、オペラのチケットを販売していた。)

11:00 サヴォンリンナ発
 フェリーに乗船してからチケットを買った。ほとんどの乗客は事前にチケットを購入していたようで、入り口で自分の船室番号を告げ、鍵を受け取っていた。私は船内の小さな窓口で料金を払った。通常なら昼食込みで40ユーロだけれど、昼食はいらないと言ったら25ユーロになった。さらに、無料のサヴォンリンナまで帰るバス・サービスもいらないと言ったけれど料金は変わらなかった。残念。

 すでに船は動き出していた。大阪発のフィンエアー(飛行機)も定刻通りだったが、この国の交通機関は時間を守る。電車もバスも、そして、フェリーも。それでいて、時間にかりかりしていないのは、見習うべき国民性だと思う。

(上:フェリーからみたサヴォンリンナの街並。港には小型観光船が並んでいる。)

 デッキへ出た。
 が、見晴しが効かない。長距離フェリーは、他の小さな遊覧船と並んでいると大きく優雅に見えるが、何もないシンプルな遊覧船の方が開放感にあふれているだろう。そんな狭苦しい感じのする、船尾の1番広いデッキはすでに満席状態で、肌の白い観光客達はさんさんと降り注ぐ北欧の太陽とビールで真っ赤になっていた。アコーディオンをもった楽士が陽気な音楽を奏で、私は無理矢理入り込みたい気持ちを抑えるのが大変だった。

 私は北欧の湖を森を求め、狭い階段を昇ったり降りたり、左や右へ行ったり来たりした。

 30分後、屋外の寒さに耐えれらなくなった乗客が、船内へ戻り始めた。チャンスとばかり、デッキへ移動した。屋根で影になっているベストポイント発見。空いている椅子を持ってきて、その下へ荷物を押し込み、靴をサンダルに替え、サングラスと帽子を装着。準備完了である。

(上:空席が出てきたデッキにて)

 1時間ほどしてから、デッキの最後尾に移動、手すりに腰掛けた。落ちたらスクリューに巻き込まれて一巻の終わりだけれど、ここは日本じゃないから注意される心配もない。背筋をしゃんと伸ばせば前方が見晴せるようになった。御機嫌。/ それから、ここでフィンランド人の気質について気付いたことを記すと、彼らはビールや酒を飲んでも大声で騒いだり笑ったりしない。昨日、列車にいた若者達も、小さな声で迷惑がかからないように会話していた。多くの日本の若者と違い、社会人としての躾ができている。とても上品で気持ちが良い。それから、彼等がもっている電子機器を見ると10年前のキャノンのコンパクトカメラだったり、同じく10年前のソニーのビデオ8だったりするので、経済的に豊かな割に古いものを使っている。あるいは、物を大切にする国民性なのか。


(上:切り出した木材をつなげて運ぶ。全長6〜700メートルあったと思う。写真には木材をひっぱる船は写っていない。)


(上:ビールを飲んで日光浴する婦人)


(上:橋ではなく、黄色いフェリーで車と人が渡る。)

 ここで、カレリア地方の湖と森の感想を述べよう。日本で計画していたときは、フィンランドはムーミンの生まれ故郷だとか、妖精や魔物が住んでいるとか、白夜の湖と森だとかの情報で胸が膨らんでいた。しかし、実際のフェリーからの景色は、高い船室によって視界前方を完全に遮られるだけでなく、絶えまないエンジン音によって現実に引き戻されるので、瞑想の世界に浸れなかった。記念写真を撮ろうと頑張ったけれど、それも至難の技。下の写真は、もっとも雰囲気を表わした1枚である。


(上:ビールとタバコを片手に、カレリア地方のフェリー旅)

 不勉強な私が不思議に思うことは、どうして高い山がないのか、どうして小島のように浮かんでいるように見える島が古い岩盤なのか。それから、必ずといってよいほど1つの島に1つのほったて小屋(別荘)があるが、それら1つ1つに所有者がいるのか。


(上:鬚が伸びてきました。すみません。)


(上:まあ、何となくフェリーと湖の雰囲気が掴めてきたでしょうか。)


 サヴォンリンナを出発してから3時間半。
 もうすぐ、最初で最後の休息地となるプラマに到着する。


(上:プマラの港が見えてきました。)

14:30 プマラ(PUUMALA)着
 これまでの単調な風景と比較して、人間のつくり出した建物や風景は珍しく感じた。プラマの港では、半分の乗客が降り、無料バスでサヴォンリンナまで戻っていった。私は1時間の停泊時間を利用して、スーパーマーケットで昼食を買い、街を散策し、高さ24.5メートルの橋上から景色を楽しんだ。
 

(上:木製のお土産を販売していた。)
 ここは街で一番大きな建物、教会があるから街の中心なのだろう。周りにはたくさん土産を売る露天が出ているれど、午後3時から店じまいを始めている。日没まで6時間以上あるのに、、、また、これらの露店商は、車の専用コンテナに商品を積んでいた。自分の村から1、2時間かけてプラマの街へ来て、貴重な現金を手にしているのうな、自給自足の生活ができているような感じを抱かせる。


(上:橋の上からみた湖とプマラの港)
 この大型船は、夏の季節しか運行しない。しかも週1便だなんて・・・美しい水に満ちあふれていても、人が行き交うための船は小さなもので十分なのだ。だから、カトレア地方の湖水の本当の美しさ、厳しさを体験するためには、観光客のいなくなった冬でなければ分からないと思う。僕は所詮、典型的な観光客に過ぎない。また、この街は、私に街の定義を考えさせくれた。人が集まれば街になる。人は生活に刺激を求めて集まる。会話するために集まる。珍しいものを見たり聞いたりするために集まる。余分なものを不足している物と交換するために集まる。また、人は家族を持っている。

15:30 PUUMALA発
 出発時間より早くフェリーに戻った。乗客は2/3ぐらいになっていた。私は食堂にあるふかふかの椅子に座り、スーパーマーケットの袋を開けた。
◎ スーパーで買ったもの
 ・ 玉葱味のポテトチップス

    (1.16ユーロ)

 ・ ビール

    (1.90ユーロ)

 ・ 小さなパン

    (0.38ユーロ) 

 ・ トマト3つ

    (0.46ユーロ)

 ・ チョコレート

    (0.52ユーロ)

 以上が本日の昼食。貧相に思えるが、もともと今日は、船内の生ビール1杯と諦めていたから大満足なのである。プマラの街を眺めながら飲むビールは格別だった。腹一杯になれば寝る。ぐーぐー。気持ち良いなあ。はっ、と目を醒ますと、食堂は満席状態で、楽団が生演奏を始め、ダンスの得意な初老の紳士が奥様と一緒にダンスを始めた。顔を見ると普通の叔父さんなのに、生き生きと踊る姿に誰もが見とれていた。昔はかっこいい青年だったんだろうな。今でも踊っているときは輝いているよ。


(上:木材置き場)
 大量の木材が置かれている。森林を伐採し過ぎないように注意してね。


(上:木材工場)

 あー、もうすぐフィンランドの湖と森巡りが終わる〜う。


(上:さようなら)


(上:ラッペンラータの港付近を行き来するボート)

19:30 ラッペンラータ着
 とうとう着いてしまいました。さて、これからどうしようか。安宿があるならラッペンラータに泊まろう。なければ列車かバスで、ヘルシンキに移動しよう。まずは、市内地図を見て・・・あーあ、駅までは距離がありそうだけれど歩こう。ラッペンラータの街ともお別れかも知れないからね。


(上:私が乗ってきたフェリー)


(上:ラッペンラータの港。ここから町外れの鉄道駅まで、徒歩25分の距離がある。)

 芝生の上で遊んでいる親子連れに、鉄道駅までの道を尋ねた。彼は英語が得意ではなかったので、私が両手を直角に曲げて機関車が進む真似をしたら分かってくれた。彼はたどたどしい英語で駅までの道を教えてくれた。私が礼を述べて歩き出すと、彼は私を追い掛けてきて、メインストリートを歩くことを勧めてくれた。タクシーではなく、徒歩を選んだからだ。些細なことだけれど、フィンランド人の温かさを感じた。

 鉄道駅は街の中心から外れていた。

 飲食店以外、ほどんどの店が閉っていた。午後8時過ぎているから当然だね。

 途中、旅行者に空き部屋を貸しているビルを見つけたが、レセプションには貼り紙しかなかった。他にも同じような貸部屋があるかも知れないと期待しつつ歩いたが、見つけられなかった。/ 鉄道駅の切符売り場は閉っていた。切符は買えない。列車に乗ってから購入すれば良いと思うけれど、予想できないシステムになっていて法外な料金を請求されるのはご免だから、車内の車掌を探して声を掛けてから乗り込むことにした。もし、失敗したら、深夜2時20分に出発するヘルキンキ行きのバスに乗れば良い。ここの待ち合い室は24時間、暑苦しいくらいの暖房が効いているようだ。

20:48 ラッペンラータ発
 出発1分前になって、車掌を発見した。走り寄り、車内で切符を買えば良いことを確認した。切符はクレジットカードで購入した。車内はがらがらだったので、空気枕を膨らまし、横になって寝た。

23:39 ヘルシンキ着
 ヘルキンキに到着したときには完熟していたので、車掌に叩き起こされた。文字どおり、本当に叩き起こされた。フィンランドの国民は躾が行き届いていると先に述べたが、家庭内での厳しい教育を垣間見た気がした。なお、私を起こしてくれたのは、ラッペンラータの駅で親切にチケットを売ってくれた女性である。

 完全に寝ぼけたまま列車をふらふら出て、構内を彷徨い、インフォメーションセンターの閉った扉を見て、駅の構外に出る。行く当てのないことに気付いて再び駅内に戻り、ガイドブックを開けた。ここから1番近いホテルへ行こう。駅の東に国立劇場があって、その東側の道の通りに安宿が並んでいるらしい。徒歩3分。/ 地図通りに歩くと、安宿っぽい看板を見つけたが、現在も営業しているのは1軒だけ。「空室があるといいなあ。」ホテルは大きなレンガ造りの建物の2階なので、入り口でブザーを押して鍵を開けれもらう。ブザーをぶー。ぶー。ぶー。・・・開いた。これで第1関門じゃなくて、第2関門通過。第1関門は安宿があるか否かだったからね。階段を昇り、レセプションを発見。綺麗に掃除がしてあるので、良い感じの宿だと思った。カウンターの奥には可愛いお嬢さんが1人で留守番をしていた。仮眠していたのだろう、私と同じように眠たい目をして出て来た。シングルルームがあるそうだ。種類もたくさんあって、シャワートイレ付き、トイレのみ、何もなしの3種類から選べる。1番安い部屋を頼み、キャッシュカードで44ユーロ支払った。/ シャワーを浴び、気分が上々にになったところで、明日じゃなくて今日の朝食を注文した。私の部屋まで持ってきてくれると言う。すばらしいサービスじゃないか。良い感じ。その場で現金6ユーロを支払った。


(上:翌朝写した私の部屋)

 TVと洗面台がついている。清潔感と設備のよさ、ヘルシンキ市内におけるロケーションの良さで、この宿には2泊した。

・ MAJATALO OMAPOHJA(マヤタロ・オマポヒャ)
・ 2号室
・ Itainen Teatterikuja 3
・ 09-666-211

続きをどうぞ!

私の日記 7月25日

 このページのTOPへ


 (c) 2004 fukuchi takahiro [
→home]