このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です |
私の日記
2004年7月26日 快晴
◎ さようならフィンランド、こんちにはエストニア =======
午前: ほげー
12:00 ヘルシンキ(フェリー)→ 13:40 タリン(エストニアの首都)
午後: タリン旧市街散策
タリン泊
==================================5:40 起床
6:30 朝食
昨日は可愛いお嬢さんが運んでくれたのに、今日は若い兄ちゃんだった。
女性客なら彼で良いと思うけれど・・・
(上:コーヒーを紅茶にした以外は、昨日と同じはずなんだけれど・・・)
7:00 シャワー
7:20 チェックアウト7:40 港に着いたらいきなりブルー。始発(8時)のフェリーでエストニアに渡るつもりが、2便先しか予約できない。12時まで4時間。キュー! 10時ならファーストクラスが1席空いているけれど、30ユーロが65ユーロに跳ね上がるのは厳しい。待ち合い室で日記を書きながら時間を潰すしかない。こんなことならホテルのベットでごろごろ美味しいコーヒーを飲みながら仕事がしたい。ここには電源もないし、あー画面を暗くしてバッテリーをセーブしよう。それにだいたい、どうして月曜日から込んでいるんだ。昨日の夜、予約しておけば良かった。窓口まで足を運んでいたのにね。
(上:午前10時発のフェリーにのる人々)フィンランドの人々は行儀が良い。きちんと並んでいるよ。まるで日本人みたい。服装も清潔だし、乱れた行動はしない。僕はここでもちょっと浮いているかも知れない。悪寒がするので、下はズボン2枚重ね、上はTシャツを2枚重ねてから長袖、あぐらをかいた膝にマックを乗せてキーボードをぱたぱた、今はデジカメで盗撮?(ノーファインダー)。
10:10 港の近くにある小さな店がたくさん入った建物にあるコーヒー屋
(上:エスプレッソ(2ユーロ)、生サーモン(2.4ユーロ))店に入る前、店の親爺さんに電源を貸してくれないかと頼んだら2つ返事だったので、エスプレッソの他にサーモンも注文してしまった。うまい。いずれも旨い。しかも電源あり。やー、本当に結構楽しんでいるよ。金を払えば何杯でもコーヒーを持ってきてくれるし。最高だよう。
(上:コーヒー屋の他にたくさんの店が入っていたホールの看板)11:30 港に戻る
チケット売り場で、搭乗券らしきものをもらう。そして、出国審査の列に並ぶ。動かない。出発10分前になったら、12時発専用のラインができたので、そこに並ぶ。パスポートを出すと私の顔をじーっと見て、それから写真をじーっと見て、それからまた私の顔をじーっと見てから出国スタンプを押した。私は押して欲しいページを指定したけれど、違うページに押した。うっ。フェリー入り口のタラップで、私は船首の方の部屋に案内された。30ユーロで買ったチケットは『リンダ・クラス』で、たった8ユーロ追加するだけで、ゆったりしたソファーと食事と飲み物サービスがついている。これまた最高。私は注文しなかったが、ワインも飲み放題である。
12:00 ヘルシンキ発
(上:ねっ、私の隣は優雅な船旅を楽しむお姉さんです。リンダ・ラインのリンダ・クラスです。)13:30 タリン(エストニアの首都)港着
フィンランドの出国審査に比べると、エストニアの入国審査は簡単だった。ただ、入国スタンプをフィンランドの隣に押してくれと頼んだに、「できない」と断られてたのは腑に落ちない。 さて、晴れてエストニアの土地を踏んだが、もしかして通貨ユーロが使えないかも知れないと思い、銀行の窓口並んでいる人の尋ねてみたら、案の定使えない。数カ月前、エストニアはEUに加盟したのに、通貨は統一されていない。困った困った。とりあえず、前のおじさんに習って、30ユーロだけ両替えしておこう。
◎ タリン港の両替所でもらった紙
・ 30ユーロ
・ 両替率が15.3
・ 459エック(Kurss、あるいは、EEK)
・ エストニアの通貨単位は『クローニ』だけど、『エック』とも言うらしい
・ 両替時間は、13時40分
それにしても、エストニアに来ても大きな感動がない。感動が少なくなっている理由に金がある。今回の旅行は本当に金がかかる。俺はこんな贅沢をしていて良いのだろうか、と思う。バルト3国では、少しはセーブできると思うが、もう少し節約した旅をしなければいけない。さて、ほとんどの乗客が流れていく道ではなく、私は長い階段を登った。
「あの頂上なら港と街が見渡せるに違いない。」
「もし道が無くなれば、もう一度階段を戻れば良い。」
私はリンダクラスで元気になっている。
(上:タリン港を望む。中央左にある赤白のフェリーから歩いて来た。)
(上:港の反対側。左が新市街、右が世界遺産に指定されているタリン旧市街。)さてと、階段を降りて旧市街に行きましょうか。その前に、宿を決めたいですね。ガイドブックを開いて、ベット&ブレッファスト(民宿)を紹介してくれる店を訪ねてみることにしよう。徒歩で20分ぐらいの距離だろう。
エストニアを歩いて感じることは、歩いている人が多いこと。フィンランドより遥かに多い。実際の人数は多くないけれど、とてもたくさん歩いているように感じるのは、人々が歩き慣れているからだろう。と、勝手に解釈した。
民宿紹介所の女性は、とても親切だったけれど、旧市街内の民宿は一杯で、新市街の方へ歩いて15分のところしかないと言う。私は旧市街に泊まりたかったので、彼女に礼を言って紹介所をあとにした。2つの荷物は1つにまとめた。荷物が少ないことは旅の重要な条件だ。腰のベルトをきつく締めて、さっそうと歩き始めた。
(上:旧市街を取り囲む城壁にある城門の1つ、ヴィル門)ヴィル門を見たとき、エストニアに来たあ〜って感じだったけれど、旧市街の中心に向うほど観光客が増えてきて、急に帰りたくなった。東京ディズニーランドのような街並と、民族衣装に身を包んだ客引きの女性が・・・よく考えれば予想できた範囲だけれど・・・。今はそんなことより宿を探そう。
ガイドブックによると民宿は黄色い看板『B&B』で分かるはずだけれど、1つも見当たらない。ない。ない。歩き回ったけれどない。ガイドブックを開いて休息し、本日月曜日でも開いている博物館を訪ねることにした。閉館まで45分ある。
17:00 タリン博物館
入場料金25クローニを払い、荷物を預けて見学。昔のエストニアの地図を見て、国境線が変わったんだなあ、とぼんやり感じたり、エストニアの国旗をぼんやり見た。
(上:展示物ではなく、まわり階段が素敵だなあと思って撮影した)それから、特別展示されている『エストニアの台所』を見物した。
(上:椅子の上にあるブルーベリージュースは、翌朝、宿泊先のおばさんが作ってくれた)
(上:これは50年ほど昔のバージョン)博物館も見学したし、観光客に塗れた旧市街にもうんざりしたので、先ほどの民宿紹介所に戻った。紹介所には2歳ぐらいの子どもを連れた美しく若い先客がいた。どうやら民宿を経営している若い奥さんで、これまでの宿泊料金を受け取りに来たようだ。現金をしっかり数え直して笑顔で帰っていった。紹介所のおばさんは、私にも笑顔で民宿を紹介してくれた。
その民宿は、ここから約1km離れたところにある集合住宅で、社会主義を連想させる無機質な建物8階だった。最上階だったことだけが、私に多少の期待を抱かせた。建物入り口のブザーを押した。ロックが外れた。分厚い2枚の扉を開けると、正面にエレベーターがあった。押しボタンのまん中に穴の空いているボタンを押すと、オレンジ色のランプが点灯し、戦後すぐから働いているエレベーターが私を迎えに来る音がした。
8階には3つ部屋があった。私は番号を確かめ、もう1度入り口のブザーを押した。中から出て来たのは80歳ぐらいの婦人だった。彼女は英語が話せないと話してから、私を招き入れ、スリッパを履くように勧め、そして、ベットのある応接間へ案内した。私は荷物を置いて、紹介所からもらった紙を差し出した。彼女は無表情だったが、私が自己紹介すると、初めて笑顔を見せた。この家には彼女しか住んでいない。また、ベッドは1つしかないので、今晩は彼女と2人で泊まることになる。
(上:私のために用意された応接間)
・ BED & BREAKFAST で紹介してもらう
・ 275エック(EEK)
・ 朝食は50エック追加(おばさんに直接払う)
・ NARVA MNT. 19-58 8TH ROOM荷物から開放され、再び旧市街へ歩き出した。午後6時に近づいているけれど、あたりは完璧に明るい。 旧市街の中心となるラエコヤ広場を通過し、聖ニコラス教会に入った。内部はロシア教会の影響を受けて(ロシアに行ったことはないのに、知っているような口ぶり)派手な装飾だ。写真を撮りたいポイントがたくさんあるのに撮影禁止になっている。それでも撮りたかったものは、銀色の金属を加工し、顔を手の部分だけを残して、すっぽり絵画に覆いかぶせる工芸品である。顔と手を残し、他の部分を隠してしまうのは面白い発想だ。
(上:聖ニコラス教会の前)それから、旧市街の中でもトームペアと呼ばれる丘陵地に登った。登ったといっても10分もかからない。あっと言う間に到着し、案内図を見てビューポイントを確認して歩き始めた。エストニア最大の観光地だけあって、現地の案内図は非常に分かりやすく、自分の地図は必要ない。
(上:ここが、最も有名な眺望ポイントです。)
(上:風見鶏が、ポーズをつけてくれました。午後7時半。)
(上:旧市街の中心となるラエコヤ広場。右奥の建物が、旧市庁舎。)
見るものが無くなっていまい、はて、もうビールを飲むしかありません。歩き回ってチェックしたところに因りますと、広場からちょっと入ったところにあるビール屋のビールが濁っていて旨そうだっだの戻ることにしましょう。
(上:ほいじゃあまあ、いただきます。1リットルを頼みました。)このレストランは最高だ、と歓喜の声を上げているのは31才のニュージーランド人だった。彼は3年前、イギリスから1年間ニュージーランドにワーキングホリデーにきた女の子を追っかけ、イギリスに渡り、今ではレントゲン技師としてイギリスの病院で働いている。そんな彼が1週間の短いバカンスにやって来たのは、新しい女の子との出合いを求めてかも知れない。とにかく、彼はレストランの前を通る女の子に釘付けなのだ。
(上:私の2杯めは、0.5Pです。)
・タリンのビヤー・ハウス BEER HOUSE ounkri 5
・ 合計177クローネ(シシケバブが85、ビールは?)もう1杯飲みに行こうと誘われそうになったけれど、私はお暇を申し上げ、宿へ帰った。タリンには2泊する予定だったけれど、観光客の多さに嫌気がさし、今日でお別れをすることにした。これはタリンを離れて2日後、ラトヴィアのヴァルミエラでの感想だが、タリンの地形図を見ているとそそられるものがある。もう少し滞在していれば良かったとも思うが、現地は僕の求めているものとは違った。それでも地図を見る限りそそられてしまう。一体この感覚は何なんだろう。
(上:宿へ帰る道、NARVA MNT. から見たPRONKSI 通り。午後10時。)22:40 消灯
(上:酔っ払いおじさん)
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