このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です

私の日記

2004年7月29日(木)       曇り
                      
◎ ツェースィスとスィグルダの観光 ==============
8:40 ヴァルミエラ(バス)→ ツェースィス
・ ツェースィス市(騎士団の城跡)観光

ツェースィス(バス)→ スィグルダ

・ スィグルダ市(トゥライダ城)観光

                        スィグルダ泊
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3:00 
 深夜に日記を1時間ほど書いてから二度寝。

7:10
 無理を言って、早朝6時半に頼んでおいた朝食は戻っしてしまったらしい。7時10分にセットされた目覚まし時計ではどうにもならない。フロントに電話したけれど、下に用意してあると言われてしまった。どうも、すみません。

7:12 シャワー
7:20 朝食

(上:下の食堂で1人朝食をとる。)


7:45 部屋に戻って仕事。コーヒー・ポットは許可を得て持ち込んだ。

 さて、今日の目的地は『スィグルダ』。ラトヴィアのスイスと呼ばれるガウヤ国立公園内にある『トゥライダ城』を訪ねるためだ。移動距離は約70キロ。途中、ツェースィスで乗り換えなければならないが、近くなので焦る必要はない。/ ガイドブックによると、『ツェースィス』は由緒正しき城跡を持つ歴史ある街。なので散策しなければならない。こんな事を計画していたら、居ても立ってもいられなくなり→ 出発!

8:20 チェックアウト

(上:ホテルからバス乗り場へ向かう途中、小さな市場を見つけた。ゆっくりしている時間はないけれど、どうしても気になるので、駆け足で路地の奥へと歩いた。画像をクリックすると、内部の画像が1枚。)


(上:1283年にできたバルミエラ市の中心に位置する教会。それにしても、
街(豊富な水と教会)ができた年を看板にして掲示しておくことは、市民にとって勇気づけられることだと思う。僕の住んでいる街は、名古屋市昭和区だけれど、名古屋市や昭和区が初めてできた年はいつなのだろう。明確でないとすれば、これまた平和な国に住んでいる証なのだろうか。)

8:40頃 バルミエラ発(ツェースィスへ向かう)

(上:大型路線バスの窓から写す。)

9:50(たぶん) ツェースィス着
 バルミエラからのバスは、ツェースィスの鉄道駅前に着いた。そこからの記憶は曖昧になってしまったが、首都リーガについで古い街『ツェースィス』を散策するため、荷物を駅構内に預けようとしたと思う。しかし、ロッカーがなかったので、街のツーリストインフォメーションセンターを訪ね、そこに置かせてもらったような気がする。

(上:ツェースィスのバスターミナルは、街の中心から少し外れた鉄道駅前にある。)


(上:何だか分からない工場の写真を撮っている東洋人(私)は、よほど珍しいのだろう。道行く誰もが凝視してゆく。私にとっても、彼女が手に持っている四角い物体は「傘立て」なのだろうか、あるいは、彼が連れている犬の名前は何て言うんだろか・・・あ、僕も彼らに興味津々なんだから、お互い様だった。)

 旅の記憶がだんだん蘇ってきた。ツーリストインフォメーションセンターは、街の中心に移転していて、僕はそこで地図をもらい、荷物を置かせてもらった。そして、数時間の市内散策に出発したのだ。間違いない。メインデッシュトなる『騎士団の城跡』は後回しにして、先に『ピルス公園』を歩いた。


(上:読書している人がいる。日本の直射日光は厳しいけれど、ここは太陽が恋しい土地なのかも知れない。)


(上:カモにパン屑をあげる姉と弟。)



(上:公園のあちこちで清掃している少女達は美しかった。ボランティアの授業だろうか。)

 公園の左端に来ると、城壁が見えた。少し広くなった場所では、バスから降りてきたばかりのように整然と列をなした観光客が集まり、ガイドの説明を聞きっていた。英語でないことは分かっても、それがラトヴィア語かどうかは聞き取れなかった。


(上:石段の中央には水が流れている。写真左端の子どもが遊んでいるのは、ザリガニの形をした鋳物の口から水が吹き出しているからである。大変珍しいものだったが、写真に納めるのを忘れてしまった。)

歴史博物館
 なにがしかの入場料を払って博物館を見学した。騎士団の城跡を見学するためには、まず、ここで勉強するらしい。

(上:歴史博物館の展望台から、聖ヨハネ教会とツェースィス市内を望む。)

騎士団の城跡
 敷地内は、緑に輝く芝におおわれていた。小さな板切れに座って読書する人と、子どもを連れた家族が1組いるだけだで、清清しい休日の空気に満ちていた。私はメインの城を見学するより先に、変わったものを見つけた。巨大な石像である。(写真下)これが、いかなる歴史を持ったものか分からないが、巨大な棺桶に入れられ、野ざらしの刑にあっているように見えて仕方なかった。もしも、この街の英雄だったらご免なさい。

(上:画像をクリックすると、キリル語?の看板があります。)


(上:城の内側を歩いている人を発見し、これから挑戦するすることにした。)

 城内に入るためには、ヘルメットの着用とランタン(蝋燭)が必要だった。私は工事現場のおじさん用だと思って、何も受取らずに入ってしまったが、内部は真っ暗で何も見えない。階段1つ昇ることさえできない状態になったので、入り口に戻ってランタンを貸してもらおうかと思ったが、文字どおり、本当の手探りで階段を昇った。小さな城なので、暗黒に状態は長くないはずである。5段も昇ると光が射してきた。それほど狭い周り階段なのである。何回か広いスペースを通過しながら、同じようにして手探りで最上階をめざした。


(上:城の内部。オリジナルのレンガ細工が天井や柱の一部に残っている。なお、暗黒の周り階段は、写真右手にある小さな入り口から始まる。)


(上:この城跡の地中には、まだまだ当時の遺物がたくさん埋もれているようだ。)

 さあ、ツェースィスの観光はここまで。ツーリストインフォメーションセンターで荷物を受取り、次の目的地『スィグルダ』へ行こう。


(上:ゲームセンターを発見した。現金が戻ってくるとは思わないけれど・・・)

(上:統一広場前にある独立記念碑の下には、地元の若者達がたくさん集まっていた。)

 気づくと腹が減っている。飯を食わなければいけない。街のレストランも悪くないが、地図を見ると、近くに『市場』がある。素敵な出会いと発見を求めて、庶民が集まる中央市場を目指した。


(上:ツェースィスの中央市場。平日の昼間ということもあって、活気に満ちあふれている訳ではない。)

 食堂は1軒しかなかった。メニューはおいてあったけれど読めない。私は、ショーケースのドリアを指差して注文したつもりだったが、オーナーには通じなかった。食べる真似をしても分からなかった。観光客が冷やかしに来た、とでも思ったのだろう。困った私は、ドリアの次に電子レンジを指差し、タイマーを回す真似をして「ちーん!」と言った。彼女はようやく愛想を崩して、ドリアを準備してくれた。ほっとした私は、他の客が食べていた芋のフライらしきもの、および、ビールを注文した。


(上:ビールを飲むつもりはなかったけれど、常連客が立ち飲みしているのを見てしまったからには、飲むしかないでしょう。)

(上:芋フライには、何だか分からない生クリーム風のものがかかっていたが、大半を残した。ドリアのチーズも塩辛かった。)


(上:窓外の市場では、可愛い女の子が一生懸命働いていたので写真を撮ってしまった。)

15:00(ごろ) ツェースィス発
 さて、ビールも飲んで良い気分になったところで、本日の最終目的地『スィグルダ』へ向けて出発。料金も時間も忘れてしまった。大型路線バス30分の旅だったと思う。

15:30(ごろ) スィグルダ着
 ここからの予定は、大幅に変更した。当初の予定では、バス停前の大きなホテルに停まってのんびりする予定だったが、シングルがなくて料金の折り合いがつかず断念。てくてく、てくてく30分ほど歩いてツーリストインフォメーションセンターへ行き、ケーブルカーを使ってガウヤ川を越えた山の頂きにあるユースホステルを予約してもらった。

16:30 ケーブルカーに乗る
・ 1ラテ

(上:
ケーブルカーに乗って『ガウヤ川』を越える。写真左上に赤レンガのトゥライダ城が見える。

 予約したユースホステルは、かつて病院として活躍していた建物を改修したものだった。私は1番安い部屋を希望したので、病院外にあるプレハブ小屋を連結したような建物に案内された(写真下)。 初めに見せてもらったのはべッド1つの狭い部屋だったけれど、交渉の結果、ベッド3の小奇麗な部屋になった。料金はもちろん同じである。


(上:私の部屋は、この建物のほぼ中央にある。)


(上:かつて病院で使われていただけあって、ベッドは可動式になっていた。)

 日没時刻が迫ってきたが、じっとしていられないので、スィグルダの目玉『トゥライダ城』を訪ねることにした。3、4キロの道のりを歩いてけば閉門してしまうので、管理人に相談してミニバスで行くことになった。/ 幸にして、1時間1本に満たない路線バスは、5分待っただけだった。

17:15 トゥライダ城
 帰りのバス時間をチェックしたいが、時間がない。閉門してしまっては元も子もない。とにかく、チケット売り場に走り、チケットを買った。売り場のおばさんに「時間がないよ」と忠告してもらったが、明日の開門まで時間を潰すことはできない。とにかく、ささっと走り、トゥライダ城を目指した。


(上:トゥライダ城が見えてきました。)


(上:展望台からの眺め。良くある写真です。→魚眼レンズでも撮ってみました。

(上2枚: 城内の様子)

 午後6時になると、室内から追い出せれた。城趾内は午後8時まで見学できるけれど、バスがなくなるのは嫌だし、ガイドブックによると、帰り道に有名な洞穴があるらしい。いつまでも城を見学するより、洞穴を訪問することを選んだ。

 さくさく歩いた。素晴らしい舗装道路をさくさく歩いた。でも、ない。もう2キロは歩いたと思う。路線バスも1台、私を追い抜かしていった。あー、どうやら初歩的なミスを犯してしまったようだ。道を間違えた。タクシーを拾って訪問するまでの興味も時間も金もないので、そのまま宿まで歩き続けた。途中、『タリムダ城跡』を見学した。

タリムダ城跡

(上:これといって何もあるわけではない。それでも心に残る2つの出会いが合った。1つは中学生ぐらいと思われる男女が優しい木漏れ日の中で口づけを交わしていたこと。もう1つは、小石が散乱する傾斜25度の山道をマウンテンバイクの青年2人が駆け抜けていったこと。)


(上:トゥライダ村の風景。午後6時半ごろ。)

 宿に着いた。

 夕飯がない。ユースホテルにもない。近所に売店を探した。1軒だけあった。


(上:スモモ、アボガド、オイルサーディン、パン、白ワインを買った。)

 温かいシャワーの後の軽食は、格別に美味しかった。

 午後9時頃、消灯。

続きをどうぞ!

私の日記 7月30日

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