このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です |
私の日記
2004年7月30日(金) 曇のち晴
◎ ラトヴィアの首都『リーガ』の市内散策 ==========
9:54 スィグルダ(バス)→ 10:45 リーガ
1 リーガの歴史と海運の博物館
2 1991年のバリケード博物館
3 市庁舎広場(ブラックヘッドのギルド、ラトヴィア占領博物館、聖ペテロ教会)
4 ラトヴィア写真博物館
5 ラトヴィア美術館
6 救世主誕生大聖堂
リーガ泊
===============================7:35 起床
8時19分発のバスに乗りたいので、これから44分間でパッキング、シャワー、朝食、チェックアウト、バス停まで移動する。7:40 バスタブ
お湯が出るといいなぁ〜。10%期待して蛇口を捻った。汚れた冷水が、げほげほ出てきた。激しい汚れと勢いに見とれていたら、白い湯気が出てきた。素晴らしい、神様に感謝。再び水に戻らないことを祈りながら服を脱ぎ、湯舟の底から5センチたまった薄茶色の湯に尻をつけた。足指マッサージ、それから、脚、身体、手、顔、髪を洗い、鬚を剃った。湯舟の栓を抜くと同時に、頑張って最後まで出ていた湯を止めた。バスを1本遅らせよう。私は時間を詰める傾向があるので、ゆとりを作る練習をしよう。やがて、真に時間を気にしない人間、時間を超えた生活ができる人間になれるかも。
7:55 朝食
ダイニングルームに、2種類の食事が用意されていた。1つは、ここで合宿生活をしている子ども達を対象にしたもので、ブルーベリー・ジュースと小麦?粥かゆにブルーベリーをかけたもの。乳児の流動食のような食事は、育ち盛りの子どもにとって栄養が不足しているような気がした。もう1種類は、私のような観光客に用意されたものだった(写真下)。
(上:豪華な観光客用朝食は、私の他に4人分用意されていた。)飲み過ぎで、大半を残した。今回の旅行で1番残した。/ 昨日、暴飲暴食したのは充実感を味わうためだった。無意識のうちに1日の失敗を忘れようとしたのだろう。/ 夕食をたくさん食べる人々は、1日の終わりに深い充実感を味わおうとするのだろう。私の好きな生活スタイルではないけれど、食事を大切にするのは人間として正しい生き方だと思い、朝食をたくさん食べようとしている自分を反省した。
9:45 出発の時間だ
急がないと、バスが発車してしまうかも。運転手の時計が正確とは限らないからね。パソコンをしまい、部屋の鍵をかけ、昨日管理人に指示された通り、レセプションの扉の下から鍵を滑り込ませて・・・
(上:クルムルダ村の風景。慌てていると懐かしく見える。→もう1枚。)
(上:慌てていると、何でも良いものに見えてしまうのかなあ。生木の感じがいい。)9:52 クリムルダ発
(スィグルダではなく、私が宿泊したユースホステルがある小さな村『クリムルダ』を経由する、首都リーガまでの直行バスを利用した。)18人乗りの小さなバスだった。予定時間より2分早く発車したので、もう少しで乗り損ねるところだった。首都リーガまでの料金は、0.8ラティ(20円)。所要時間1時間。
(上:片道3車線の立派な道路だった。バスの最高速度は80km/時。)10:45 ラトヴィアの首都『リーガ』着
バスターミナルではなく、ミニバス専用のターミナルに着いたようだ。何回地図を見直しても分からない。とりあえず、予定しているホテルの近くに、旧市街のシンボル『リーガ大聖堂』があるので、そこまで歩くことにした。リーガ市民であれば、リーガ大聖堂を知らない者はいまい。しかし、私の質問方法が悪いのか、あるいは、同じような聖堂がいくつもあるからか、あるいは、道が曲りくねっているからか、何回も尋ねながら歩いたけれど、最後まで自分が歩いている位置さえ分からなかった。突然、目の前に大聖堂が現われたときは本当に驚いた。また、今回の旅で始めて物乞い(道を教えたお礼として1ラテを要求)に出会った。
(上:リーガ大聖堂です。)さて、今日の宿は、リーガ大聖堂の裏にある安宿。看板は出ていないらしいから、ここを訪ねる人は、住所を頼りに探すこと。共同ビルの2階部分。
おっと、重たそうな鞄をもった青年2人組を発見。どこから見ても貧乏旅行をしている学生なので、彼等についていけば良いだろう。あー助かった。建物入口の表札にさえ、ホテル名Arenaが出ていないので、本当に助かった。
11:30 HOTEL Arena
フロントで留守番をしているおばちゃんが要領を得ない人だったので、先に到着した学生2人より、私の部屋を用意してくれた。青年達には悪いことをしたが、彼女が相手では仕方ない。ここでちょっとだけ青年の話をしておくと、イタリアで法律を勉強している彼らは、10日間休暇を使って観光に来た。今後の日程は、私が先に訪れたヘルキンキを予定しているそうだけれど、とても物価が高いことを話してやると困った顔をしていた。とても知的な青年だった。
・ 6ラティ
・ シングル(トイレ、シャワー、TV、朝食なし)
(上:5階窓からは真正面にリーガ大聖堂の屋根が見える。)さあ、重い荷物から開放された。
何はともあれ、午後5時に閉館してしまう博物館、美術館が多いので出発です。+
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リーガ旧市街は世界遺産です
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+++++リーガ市内観光(旧市街)
その1 リーガの歴史と海運の博物館
大聖堂に隣接する博物館で、自分の宿の目の前だったので入ってみたけれど、うーんでした。
・ 50
(上:博物館内部の様子)
リーガ市内観光(旧市街)
その2 1991年のバリケード博物館
40分のビデオを最後まで見てしまった。悪くないかも。バルト3国の最近の歴史を知りたかったので、とても良かった。ただし、一般の観光客は興味がないようで、私がビデオを見ている間、誰も来なかった。小さな建物の2階にある博物館で、入場無料だが、事務所で展示室を開けてもらわなければならない。
(上:ラトヴィアの独立を妨害しようとするソ連内務省特殊部隊に、市民は対抗していた。)
(上:1991年1月20日の午後21時、バリケードを守っていた罪なき住民が6人殺された。)
(上:女性も子どももみんなで独立しようと戦っていた)1991年のバリケード博物館を見学して、結構充実した気分になったけれど、リーガには見所がたくさんあるので急がなくてはならない。はっと後ろを振り返ると、狭い路地の間から、リーガ大聖堂のベルが見えた。写真を撮らなくては・・・
(上:随所に絶好の撮影ポイントがあった)12:00 パン屋さんで昼食
時間を稼ぐため、立ち食いできるパン屋に入った。小さなパン3種類とサラダ、それに、コーヒーを注文した。
(上:良く冷えた赤豆とマッシュルームのサラダは最高の1品だった。合計2.4)
リーガ市内観光(旧市街)
その3 市庁舎前広場
市庁舎前広場には、有名な建物が目白押し。リーガで、もっとも美しい建物と呼ばれている『ブラックヘッドのギルド』。是非とも見学したい『ラトヴィア占領博物館』。リーガの街を一望できるタワーを持つ『聖ペテロ教会』。その他にも、帯剣騎士団城趾などがある。まず、ブラックヘッドのギルド(写真下)。これは第2次世界大戦によって破壊されたものを、数年前に再建したものらしい。内部は博物館になっているが、時間の関係で見学しなかった。
(上:白と赤いレンガのコントラストが美しい建物が『ブラックヘッドのギルド』で、その右隣にある近代的な黒い建物が『ラトヴィア占領博物館』。)次に、ラトヴィア占領博物館に入った。入場は無料だが、入り口に寄付金を入れる箱が置いてある。
(上:スターリンによる大量流刑など、諸外国によって占領された歴史が展示されている)
(上:シベリアの収容所を再現した部屋。これから訪問しようと計画している『アウシュビッツ収容所』とはいかなるものか、ここで少しだけ勉強した。)
(上:1953年、ラトヴィア独立を求めて自由記念碑に集まる市民。)
それから、ラトヴィアの首都『リーガ』を一望するため聖ペテロ教会のタワーに昇った。チケットを買うのに5分、エレベーターに乗るのに20分待った。大きな出費だけれど、他の観光客に負けてはいられない。
・ 2ラティ(特別展はプラス0.5)
(上:市庁舎広場から見た現在の聖ペテロ教会のタワー。)
(上:1941年、火事によってタワーが崩れ落ちた。)
(上:リーガ南西を望む。大きなダウガワ川が流れている。)
(上:リーガ南東を望む。右手遠くにテレビ塔、正面中央に中央バスターミナル。)
リーガ市内観光(旧市街)
その4 ラトヴィア写真博物館
どんな写真が展示してあるかとても楽しみにしていたが、期待通りだったので嬉しかった。
(上:ラトヴィア写真博物館の入口。辿り着くまでに、随分迷った。観光客が知らないことは理解できても、近くの住民や商店主に尋ねても返事は「知らない」だった。地図とにらめっこしながら、それらしき道や扉に挑戦した。)写真博物館を出て、ダウガワ川の水を引き込んだ運河が流れるクルアンヴァルズ公園を通り、本日最大の目的地となる『ラトヴィア美術館』へ向かった。
(上:クルアンヴァルズ公園で鳩に餌を与える少年少女。)
旧市街を南北に両断する『カリチュ通り』とクルアンヴァルズ公園が交叉するところに、ラトヴィア独立を記念する『自由記念碑(1935年、写真下)』がある。共和国時代の軍服を着た衛兵が2人立っていた(写真右上)。バルト3国が独立する以前は、この記念碑に近づくだけでシベリア送りになると噂されていたようだ。 (写真右下:ラトヴィア占領博物にあった写真。1953年)
リーガ市内観光(新市街)
ラトヴィア美術館
16:15、閉館45分前になったラトヴィア国立美術館に駆け込んだ。入館料1.7。静かな色彩と小さな土地で生きざまを画面に焼きつけようとする作家達の意気込みを感じた。企画展は、デジタル画像を色調補正した女流写真家の自写像が印象的だった。リーガ市内観光(新市街)
救世主誕生大聖堂
美術館を出て少し南西へ歩いたところに大きな教会がある。たくさんの新婚カップルがいた。ぐっと近寄って撮影したかったが、丸1日歩き回って疲れ切ってしまったことと、まるで合同結婚のように3、4組のカップルと縁者が集まっていたことから遠慮してしまった。旧市街からは離れているが、観光地の一部と化してしまった有名な『聖ヨハネ教会』や『聖ペテロ教会』よりも魅力的だった。今ここに生きているリーガ市民が集うことが大切だ。
(上:救世主誕生大聖堂で結婚式をあげるカップル達)
(上:救世主誕生大聖堂の内部)歩き疲れてへとへとになり、ビールを飲むことにする。雰囲気の良いオープンテラスに座った。
(上:自分でビールをついで飲む。旨い、に極まっているでしょう。)ウィスキーとピーナッツを持った男性が、私に相席を求めてきた。ラトヴィアと日本の政治経済について、30分ほど話し込んだ。彼は2杯めのウィスキーを頼もうと言い出したが、私は断った。世界中に蔓延している悪政をつまみに飲んでも面白くない。私は、バルト3国最大の都市リーガで生活している30台後半の博学な男性の最大関心事が、祖国と日本の政治経済だったことを知り十分に満足した。お互い、母国の悪口を言い合うのはホドホドにしなければいけない。
少し酔った足取りで、ホテルに向かった。途中、礼拝を初めた教会に入った。人々の信仰が生きていた。
(上:マリヤ・マグダレナ教会の隣の小さな教会)本日の散策の締めくくりとして、ダウガワ川の堤防を歩いた。
(上:カップルが写真を撮り合っていた。)
19:01 スーパーマーケット
夜食を買った
(上:合計2.74Ls)消灯時間: 不明
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