このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です |
私の日記
2004年7月31日(金) 晴れ
◎ 国境を越える:ラトヴィア→リトアニア ==========
・ リーガの歴史と海運の博物館
13:20 リーガ(バスで国境を越える)→ 15:30 十字架の丘
・ 十字架の丘 別ページにジャンプします
17:40 十字架の丘(ヒッチハイク)→ 18:30 シャウレイ
19:40 シャウレイ(列車)→ 21:54 クライペダ
クライペダ泊
=================================起床時間:不明瞭
ベットの上で写真の整理をしたり、オレンジ(アメリカのカリフォルニア産ではない)を食べたり、筋トレ(とは言っても、背筋腹筋とも20回)をしているうちに、机に向かい椅子に座った。こうなるまでに時間がかかったけれど、良いポジションになると仕事がはかどる。 朝はいつも頭が冴えているような気がするのでつまらないことを書く。今日は『木いちご』について。昨日買ったばかりの真っ赤な木いちごには、すでに綿毛がついていた。綿毛とはカビのことであって、私が日本にいるなら進んで食べたくない生物の1種であるが、今日は選びながら食べた。よくよく考えてみれば、カビの菌糸はどこにでもある。肉眼で観察できなくとも、絶対にある。ないわけがない。なければカビは永遠に発生しないわけだから、ある。ということは、ちょっと目に見えるからといって、途端に捨ててしまうのは間違っている。多少のカビはいつでも食べているのだから、選んで食べれば問題ない。積極的にカビも食べてみた。まずい! ぺっと吐き捨てたが、食べてから不味ければ捨てればいいだけのことであった。また、形が崩れた果物は『酢酸』のような酸味が効いていることも確認した。(現在の時間:8時32分)9:50 シャワー
10:10 チェックアウト
リーガ大聖堂が開く時間なのに大修理中。一般には公開してない。その足で、旧市街中心のツーリスト・インフォメーション(ブラックへットのギルド横)まで歩く。5分。しかし、これから行こうとしているシャウレイ(国境を超えたリトアニアの地方都市)へのバスについて尋ねて教えてくれない。バスターミナルの案内所で聞きなさいと言われる。10:20 リーガの歴史と海運の博物館
宿まで戻る。宿の前には博物館があるのだが、看板をよくよく見ると『リーガの歴史と海運の博物館』と書いてある。「あれっ、この博物館は昨日入ったところと違うぞ!」ということで入館する。こちらが本物でした。入館料1.2。
(上:機械仕掛けで小太鼓を打つ人形と装飾された大砲)11:30 ホテルで荷物を受けとる
博物館が面白くて時間をとってしまった。急いでホテルに戻り荷物を受け取る。フロントの女性は英語がほとんどしゃべれないけれど、格安の宿を旅行者に提供しているとても立派な人だと思う。これからも頑張って下さい。私はこれから、リトアニアへ向かいます。そうそう、ここラトヴィアを含めてバルト3国ではアメリカドルの両替率が極端に悪い。20%も違うんだから、そこまで虐げなくてもいいと思うんだけれど、それだけアメリカに対して恨みがあるんでしょうか。
(上:フィンランドで、もっとユーロの現金を引き出しておけば良かった。なお、日本円は換金できません。)11:50 リーガの鉄道駅前にあるバスターミナル
人の流れにのって歩いていたら、知らないうちにバスターミナルに入っていた。案内所の女性は親切にバスの時間や料金を教えてくれた。窓口でチケットを買うと、出発まで1時間以上待たなければならないので、2階の食堂へ行くことにした。食堂には当然食べ物が売っているので、ポケットに残っているラトヴィア通貨を食べてしまうことができる。
(上:期せずして昼食。1.8。)大きな皿には、玉葱と一緒に煮込んだらしい肉+ 米= 旨そうだけど不味い。
コーヒーは旨い。
右奥は、良く冷えたジャガ芋と鶏のサラダで、とても美味。
さて、バスの出発まで20分を切ったので、このレストランにさようならをして、もう1度案内所にいって、これから入国するリトアニア通貨に両替えできるか確認して、それから、1番ホームを探そう。ではまたまた。構内の銀行で両替えした。現金50ユーロが160.57Lsになった。計算書を見ると、(ユーロ→ ラトヴィア通貨→ リトアニア通貨)と2回両替をすることになるので、損したと思うが、国境を超えてから途中下車するつもりなので、どうしてもリトアニア通貨を手にしておきたかった。
13:20 リーガ発
バス乗り場にはエンジンをかけたバスが待っていて、中はほぼ満席状態、乗車口には10人ほどの列ができていた。私は前もって購入してあったチケットを見せると、並んでいる人が道を作り、先に乗車するように勧めててくれた。私は、若い女性の隣に座った。遠慮しておじさんの隣に座るべだったかも知れないが、おじさん席は最後尾近くに2、3席しかないので、仕方ない。声をかけて座った。彼女は、友達と一緒に生まれ故郷に帰るところだった。帰ると行っても、彼女達は首都リーガで仕事し、週末になると実家に帰る生活をしている。この話は、通路を挟んで隣になった青年と交わしたかものだが、まだ10台に見える彼は結婚していた。彼の向う側に座っているのは奥さんだった。3歳の息子と1歳の娘もいる24歳・・・吃驚である。驚いたついたでに、私の年齢を質問したら、「27、8歳だと思った。」と奥さんと顔を見合わせて目を丸くしているから、お世辞ではなさそうだ。お互い年齢が全く分からない。
(上:24才の彼はビールを飲んで泳ぎ、鼻に怪我をしたそうだ。気をつけてね。)14:50 エレヤの街
ほどんどの乗客が降りていった。彼にも別れを告げた。ここは、ラトヴィアとリトアニアの国境に近い街、エレヤ(ラトヴィア)。国境まで10分足らず。
15:00 国境を超える(ラトヴィア→ リトアニア)
今回もまた美しい審査官だった。目鼻立ちがハッキリして、制服が良く似合う24歳?。写真を撮りたいんだけれど、・・・おっと、掴まる前に出入国状況を記しておこう。ラトヴィアからの出国は知らない顔で通過、無審査。一方、入国するリトアニア側では、バス内に美人審査官が入ってきて、1人1人の顔を食い入るように見ながら身分証明書やパスポートを集めていった。私も負けずにじっと見(つめ)た。5分後、私のパスポートが戻ってきた。ページをめくってみたが、入国スタンプはない。無くてもたぶん大丈夫だと思うけれど、これまではずっと押してもらっていたからちょっと心配。同じバルト3国内でも多少、出入国の方法は異なるようだ。
(上:国境を越えてからの乗客は私を含めて5人。私は運転手の後ろに移動した。)バスの中では、鞄をどうしようか考えていた。目的地『十字架の丘』は、幹線道路から逸れて2キロメートル歩く。ヒッチも悪く無いが、再び幹線道路に戻ることを考えると、早めに荷物を置きたい。考えた末、次の2つ方法を思いついた。1つは、幹線道路近くにある商店か民家に頼んで置かせてもらう。もちろん、チップは前払い。ただし、よくよく見たら先ほど両替えしたリトアニア通貨は、紙幣はたくさんあるけれど小銭は少な過ぎるので、1ユーロ硬貨で我慢してもらう。もう1つの案は、荷物を草薮の中に隠す。ただし、パソコンが無くなると悲し過ぎるので、小さなリュックは持っていく。
15:30 十字架の丘への交差点着
『十字架の丘まで2km』の看板がある。あたりを見回しても荷物を預かってくれそうな場所がないので、草薮に隠すことになった。ちょっとどきどき、である。この幹線道路は交通量が多いので、いつ誰に私の不審な動きを見られているか分からない。これは後で分かったことだが、週末の今日は、『十字架の丘』へ遊びに来る地元民や、結婚式後の記念撮影に来る新婚がたくさんいたようだ。何はともあれ隠す場所を探さなければならないけれど、こんなときは、いっそのこと目立つ場所がいい。えいっ、と交差点角の小高い草薮に放り込んだ。良い感じで隠れて見えなくなった。後は野となれ草となれ。→ 十字架の丘へGO!!
(上:十字架の丘の全景)丘から帰ってきました。帰り道は走りました。鞄の腰ベルトをきつく締めて走りました。そして、草むらに投げ込んだ鞄を探しました。ありました。完璧です。これはちょっと癖になりそうな方法なので、この先、また同じことをやってしまいそうです。
17:40 シャウレイまでヒッチハイク
幹線道路のバスターミナルには時刻表がない。1時間に1本はあると思うけれど、あと何分待てば良いのか、最終バスがまだあるのか、さっぱり分からない。車の交通量が多過ぎるので、ヒッチをする気分にならないけれど、久しぶりなので(ちょっとヒッチの練習をしてみようかな)と合図してみたら、地元住民は優しい人ばかりで、ご免なさいと頭を下げていったり、僕は右にいくからダメですとか、私は左にいくからダメですなどと、手や視線で返事してくれる。リトアニアの人は本当に心優しい、と感じ入った。ただし、新婚さん関係の車はダメだった。いろいろ選びながらお願いした結果、10台めぐらいで止まってくれた。私が真剣になってから5分ぐらいだった。20台後半の男性が運転するBMW。後部座席には真っ黒な大型犬が乗っている。彼はリトアニア人だけれど、スイスで仕事をしていたことがあって、そこで稼いだ1ヶ月分の給料で中古を購入したそうだ(スイスとリトアニアの物価は全然違う)。そして、今は十字架の丘に土地を買って家を建てたけれど、将来はホテルにして観光客を呼び込もうと計画している。良い計画だと思うので頑張って下さい。彼は私をバスステーションまで送ってくれてただけでなく、切符売り場窓口で次の目的地『ニダ』までのチケットを探してくれた。しかし、最終バスが午後5時15分に出てしまったことを確認すると、列車はどうか、と私に提案してくれた。彼は時間がなかったので鉄道駅までは付き合ってくれなかったが、適切な道順を教えてくれたの迷うことなく駅に辿り着いた。本当にありがとうございました。記念写真を撮りたかったけれど、本当に大切なものは写真にならないんだよね。不思議なもんで。
18:30 シャウレイの鉄道駅
ニダへの玄関口となるクラペイダまでの列車が、午後7時40分にある。ゆとりある人なら、ここで1泊して明日移動することを考えると思うけれど、チャンスがあると時間を詰める悪癖が出て、迷わずチケットを買ってしまった。出発まで1時間ちょっとある。構内でガイドブックを読んだり、昨日買い過ぎてしまった食料を片付けた。コーヒーの自販機があったので、カプチーノ(1.5)と砂糖入りコーヒー(1.3)を頂いた。また、レンタカー屋が開いていたので、中で仕事をしているおばちゃんに電話を貸して欲しいと頼んだら断られた。あー、今宵も宿の予約無しで有名観光地に飛び込もうとしている。今日は週末だから宿探しは大変だぞ、とリタイヤした老人が忠告してくれたけれど、そんなこと言わないでよ、と言いたい。19:40 シャウレイ(SIAUIAI)発
定刻通りに列車が来た。鉄製のレールがけたたましい音を立て始めた。
(上:運転手に睨まれながら撮影。私の後ろには制服の警察官が立っている。)乗り違いを心配している私は、列車から出てくるはずの車掌を探した。乗客が少ないので、一刻も早く確認しなければ列車が出発してしまう。私はチケットを握りしめ必死の形相になっていたと思うが、社会主義の名残りだろうか、各扉から車掌が出てきた。これは有り難い。いきなり余裕が出てしまい、若い女性の車掌さんを選んでしまった。急いで撮影。なお、チケットは自由席で、車両の移動も自由である。
(上:私が乗車券を見せると、黙って2ツ折りにし、中央部分を小さく切り取った。)
車両内部はヨーロッパスタイルのコンパートメント。2等は8人掛けだったが、誰もいない部屋を見つけて独占。扉を締めて眠った。料金は、たったの18.4だった。
(上:夕寝をして、気分爽快。)
窓の上部に240Vの電源を発見。プラグを差し込んでみたら通電している。窓の景色を見ながら写真の整理。優雅で楽しい時間だ。数10分後、扉を開けて地元の学生が入り込んできた。そのうちの1人がズボンのチャックを下ろして喜んでいるので、ヤバイ、変態かと思っていたら、何かのスポーツクラブの学生のようで、結局全員、ズボンを脱いでトレーニングパンツに着替えた。彼等は私に興味があるようだったが、私は話し掛けなかった。ご免。
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21:54 クライペダ(KLAIPEDA)着
あたりが暗くなってきてちょっと不安。ホテルの看板も見当たらないので、道路の住所表示も地形も見えなくなったら本当に危ない。公園での野宿も覚悟しておこう。/ 街の中心まで歩くゆとりはない。バスターミナルから徒歩1分の距離にあるユースホステルまで戻ろう。/ 地図上であるはずの位置にない。何度も、同じ道をトライ。もう潰れてしまったのか、夏期休業中なのか。駅前バス乗り場から徒歩1分なのはずなのに・・・おっと、暗闇の中、バックパックを背負った若者を発見! ユースホテルを知らないか尋ねてみたら、今出てきたころです、と目と鼻の先の建物を指差した。22:15 その建物の2階へ
扉が閉っているのでトントントン・・・トントントン。開いた。開いたけれど、中にいるのは女子高校生風の宿泊客だけで、ボスがいない。空きベッドについては分からない。まだ野宿の危険性が残っているけれど、最悪でも、暖かい部屋とソファーがある玄関口を使わせてもらおう。/ 1人の女性がオレンジジュースをくれた。有り難い。ぼやーっと話をしたり、聞いたりしていると、ボスが帰ってきた。部屋はないけれどベッドならあるという。ここはドミトリー(相部屋)専門のユースホステルだから、もともと部屋はない。私は、『ボケ』たボスに『突っ込み』を入れなければならないタイミングだったが、ワンテンポ外してしまった。ご免。兎にも角にも、私はベッド、シーツ2枚、毛布とバスタオルを手に入れた。合わせて48だった。22:40 シャワー
セロテープの黄色くなり加減から、少なくとも1ヶ月は経過していると思われる貼り紙『湯の調子が悪くて出ません。1、2日のうちに直ります。』があった。24:00 おじさん、まだまだ元気
深夜の若者は、ひそひそ、しとしと、いつ果てるとも知れない奇妙な静けさに満ちた会話を続ける。片手の缶ビールは1時間に1缶ペースでゆっくりと消費されているようだ。おじさんは会話の内容に興味ないけれど、充満した不思議なエネルギーには興味津々。誰もいない1番奥の部屋に閉じこもり、エネルギーをもらいながらマックで日記を書いている。
(上:私のスプリングベッドは、1番良い部屋のベストポジションに置かれた。これで完全な満室状態になった。このユースには3部屋しかないが、他は10人1部屋。ここは3人1部屋。)
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