このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です

第9要塞博物館
2004年8月2日(月)
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 カウナス市内から約6km離れた丘陵地にある。
この建造物の歴史は、以下の通り。

19世紀: ロシア帝国の要塞として造られる
第2次世界大戦: ナチスドイツの強制収容所
現在: 建造物を博物館として公開


(上:博物館の入り口を見て、来てしまった〜と叫ぶ。)


 市街地から、ミニバスを使って来た。約15分。

 自動車専用道路が立体交差しているとろろで、運転手が風変わりな建物を指差した。あれだ、と思った。片道3車線線の道路の地下道を歩いていく。博物館に行くのも恐ろしい感じがするが、それより、道路が専用道路が複雑にループしているので帰りのバスを掴まえれるかの方が心配だ。/ 博物館の入り口が見えてきた。入場券(2Lt)を購入すると、ナチスドイツが強制収容所として使っていた建物を見学するように案内された。


(上:強制収容されたフランス人達の落書き)


(上:ベッドは、跳ね上がる構造になっていた。)


(上:ベットの上に空けらた穴。)

 こんな大きな穴を空けて、見つからないのか不思議に思うが、現場を見ると、収容所は薄暗く汚くぼろぼろなので、壁に傷やでこぼこがあっても分からないのである。収容された人は、ここに隠しもってきたものを入れておいた。


(上:湿った独房、と呼ばれる場所。)


(上:収容所の2階。)


(上:この鉄扉を破って、64人が脱走したそうだ。)
隠してきた手動ドリルを使った。


(上:殺され、死んでいった人々。ほとんどがユダヤ人だった。)


(上:ここでも杉原氏の活動が大きく取り上げられていた。)


(上:収容所の壁に取り付けらた、当時の惨状を表わしたレリーフ)


(上:収容所の前で記念撮影。)

 収容所の見学を終えのが閉館20分前だったので、チケット売り場のすぐ横にある新館まで戻った。本当なら、収容所の立地を確かめるために散策したいのだが、時間がないので戻った。しかし、扉が完全にしまっていた。あー、こんなところで無情を味わうとは・・・。とぼとぼ、今来た道を戻った。往復15分の道のりがとても長く感じた。


(上:この扉は打ち破れそうにありません。)

 当時、リトアニアの首都カウナスの周辺には9つの収容所があった。それらは、カウナスを取り巻くように位置していたが、今では、この第9要塞が博物館として公開されている。この第9収容所は、高さ20メートルほどの丘に横穴を掘って作ったものである。したがって、中はひんやり冷たいが、当時はひんやりどころではなかったろう。しかも、地下水がしみ出しているような湿度が高い空間である。


(上: 収容所からカウナス市内を望む)

収容所の真上にあたる丘(半径50m)に登った。
ストーブの煙突、それに、小さな穴(人が入れる入り口)があった。


(上:真っ暗な穴なので、カメラのフラッシュを焚いて歩いた。すぐに行き止まった。)

最後に、巨大モニュメントと一緒に記念撮影した。
第2次世界対戦中、ここで5万人の人々が殺された。

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