このページは旅行記『ヨーロッパ北東部』 2004 jul -aug です

アテネウム美術館
ヘルシンキ、フィンランド
2004年7月25日(日)

→ 私の日記へ戻る


(上:自由に館内カメラ撮影ができる。)
入場料5.5ユーロ。
入場券のかわりにシールを貼る。
月曜日定休




さっそく、美術館の散策を始めましょう。
各作品の下には、私のコメントを記しました。

フィンランドの田舎の少年を描いたもので、
精悍かつ清閑な肖像だった。

筆のタッチが正確で気持ちよかった。

フィンランドの女流画家の草分けの1人による風景画で、
同じ場所に通ったあと、雲と樹木に当たる光を一気に書き込んだ
(たぶん)ところが
気に入った。

フィンランドの澄んだ空気を表現しているように感じた。
 さて、フィンランドの空気とはどんな空気だろう。数日間の滞在の感想は、冷たい。乾燥しているようでしていないようで。車の排気ガスの臭いがしない。夏なのに寒い。夜10時なのに明るい、のに街の店は閉っている。活気がある、ようだけれど大声で騒ぐ者がいない。自分はちょっと風邪をひいたみたい。

 高い技術を感じさせる油絵だった。それでいて暖かい空気を感じた。意外だったことは、作家がフィンランドではなく、ロシアの作家だったこと。

 これも同じ作家の作品で、私は左の男性の顔に惹かれた。とはいっても、完成度の高過ぎる男性の顔を面白くないと思うのは、自分が男だからだろうか。それにしても、彼は上手い。とくに、女性の左手は日傘の柄を軽く握っている表現は驚くばかりだった。

 ヤバイ趣味の写真だと思った。これは写真ではなく絵画だけれど、直感的に写真だと感じたのは何故だろう。絵画と写真の違いについては深く考えたことがないので、また、別な機会に考察することにしよう。とにかく、この絵画はちょっとヤバイ。

 同じ作家の作品が横に並んでいて、やっぱり同じ雰囲気だった。それを生み出すのは、モデルか作家か、それとも両者の共同作業か。私の経験では、モデル単独による精神空間だと思うが、答えは分からない。また、上の2枚の絵画のモデルは同じに見えないが、私は同一人物だと思う。またさらに、今回の旅行に出発する前、私は全く同じ雰囲気のモデルを描いたので、彼女が登場したのか思い、大いに驚いた。

 画家の実家(アトリエ)で家政婦をしている女性を描いたのではかと思われるが、作家は彼女のことを好きなんだと思う。好きでなければ、こんなに丁寧な作業はできないし、また、こんなに清純な姿を写すことはできない。

 中央階段を上がって正面のギャラリーに戻って休息した。

この美術館は自由に撮影できるので、彫刻や絵画と鑑賞者のコラボレーションが楽しめる。しかし、シャッターチャンスを待っていると時間が湯水のように無くなるので、早々に切り上げることにした。

ロダンの彫刻もあった。これはまた激しいポーズです。

厳しいようで暖かいよう雰囲気を持つ作品だった。
厳しい生活をしている人々なんだろう。

作品のタイトルは『死の花』。
僕にはそんな風には見えなかった。

詳細は分からないが、フィンランドの森の中で不思議な動物と老婆が出会った
と思う。

詳細は不明。ネズミ?と虫?と?

骸骨が育てている植物



わしは貧しくとも、娘だけは・・・という願いが聞こえてきた。

 大理石から生まれてきた赤ちゃん。よくある手法だけれど、どうしても表現したくなるんだから仕方あるまい。1番大切なことだと思う。

大理石の赤ちゃんに触発されて、大理石の女性を撮ってみました。
背景にあるのはムンクの作品。

ほらね、ムンクの作品でしょ。



最後の作品は、赤い鼻孔がポイントです。
フィンランドでは珍しいタイプの女性だと思って周りを見回すと、
意外にこんな感じ人がいます。

→ 私の日記へ戻る

 このページのTOPへ


 (c) 2004 fukuchi takahiro [
→home]