このページは『イラン旅行記 2004冬』 2004 dec -2005 jan です

ナグシェ・ロスタム
断崖絶壁に作られたアケメネス朝の大王4人の墓

2005年1月1日(土)

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ここはすごいぞ!
ペルセポリスよりも生きている感じがする。
必見!


実際にタクシーを走らせてくると、下のようになります。

何もない沙漠が広がる幹線道路を西に曲って2Km。
正面に切り立った断崖が見えてくる。
一言「ほー、なるほど。」

だんだん近づくと、断崖の一部が人為的に削り取られていることが分かる。
一言「おや、これはただ者ではないな!(写真下)」


(上:高さ40〜50メートル。)

車を降りて、小さな小屋で入場料金を払って(2500リアル、30円)
敷地内に入る。

何がなんだか分からないけれど、兎に角「写真に収めなくては!」と走り回る。


(上:とりあえず1枚。これで相当満足しています。)

重要な部分なのでは・・・と
望遠レンズにして、修復中の部分を1枚。
とにかく写真に収めたい気分なのです。


(上:足場が組まれているのがダイレオス大王の墓)
その左下にある彫刻は、高校の世界史の資料集によく出ている有名なもの
らしんだけれど、、、勉強不足(ご免なさい)。

それから、半地下になっている建築物を発見。
なんだこれは?

現場でも良く分からなかったけれど、研究者の間でも良く分かっていないらしい。
秘文庫、あるいは、王墓と考えれているそうです。

もー、こうなったら、歴史に疎い私は写真を撮っておくしかありません。


(上:何だか分からない彫刻。)


(上:岸壁が直角に曲っているところにある王墓。)

ここで、帰国後、王墓について調べたことを書きます。

王墓は下段、中段、上段の3段に分けられます。
下段はつるつるなので盗掘、と思っていましたが、
当時からこれで完成品のようです。

中段は横に広く広がっていて、全体として十字型を作っています。
これは宮殿の正面(ファサード)と入り口を模しているようです。
4本の柱で5分割されることが多いようですが、その詳細を調べることで、
実際の宮殿との関係や、歴史が分かるようです。
ここに碑文が書かれている場合は、時代考証がとてもスムーズです。



上段には、王様が偉い人であることが分かるような彫刻(レリーフ)があります。
当時の国教『ゾロアスター教』の最高神アフラ・マズダへ、
王様が礼拝している様子を表わしていることが多いようです。
下では、たくさんの民族で構成された人々が玉座を担いでいます。

自分1人なら、2時間はぼけーっとしていられるほど良い感じなんだけれど、
今日はタクシーを貸し切っているし、他にも予定があるから走り回りました。

で、資料集に載るほど有名なレリーフの前で記念撮影(写真下)して、
なごりが尽きないまま終了しました。


(上:遺跡そのものは凄くないけれど、歴史が分かってくると、じわーっと来るんです。)

ここには、その雰囲気がムンムンしています。
僕は、ペルセポリスは死んでいる気がしたけれど、
ここは生きている気がしました。


(上:まだ執拗に撮影してしまった。)

最後に、帰国してから調べたことを、もう少し追加しておきます。

ここにある4つの王墓は、
右から第1号、第2号、第3号、第4号と呼ばれています。
しかし、誰のものかはっきりしているのは、第2号『ダイレオス大王』だけで、
残りの3つは分かっていません。

一般的な説は次の通りです。
第1号:クセルクルス1世
第2号:ダイレオス大王(確定)
第3号:アルタクセルクルス1世
第4号:ダイレオス2世

続きをどうぞ!

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