このページは旅行記『モンゴル旅行記2007夏』 2007 aug. 14 - aug. 28  です。

私の日記 2
2007年8月15日  薄日が差し込む曇り空
                      
◎ 国内線(飛行機)でウランバートルからホブドへ =======
午前:執筆活動
午後:ウランバートル(飛行機)→ ホブド
                             ホブド泊
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6:10 起床
 少し肌寒さを感じてベッドから抜け出した。窓際においてあった腕時計は6時半をさしている。カーテンの外には集合住宅の空き地が見えるが、誰も歩いていない。室内気温は22℃。テレビのスイッチを入れてみたが、昨夜受信していたチャンネルは、まだ放送を始めていないようだ。

 とにかく腹が減っている。窓から隣のコンビ二を見ると、入り口の扉が開いているから、営業中かも。

6:20 朝食
 財布とデジカメとガイドブックを持って出動。案の定、コンビニは営業中だった。こうなると欲が出て、昨夜のレストランで朝食が食べれないかと足を伸ばしたが、残念ながら閉まっていた。レストランに併設するコンビ二に入り、何だかわからないジューズ2種類とビスケットを購入した(600,700,1300)。


上:私のホテルの外壁は紫色であった。集合住宅の中にあって、少しオシャレなのだ。


上:ざっと、こんな感じなのである。きれいではないけれど、汚すぎることもない。

 部屋に戻って朝食。ジュースは甘過ぎるけれど、今の私には美味しい。全部飲むのはきつかったけれど、すぐに腐敗しそうなので最後まで飲んだ。お陰で、ビスケットは2枚だけで満腹になった。


上:本日の朝食。

 この部屋からは、飛びたつ飛行機がよく見える。朝早いので着陸するものはなく、ここから飛び立つものばかりだ。その音と姿を目の当たりにしていると、もしかしたら、自分が行きたい飛行機が今飛び立ってしまったのではないかと不安になる。私は居ても立ってもいられなくなり、飛行場へと歩き始めた。ゆっくり歩いても10分程度だが、途中で草原を走ってる少女を見かけたので、私も走った。昨夜のような排気ガスを感じることはなく、気持ちよく小さな草原を駈けた。

 空港では、電光掲示板で新しい行き先(ホブド行き)の飛行機を見つけた。14:30発。かなり運がよいかも知れない。昨夜訪ねたオフィスでは、チェックインカウンターへ行けということなので、指示に従った。そこには昨夜の優しいお姉さんがいた。英語はあまり上手でないけれど、親身になってくれるのでとても嬉しい。結局、予約もできなかったけれど、可能性があること、午後1時にこのチェックインカウンターに来れば良いことがわかった。命は繋がっているようだ。その時間までは、ホテルでゆっくり日記を書こう。12時にチェックアウトしてからは、空港で両替し、美味しいコーヒーを飲もう。

11:30 チェックアウト
 少し早めにチェックアウトした。ホテルの名前を教えてもらおうと思ったけれど、私の意思(英語)は通じなかった。とにかく、快適なホテルライフを堪能できたので、ご主人さま、ありとがとうございます。私はモンゴルの奥地へと旅立ちます。

11:40 朝食
 昨夜と同じ食堂に立ち寄った。


上:左の揚げ物には、羊ミンチが入っている。右は羊肉うどん。


上:人だかりの中心には、小さな銀行の看板があったが、真相は分からない。

12:20 空港にて
 空港内の銀行で、現金3万円(日本円)を現地通貨に両替した。レートは9で、270000トゥグリクに変わった。両替をしている最中に、タクシードライバーが来たが、窓口のお姉さんが追い返してくれた。ちょっと嬉しかった。
 両替率について:2週間後、首都ウランバートルの銀行のレートは10以上だったので、10%(3000円)も損してしまった。少しショックです。

 さて、もし今日中に飛ぶことができれば、今日の仕事はそれで十分だ。大きな空間を移動すること、その場所に行くことは、とても重要だからだ(私がモンゴルへ行ったか否かは、もっと重大だ)。そして、自分がその場所に立って、自分の目で見て聞いて感じたという事実は誰も消すことができない。このHPは、その事実のほんの一端を読者向けに編集して発信するに過ぎないが、事実にもとづいているという意味において大いなる価値があるのだ。とくに、私は写真という媒体も多用したい。

12:50 
 カウンター前にある椅子に座って日記を書いていると、またまた優しいお姉さんに出会った。昼食からの帰り道のようだが、私に声をかけ、5分以上の時間をかけて飛行機の状況をチェックしてくれた。本当に優しい人だなあ。

13:30 ホブド行きの航空券購入
 何も表示されていないカウンター前に、大きな白人が3人並んでいる。彼らは大きな荷物を持っているけど、その風貌からして観光客であることは間違いない。私は誰もいないカウンターには並ぶ気はしないので、座ったままだ。やがて、小さな電光掲示板に「ホブド」が点灯した。どのようにして白人観光客が、4つあるカウンターのうちから正しいものを選んだのか分からないけれど、私は2番目の客として、無事に航空券を買うことができた。こんな場所でチケットを買う人は少ないので、発券するのに手間取り、私が完了する頃には7、8人の乗客が行列を作っていた。


上:ここでようやく、コーヒー?ブレイク。豆を挽いて出してくれた。

14:30 ウランバートル発
 離陸予定時間10分前になると、大型バスが来た。そのバスに乗り込み、小さなプロペラ機へと移動した。私の座席は前から2列目だったが、着席してから1列目に移動した。そこは飛行機の翼で視界が妨げられないからである。乗務員から戻るように指示されたけれど、何とかお願いして許してもらった。その乗務員とは向き合う形になり、その後、彼女とは親しく会話した。


上:プロペラ機の客席。一応、指定席になっている。


上:彼女の名前はテゥヤ。英語より日本語を良く話すので、私たちは日本語で会話した。

 その中で、先月(2007年7月)に日本国天皇とその関係者が乗った特別機の乗務員を、テゥヤさんが務めたことが分かった。彼女の手帳には、日本語でアナウンスの言葉が書かれてあった。私は撮影させて欲しいと頼んだが、恥ずかしいと言って断られてしまった。残念!


上:機内食。


上:かなり美しい三日月湖を撮影できた。縦位置の拡大写真もあるぞ。


上:目的地「ホブド」が見えてきた。

17:30 ホブド着
 空港は想像していたように何もなかった。トゥヤさんに「空港を撮影してよいか」訊ねると、「よい」ということなので撮影した。飛行機をたくさん撮影したかったけれど、荷物の積み降ろしをしている作業員が嫌な顔をするので困った。


上:とても楽しい空の旅でした。


上: 空港にはコスモスの花が美しく咲き乱れていた。

 空港の外には大量の蚊がいた。5秒の静止すると50匹以上が付着するので、じっとしていられない。誰もが足を動かしたり、手で蚊を追い払っていた。しかし、良く観察すると吸血針を刺そうとする蚊は少ない。突然飛行機から現れた大量のヒトという獲物に戸惑っているかのようだ。実際、私たちが現れるまで、これらの大量の蚊は散在していたのだろう。あるいはまた、ほとんどの蚊はメスを目当てに集まってきたオスかも知れないが、そこまで観察する余裕はなかった。とにかく、5秒以上の静止は精神面の健康によろしくないからである。
 
 街までのタクシーはない。白タク(未認可のタクシー)もない。したがって、座席が空いていて、人柄の良さそうな人が運転している車を選んで、市街地まで送ってもらった。言葉は全く通じないが、この空港からの行き先は、ここから5km離れた市街地の他にはない。降りるときには、謝礼を断られた。

18:00 ホテル探し
 車が停まった場所は、昨日と同じような集合住宅の真ん中だった。どうやら街に住む一般的なモンゴル人は、このような集合住宅を住居とするのだろう。一戸建ての住居は、すなわち『ゲル』を意味する。それから、私は地図を見て、予定していたホテルを目指した。方位磁針と、先ほど機内から見た山の形を頼りに歩き出した。

 
左:県庁舎とその前の広場。
右:広場の真ん中にある「とある人物像」と写真屋とご近所の人々。

 高い建物が全くないので多少迷ったが、20分ほどで目標のホテルを見つけた。しかし、良く通じない英語で、満室だと言って断られてしまった。仕方ないので、第2候補のホテルに行ったが、そこも満室。あえなく第3候補に移動したがそこも満室。かなりヤバい状況になってきた。満室になっている原因は、2007年モンゴルラリー(ロンドンからウランバートルまで走る競技)が行われていることは知っていたが、たまたま、その団体さんと重なっているらしいのだ。ピンチ!!

 タクシーに乗って、移動するしかない状況になってきたが、何とか粘れるかも知れないと思い、もう1度第一希望のホテルにチャレンジした。すると、少し英語ができる人と第2候補のホテルご主人がいた。そして、ドミトリーの部屋が空いていることが分かった。「なーんだ。あるじゃないか。ラッキー!」ということで、私は無駄な時間と苦労をすることなく、今夜の宿泊場所を手に入れた。


上:5つのベッドを全て自由に使えるドミトリー(共同部屋)。


上:ホテル正面(8月17日撮影)。


上:モンゴルラリー2007に参加している車(8月17日撮影)。


上:私のホテルの向かい側にある劇場。3日後に、何かあるらしい。

 荷物を解いてから、ザハ(市場)を目指して歩いた。


上:街の印象。正面は銀行、右に並ぶのは集合住宅。

19:00 ホブドのザハ
 カメラを向けると怒鳴られるのではないか、と心配で、積極的な撮影ができなかった。これから少しずつペースを上げていけば良い。何ごとも急いではいけない。

 
左:19時を回っているというのに、太陽が高い。生鮮野菜のコーナーは、ほどんど誰もいない。なお、このショットを撮るだけでも、隣の野菜売りのおばさんに注意された。この経験で、私は神経質になってしまった。
右:肉のコーナーでは「写真を撮ってくれ」と呼ばれた。このようなチャンスは逃してはいけない。

 
左:すいか売り場は、まだまだ活気があった。
左:ザハの中心にあたる商店は、このような古いコンテナを店鋪にしている。このコンテナ店鋪は、モンゴル国内を通じて同じだった。

21:40 夕食
 街中にもいくつかのレストランがあったが、ホテルのレストランを選んだ。ここには英語ができる女の子ボッギーが働いている。彼女はウランバートルの大学に通っているが、夏の繁盛期だけ自分の実家であるホテルを手伝っている。

 私は、ボッギーに明日の車の手配を頼んだ。しばらくして、タクシー運転手が来たが、私が予定している村などを回るには数日間かかること、料金が数万円かかること、通訳が必要なこと(運転手は全く英語が分からない)が分かった。ぼったくり料金ではないが、あまり気乗りがしないので、その運転手は断った。そして、目的地をハルオス湖(ここから35km南東にある国立公園)の1箇所に絞った。1つだけなら、明朝、適当なタクシーを捕まえれば良い。


上:ビールは冷えていないけれど、冷えていないので味が良く分かる。冷蔵庫が普及していない国のビールは、よくできている。

 食事中、ボッギーが自分の友達を紹介してきた。その友達は、「運転手はいないけれど、車がある」という。英語がよく分からないので、完全には理解できないけれど、明日14時、このホテルで落ち合い、一緒に湖に行くことになった。料金も分からないけれど、無茶な話にはならないと思う。彼女も通訳とガイドをしてくれそうだし、楽しい時間になりそうだ。

23:00 消灯

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8月16日

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