このページは旅行記『モンゴル旅行記2007夏』 2007 aug. 14 - aug. 28  です。

私の日記 3日目
2007年8月16日(木)雨が降ってもおかしくない朝から始った
                      
◎ ハルオス湖(国立公園)====================
午前:ホブド市内散策
  (1) シャム・ソム寺院
  (2) サンギーン・ヘレム
  (2) ホブド県郷土博物館
午後:ハスオス湖
                             ホブド泊2
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5:45 布団の中
 室内の気温22℃。窓ガラスを通して僅かな朝焼けが見られるが、地平線を感じることはできない。起伏がない大地と低い建物しかない。

 布団の中に入り、何度も目を閉じた。外には誰もいないし、特に何もすることはない。万一眠りについても、何時間も経つことはないだろう。時計を見ないまま3回ほど眠り直した。

7:45 起床
 空には薄い雲が広がっている。雨よりは良し、としなければならない。長い朝寝で考えていたことは、もともと遊牧民族であるモンゴル人の生活を垣間みたいなら、外国人向けのツアーに参加した方が良いことだ。

 モンゴルでは人々の経済交流が少なく、街と街を結ぶ定期バスも皆無に等しい。資本主義の影響も感じるが、ウランバートル以外の人々は自給自足で家族単位で生活している。会社らしきもののもあまりない。経済は豊かではないが、経済格差による歪みを大きく感じることはない。現在のように集合住宅がたくさんつくられた経緯は知らないが、街でも家族そろって生活しているように感じる。また、ガイドブックによると、モンゴル人の何人かは大草原の遊牧生活に戻りたいと考えている、と書いてあるが、今なら十分に戻れる状態のように感じる。それが不可能になるのは人口が増加した時だけだろうが、モンゴルの人々は子どもが増えることを大変喜ぶ。また、人間は珍しく新しい物質をみると欲しくなるから、もう戻れないかもしれない。

遊牧民族の生活
・年中無休で、同じことを繰り返している。これは、いまだに夏休みや冬休みのある私には到底理解できないが、本当に年中無休だ。したがって、1年を1つの周期として繰り返される遊牧民の生活に、祭が組み込まれることはごく自然だ。
・車やバスで移動することはほどんどない。
・家畜とともに移動することしかない。

私の生活
・金を使って、旅ができる。
・何もすることがないなら、何もしない(生物の大原則の1つ。モンゴルの人々も同じ)。
・同じ種類の生物(私ならヒト)が動き始めると、私も動きたくなる(同上)。
・時空金のうち、どれもが満たされてしまうと、動くことがなくなってしまう。
・時間、空間、金の感覚をすぐに失ってしまう。この3つは、いずれも社会的に生まれるものであり、他人との比較によって明らかになるものだ。

8:00 朝食
 私のホテルのレストランには誰もいなかったが、隣のホテルでは朝食を作っていた。しかも、モンゴル観光客で満席状態だった。モンゴルラリー2007に参加している外国人で満席なら理解できるが、何故、モンゴル人なのかは分からなかった。全員が同じメニューを頼んでいたので、1品しかできない可能性もある。


上:春雨のようなものの炒め物が出てきた。味はかなり良い。

 食後はホブド市内を散策したが、たくさん撮影した画像データを全て失った。

(1)シャム・ソム寺院
 とても小さな寺院、かつ、その寺院が工事中なので、かなり寂れていた。私が訪問した時は無人だった。

(2)サンギーン・ヘレム
 街の中心から徒歩で15分ほどかかるが、歴史に興味があるなら一見の価値がある。翌日も訪問したので、その時の記録(サンギーン・へレム)を参照されたい。

(3)ホブド県郷土博物館
 チケット売り場のおばさんが全部案内してくれたけが、何を言っているのか不明。また、写真を取れ撮れというので撮ったら、帰り際に6000トゥグリク請求され、ブチ切れる。その前に、土産物を無理矢理見せられたのも沸騰した原因だ。したがって、展示物をゆっくり見学できず、悪い思い出だけが残った。写真代は半額の3000トゥグリクにさせたが、そのデータを失ったので、最悪な思い出となった。

13:00 ホテルで休憩
 ボギーに「車が来たら教えてくれ」と頼み、自分の部屋でクールダウンした。

13:30 ハルオス湖に向けて出発
 予定時間よりも30分早く、車が来た。ボギーの友達、ノミの笑顔も素敵だ。大学生で、今は一般教養として英語などの勉強をしている。将来は、外国で働きたいと話している。


上:ロシア製のジープで、運転手は彼女のお父さんだった。出発前にガソリンを入れるのは、旅立ち前の作法である。


上:平たんな道を主要道路を20km走ってから、起伏が多い山道へ進路をとった。写真奥に見えるのが、目的地のハルオス湖である。


上:ここは昔、水底であったことが分かる。また、地層が垂直になるほど地殻変動している。

 ハルオス湖の標高は1200m丁度だった。

 車から降りても全く蚊がいなかったが、しばらくすると無数の蚊が集ってきた。10分もすると、全身に30〜50匹が止まっている。おそらく、何匹かの蚊に発見されると、それらの羽音や匂いなどによって、他の蚊が引き寄せられるのだと思う。


上:私たちの存在に気づき、一斉に飛び立った。すみません。


上:地面には、雀のようなトリがいっぱいいた。


上:これは、トリたちが食べた魚の骨。糞に混じっていたもの。


上:展望台に登って記念撮影。


上:ノミがジーンズの裾を捲って水の中に入っていった。黄色い花が咲いているのだ。

 最終的にジーンズはべたべたになったが、水を舐めるのを忘れてしまった。失敗。水底に黒い沈殿物がいっぱいだったことが原因だったと思われる。


上:草食動物の排泄物。乾燥したものを割り、その内部を撮影した。


上:白鳥がいるのは数週間だけらしい。


上:ダックもいた。

 花もたくさん咲いていた。

 自分1人なら、ゆっくり撮影できるが、ゆっくりしたところで大差は生まれないから、これぐらいで十分かも知れない。他の物事においてもそうだ。完璧は必要ない。わずか5分あまりで、7、8種類撮影した。

 帰り道は、行きと違う道を通った。


上:オボー(峠にある石を積んだもの)を回るノミ。彼女は小石を拾って、オボーに投げ入れた。私もそれに習った。これは旅の安全や楽しい旅になることを祈る意味があるという。


上:オボーから、ホブドの街を望む。

 ホブドの街に帰ってくると、ノミのお父さんのキャンプに招待された。彼はアパートの住居の他に、キャンプと小さな商店を持っている。職業は、軍医で赤十字軍に所属し、イラクにも何回か派遣されたことがある。その時の写真や感謝状をたくさん見せてもらった。

 食ベ物がたくさん出てきた。お腹は空いていたが、次々に出てくるものを断ることもできないので頑張った。スイカは見た目と違ってとても美味しい。水分が不足していたかも知れないが、メロンよりも遥かに美味しかった。


上:中央下にあるチーズには、黒緑色のカビが生えているが、そこが良いらしい。このチーズは、土産物としていくつか頂いたが、私の口にはあまり合わなかった。でも、気持ちは大変美味しい。


上:手料理が出てきた。


上:皆で記念撮影。


 ホブドの人口は4000人なので、ほとんどの人は顔見知りであり、同業者は全員知り合いと言ってよいだろう。したがって、情報は完全に交換されていると言ってよい。私はドミトリーに生活する最後の住人かも知れない。だって、ベッドが5つもあるのに1人だけだから、快適なことこの上ない。

続きをどうぞ!

私の日記 8月17日

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