このページは旅行記『モンゴル旅行記2007夏』 2007 aug. 14 - aug. 28  です。

私の日記 6日目

2007年8月19日(日)

◎ ウブス湖2日目 =======================
午前:ウブス湖
午後:オラーンゴム(車)→ ウランバートル
                        車中泊
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4:00 起床
 ゲルの外に出ると、全天が雲に覆われている。漆黒の空もミルクのような天の川もない。モンゴルの星空の撮影はできない。

 そもそも目覚まし時計が鳴るまで、ぐずぐずしているから失格だ。うんうんと私の耳を悩ませていた発電機が止まったら、すぐに撮影すべきだった。

 何もできず布団の中に戻る。

8:00 朝食
 「朝食ができた」とニヤムカが呼びにきた。


上:観光客用のゲルは10つ。写真左端奥のゲルは食堂。その右隣の四角いコンテナはキッチンで、その後ろに発電機がある。

 食堂に移動すると、食卓の上には湯が注がれたコップとティーバックが置いてあった。私は冷めた湯で紅茶を作りながら、誰もいない食堂で食事を待った。何が出てくる分からないが、期待してはいけない。


上:蒸しうどんが出てきた。昨日は「うどん」だったから、メニューは確かに違う。しかし、材料は干した羊肉、うどん、ジャガイモ、羊脂、塩、胡椒の6点で、まったく同じである。それでも味は悪くない。美味しいとは決して言えないが、日本では食べられない味であることは間違いない。


上:観光客用のゲルの室内。1泊10000トゥグリク(1000円)だから、ぱっとしないのは当然である。室内の電燈から電流を取り出したが、パソコンやカメラを動かすだけの電力はなかった。かなりショック! もちろん、発電機が動くのは夜間のみである。

10:40 お迎えの車が来る
 テテニシ(昨日のタクシー運転手)がニコニコ顔で来た。そして、何と、私にお土産をくれた。「ゲル」のキーホルダーだった。しかも、昨日頼んでおいた「タオル」も持って来てくれた。かなり感激。

 テテニシのタクシーには女性が2人と子どもが2人乗っていた。彼の親戚だという。そのうちの1人は英語を良く話し、スウェーデンで働いている女性だった。彼女の名前はエンク。オラーンゴム出身であるが、ここ特産品である果物を生産し、海外に売り込むために来ている。今回はガソリン代節約を兼かねて、湖までドライブにやってきた訳だ。何だか良く分からない話であるが、私にしてみれば通訳ができたのだから、幸せな話である。

 その彼らと一緒に湖まで遊びに行くことになった。私が乗ろうとしている車は、すべて午後からしか出発しないので、急いでも意味がないのである。それに、このキャンプは湖まで歩いて20分もかかるので、車がなければ行く気がしないから、ちょうど良かった。


上:テテニシのタクシーとその親族。


上:なんだか分からないけれど、先に来ていた人々と合流した。




上:またまたパンツで湖水泳。モンゴル相撲はしなくて良かったので助かった。


上:遠くに私が宿泊したツーリストキャンプが見える。


上:隠れる場所が全くないところで鳥を撮影するには、いくつかのコツがいる。まず、見つけたらその場でシャッターを押す。そして、1歩だけ近づいてもう1枚撮る。今度は、シャッターをいつでも切れるように構えながらゆっくり近づく。5、6歩近寄ったら1枚。このペースで少しずつ近づく。鳥が警戒しているようなら、動かない。また、洋服や帽子がひらひらしたり、パタパタ音と立てるのは最も良くないので、まるで、自分が1本の棒になったようにして、少しずつ近づくと良い。彼らの間合いに入ると、こちらがどれだけ静かにしても無理だから、ごの限界に近づいたら、飛び立つ瞬間を正確にフレーミングで連写できるように構える。こうして撮影が終わった後も、走ったり騒いだりしないで、礼儀正しく静かに彼らの生活の場所から立ち去ることが肝要だ。


上:何故死んでいるのか分からない。人が捨てたビニールなどを食べて死んだのかも知れない。同じような場所で2羽死んでいるのを見つけた。


上:もう1匹の死んだトリ。


上:ウブス湖をバックにして記念撮影。

 こうして、小1時間遊んでから、オラーンゴムへ帰った。そのタクシーに乗っていたのは、運転手のテテニシと英語がよくできるエンク、そして私の3人だった。

13:00 ハラホリンへの車の手配完了
 オラーンゴムに戻ると、テテニシとエンクが車を見つけてくれた。ザハ(市場)には1台もいなかったが、彼の友人がハラホリンまで行くことが分かった。しかも、助手席を50トゥグリクで手配してくれるという。ただし、出発する時間は電話では分からないと言うので、車の持ち主のところへ車を走らせた。

 ザハから数キロメートル走ったところに腹が出た酔っぱらいが2人いた。随分酒臭い。その2人を後ろに乗せ、再びザハへ戻り始めた。このうちの1人が運転手か持ち主なのだろう。それにしても、ペットボトルの水を見て、「サケ、サケ」と繰り返している。おそらく、「これは日本の酒か。酒を飲ませてくれ」と言っているのだろう。酔っぱらいは、ペットボトルの水に口をつけ、何かをつぶやいたが、全員無視していた。


上:これから60時間以上の時間を共にすることになるフォゴン。

 ザハには1台の車と運転手がいた。酔っ払いは運転手の父親で、車は息子のものだった。そして、この車は今晩17時半に出発することがわかった。

13:30 昼食
 車の手配もできたので、テテニシ、エンク、私の3人は昼食に出かけた。私から見ればどのレストランも同じであるが、2人は店にこだわり、街から外れた比較的大きなホテルのレストランを選んだ。


上:ナシゴレン、という名前がついているが材料は同じである。ただし、同じ羊肉でも鮮度や部位が良いので、大変美味しかった。やっぱり現地の人は美味しい店を知っていた。


上:テテニシが注文した料理。パスタと羊肉。


上:皆で記念撮影。

 羊肉は今回の旅でもっとも美味しいものだった。初めよけていたラードも、わざわざラードだけで食べてしまうほどだった。これまたびっくり。全員で5260トゥグリクだから、昨夜の夕食と同じ料金になる。それを考えると、外国人観光客は本当に悲しいなあ。これは全部、僕がおごってあげるよ。

 ザハに戻ると、私は2人と別れを告げた。彼らは本当に良い人だったので、日本に帰っても付き合いたいと思った。

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15:40 ザハ
 かれこれ20分近く歩いている。電源が取れるレストランで、冷たいジュースでも飲みながら仕事をしたいが、ない。いくつかの店を覗きながら歩き回ったが、ない。結局、タクシー乗り場の並びにある小さな小さな1軒で見つけた。

旅のワンポイントレッスン
店に電気が来ているかどうか見分ける方法
(1)屋根を見て、電線が家屋まで来ているか調べる。
(2)電線を引き込んでいる部分が、食堂ならかなり可能性が高い。
(3)しかし、台所ならダメな可能性が高い(コンセントは台所だけ)。
(4)店内に冷蔵庫やテレビがあるようならその周辺部を見れば良い。
(5)コンセントの位置は、床から1.2メートルほどの高さにある。
※日本のように低い位置にはない。

 このようにして電気を手に入れたが、電気泥棒はよくないので、スーティツァイの代金を含めて200トゥグリクを出した。これで店の女主人もご機嫌、私もご機嫌という話になる。


上:ザハの入り口にある小さな食堂。コンセントは写真中央上にある。


上:オラーンゴムのザハの風景。


上:果物を売る人。


上:オラーンゴムのザハの風景。


上:サイドカーがついたバイク。この手のバイクは荷物を運ぶのに便利なので、街でそこそこ見かける。

16:35 フォゴンに乗る
 約束の時間に5分遅れたが、5分は問題にならないだろう。完璧に時間を守ったと言える。運転手とは会話ができないので、何時に出発するか分からないが、17:30頃ではないかと思う。


上:オラーンゴムのザハ(市場)前の大通りの風景。これがメインストリートの日常風景である。

17:00 ザハ発
 予定時間よりも早く出発したが、後部座席はがらがらである。これから客集めに行かねばならない。

17:10 運転手の実家
 運転手の家についた。なるほど、私は家族旅行に便乗したのだから、ここで全ての乗客が揃う可能性がある。いろいろご馳走になる。


上:運転手の実家の近辺。同じような車が走り回っていた。おそらく、これから各方面へ旅立つ人々をピックアップしているのだろう。


上:ゲルの中で寛ぐ2人の男性。テレビをつけ、馬乳酒を飲み、トランプをしている。私が事前に読んだ書物によると、ゲルは生活の場所ではあるが、礼儀作法がしっかりしていると書いてあった。しかし、彼らの様子を見ていると、何でもありなんだ、と感じた。


上:自家製の馬乳酒。初体験だったが、かなり旨く、がぶっと飲めた。アルコール度数は2%だろう。また、酒をついでいる男性は当家の主人だが、後から述べるように酒癖がよろしくない。

18:30 オラーンゴム発
 何だかんだしているうちに、この時間になった。もう少し遅かったかも知れないがよくわからない。

18:40 オラーンゴムを出るための検問
 警察のチェックに1時間近く使っている。

 この交通警察官は酔っぱらいで、かなり悪質だったらしい。もとろん、私たちの車に同乗していた親父もかなりの酔っぱらいなので一悶着あった可能性も高い。酔っ払い同士のお話だから、しらふの日本人の出番はない。


上:警察の検問前で停まる。写真左奥にある小さな小屋に酔っ払いの警官がいる。


上:酔っぱらいが話し合っている間に撮影した。


上:もぉー、と叫びながら帰ってきた牛。

19:30 峠で酒盛り
 何でこうなったの分からないが、峠で酒盛りをしている。何でまた飲むのだろう。しかも、あの親父は酒癖が悪く、女の子に無理矢理はぐはぐしたかと思うと、男の私にも迫ってきた。他の人たちは「やめておけ」という顔をしていたが、私は日本人を代表して自分からはぐはぐした。結果は、酔っ払いに顎を噛み付かれ、傷者になってしまった。狂犬病を持っていなければ良いが、、、

 彼に噛まれた顎が痛い。


上:中央やや右に座っているる親父に噛み付かれた。彼の後ろの男性はウォッカのボトルを持っている。また、左端の男性は「助手席はオレだ」と言って私を退かそうとしたが、私が50000トゥグリク支払ったことを知ると、「ここは君の席だ」と言って後部座席に座った。彼も相当な酔っ払いであるが、金には弱いらしい。ただ、金を使った私は小さな罪悪感を感じた。


上:峠から見た夕焼け。左の雲(彩雲)は虹のような色を放っていた。

 それから車は走り出した。辺りはすぐに暗くなり、ヘッドライトで照らされた前方10mしか見えなくなった。変化は何もなく、未舗装のでこぼこに揺られながら何回も意識を失った。

23:00 夕食
 正確な時間は全く分からない。22〜24時の間だと思う。メニューは、峠でもらった巨大ソーセージと揚げパン。もしかしたら、移動料金に食事代が含まれているのかも知れない、と思ったけれど、実は家族旅行の可能性が高いので、経費節約の意味があったと思われる。私は、直径6、7Bのソーセージを長さ7、8B、揚げパンを3個食べた。

翌1:00 とある湖
 もっとゆっくり撮影したかったが、急かされた。停まってくれただけでも幸運だと言わなければならない。


上:湖で撮影しモンゴルの星空。

続きをどうぞ!

私の日記 8月20日

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