このページは旅行記『モンゴル旅行記2007夏』 2007 aug. 14 - aug. 28  です。

私の日記 8日目

2007年8月21日(火)

◎ オラーンゴムからの大移動(3日目) =================
ホルギーン・トゴー火山
                   不眠(車中泊)
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 まだ暗いうちから日の出を見た。


上:日の出は、5時半頃だったと思う。


上:モンゴル特産の羊らしい。

7:00 ホルギーン・トゴー火山
 思いもかけない時間に火山と巡り会った。しかも、車が故障したので自由に散策できる時間が与えられた。


上:私がもっている溶岩は真っ黒である。つまり、この火山のマグマの粘度は低く、高温であったことが分かる。火山本体は、写真奥に写っている。


上:近辺に落ちていた火山噴出物。日本の10円玉もおいてある。

 車の修理は30分もしないうちに終わってしまった。もっとかかれば良かったのに、、、


上:標高2040m。時間7時35分。

9:40 小さな村で車の修理のために止まる
 未だに車の修理をしているが、僕にはかなりの免疫があるからこれぐらいでは参らないぞ。

 修理屋のおじさんは金儲けのために時間をかけているのかも知れない。

 3人よれば文殊の知恵というが、かしましいとも言う。先導多くして船乗り上げる例えもある。

 車の修理ばかりしているので、旅をしているのか車の修理をしているのかわからない状態であるが、旅を車するなら、車を直すことは旅することに等しい。

 私にとって、車の修理は直接旅と関係ないけれど、新しい考えを会得するという点では意味がある。

 車を完璧に直すことは絶対にできないから、ある程度で妥協して出発しなければならない。人生の旅と同じように。


上:何だか分からない川のところで休息。写真に写っているのは、運転手のドヨさんとその兄弟姉妹。


上:伐採されたスギ科の植物。

11:30頃 食事
 時間も場所も不明である。小さな村のレストランに食事を頼んだ。朝食とか昼食とかいう分類もできない。腹は減っていると思うが、あまりに不規則なので良く分からない。


上:レストランの調理場で羊の肉を切る夫婦。左奥のベッドには乳飲み子が寝ている。


上:川から水を汲んでくるご主人。この写真は、調理をしている合間に私が村のスケッチをしたときのものである。その時は気づかなかったが、水を運んでいる男性はレストランのご主人だった。つまり、私たちが注文した料理「うどん」を作るための水を運んでいたのだ。


上:ストーブで羊肉を煮る。


左:肉が煮えたところで、だしを取るために入れた骨を取り出す。
右:麺を入れ、茹で、できた「うどん」を盛り付けている。


上:うどんを食べる仲間。


上:私の羊肉うどん。調味料は塩、それ1点のみである。


上:食事をした村の風景。


上:村の風景。


上:大きな水たまりがあった。良く考えると、草がある草原に水たまりはできない。水たまりは、禿げた大地にできるのである。また、アスファルトやセメントに覆われた地面にも水たまりができることはない。そう思うと、水たまりは貴重なようで、中途半端なようで、よく分からない現象だと感じた。


上:ここでも車の修理をした。右端の男性は、車から取り外した助手席(私の席)に座って修理の様子を見守っている。男性の前にある荷物は、私のパソコンである。


上:馬乳酒のテイスティングをするおじさん達。
 走り始めてしばらくすると、道端で馬乳酒を売る少年少女がいた。私は何をしていのか分からなかったが、酒の味を確かめてから買うのである。この時は「不味い」と言って買わなかったが、次の少年からは何本か購入した。私も小さな500mlボトルを購入した。価格は1500mlで700トゥグリク、500mlで250トゥグリクだった。

14:30頃 名前が分からない山?(丘?)
 モンゴル人にとっては有名な山らしいが、私のガイドブックには記載されていない。多くの人々が車から降りてハイキングを始めたので、私も歩いた。おじさん達は車に乗ったままだったが、山頂まで車道が続いているので、私が頂きについた時には車が待っていた。40-50分の楽しいハイキングだった。


上:前を歩く3人は同乗者なので見失ったら大変なことになる。

 以下に、ここで見つけた植物を掲載する。それぞれ非常に短時間で撮影したので、あまり良くない。

上:リンドウの仲間

上:エーデルワイス

上:この写真は山から降りる時、車の助手席からガラス越しに撮影した。小さなピンク色の花が咲き、その種子は白い綿毛のようなものに包まれていた。

左:タンポポの仲間。


上:コオロギの仲間だと思う。跳ぶ力が弱く、簡単に捕まった。


上:スギ科の仲間だと思う。

 非常に楽しいハイキングだった。あと10分あれば、と思ったが、車の修理のように時間を使うことは許されない。

16:00? とある牧場
 次に止まったのは、1軒の大きな牧場だった。ゲルが1つしか見当たらないし、働いているのは1組の夫婦と子どもだけなのに、たくさんの馬がいた。個人の能力が高いのだろう。外来の車もたくさん立ち寄り、チーズや馬乳酒を購入していた。


上:牧場の馬。


上:牧場で働く少年。


上:羊を追い、囲いに入れる2人の少年。

 次に、馬の乳を絞る様子を紹介しよう。以下の写真の撮影にあたっては、運転手のドヨさんが許可を取ってくれた。


上:子牛に乳を飲ませる。


上:母馬の乳を飲む子馬を引き離し、素早く人の手で乳を絞る。子馬が乳を飲んでいた時間は10秒ほどだった。また、母馬の前足をオレンジ色の紐で縛ってあるのは、この母馬の性格が荒いからである。その他の馬は、脚を縛られていなかった。


上:両手で乳を絞ると、2箇所からリズムよく乳が出てきた。なお、このように馬乳が採取できるのは夏の季節だけなので、モンゴルの人々は馬乳を大変貴重なものとして扱っている。

18:00頃 出発
 衝撃の事実が発覚した。この車(マシーン)は、ハラホリンへは行かない。その原因は、運転手のドヨさんが忘れてしまったことである。もちろん、私が何回も確認しなかったこともいけないが、約束の上では、私は50000トゥグリクを支払い、助手席を独占し、ハラホリンにある適当なツーリストキャンプで途中下車するとになっていた。しかし、彼は約束の1つを忘れ、ウランバートルまで直行する道を選んでしまったのだ。


上:窓越しに見える極小の白い物体は『仏塔』。これを始めて見た時、私はwハラホリンが近づいていると思い、あと何時間か、と尋ねた。その答えはあまりに衝撃的だった。

 ウランバートルに直行する道といっても、実際は地図に書かれていない100km以上の回り道である。今は雨期ではないから、ハラホリンまでの道が悪路だといっても、これまでの悪路と大差ないだろうし、ハラホリンからウランバートルまでの368Hは、ほぼ舗装されているという。しかし、彼はハラホリンまで100Hの地点で逸れた。それまでの道は正しかったので私は気づかなかったし、まさか地図上にない道を選ぶとは夢にも思わなかった。

 私達は500kmに近い道なき道を進んでいる。その結果として得られるものは大量の砂埃だけである。

 その衝撃の事実を知った時、私は「絶望」「茫然自失」などの言葉が思い浮べたが、意味は分からなかった。もし、今の状況をそのような言葉で解釈したり、ドヨさんを非難したりすこととは、これまでの時間とこれからの36時間を捨てることを意味する。

 私は長い時間をかけて自分の非を探し、今の状況を解釈し、旅の計画を考え直さなければならない。

 私はガイドブックを開いた。悪路に耐えながら、これまでにない逆境を克服しようと努力した。

・途中で車が故障して、修理に24時間消費したと考えよう。
・はじめからの道のりが、2000Hあったと考えよう。
・崖崩れで、予定していた道が通れなくなったと考えよう。
(ハラホリンを経由した方が確実に早くて快適だったことは間違いないが、、、)

 ここで学んだことは、若者は自分では精一杯やっているからそれで正しいと思っているけれど、経験を積んだ年長者はそれが間違っているか正しいかを知っている。しかし、若者が自分の精一杯やっていることに満足し、年長者の意見を聞かない場合は失敗する。若者はそれで良いが、その若者につき合う者は悲劇だ。とくに、事前に分かっている失敗への道(破滅への道)を選ぶことは人類の行為ではない。若者は、年長者も知らない分野で、誰も知らないことに対して失敗しなければならない。また、若者は年長者が遊んでいるからといって見下してはいけない。遊んでいる者に、それが良い結果を生むかどうか尋ねてみるが良い。結論を知っている場合がある。優れた年長者は、若者の失敗を温かく見守っているのだ。


上:雨を落とし始めた乱層雲。


上:トリが行く手をさえぎるかのように飛び立った。


上:小高い山に見えるのは『オボー』である。


上:かなり激しい木製の橋を渡る。重量制限1トン、の表示があるが、どれだけ耐えれるかは不明である。


上:橋を渡り終えると、金属製のバーがあった。その前で一旦制止すると、少女が走り寄り、なにがしかの金を請求した。


上:この川の名前は、オルホン。ここを辿っていくと、私がいきたかったハラホリンがある。それを考えると、やり切れない気分が吹き出してくる。

19:00頃 オルホン川を越えたところ
 オルホン川を越えたところで車は止まった。ここで他の車4台を待つ、という。何故、何のために、誰を待つのか不明であるが、そのようなことは興味がない。待っている車が道を間違えてここまでたどり着けない場合、明日まで待つのかどうかもわからない。とにかく、私の運命は予定外の方向に転がり始めている。これが旅のだいご味であり、このような状況を克服することが私の旅の目的の1つだから、十分に楽しませてもらうしかない。どうにでもなってくれ!


上:つい最近崩壊したらしく、川の近くに大量の残骸があった。


上左:石が積まれていた。誰かが死んだのかも知れない。
上右:オバケのQちゃん、みたいだと思った。


上:運転手ドヨさんと私。手に持っている駄菓子には、SUMOU(スモウ)と書かれている。内容物は、ウェハスのようにチョコレートのような物質を挟んだ焼き菓子だった。とても甘いので、半分も食べられなかった。

 ドヨさんを始めその他の乗客は、ここでの食事を期待していたが、食材が不足しているとの理由で作ってもらえなかった。もし、材料があったなら、私たちの乗客の誰かが調理したことだろう。


上:ドヨの弟さん。彼の運転はかなり慎重なので、エンジンがノッキングしても、なかなかギアを変えない。だからキャブレターの調子が悪くなるのだけれど、誰も指摘しない。私が運転しようか、と申し出たけれど拒否された。私が運転すれば車の調子は良くなると思うが、私は交通警察官に無免許運転で捕まるかも知れない。ただし、警察官など見たことがないし、見たことがある警察官のうち半分は酔っ払いで、県境のゲートを通過するために「ウォッカ」を差し入れた現場も目撃している。これに対して、異邦人は『郷にいればそれに従うべし』と考えているが、それは日本人の身勝手というべきだろう。ま、ご意見は御自由に。私は約束したハラホリンに行けず、ウランバートルに連行される身柄である。


上:新しく到着した車の乗客は、橋を歩いてきた。橋が崩れるのを恐れたからだろう。この判断が正しいかどうかは、橋が崩れるまで分からない。


上:ハリネズミを発見し、たくさんの人が集った。

20:00頃 日が暮れてから、車は出発した。

23:00頃 食事
 そこはレストランばかりが集った村だった。レストランといっても、ごく普通のゲルで、客が来てから麺を作りはじめるので最低1時間はかかるレストランである。


上:スーティーツァイを飲む女の子とヨドさん。


上:背中を向けている男性は麺を作り、こちらを向いている女性は羊肉を切る。料理は1から作りはじめるのだ。


上:毎度お馴染み「蒸しうどん」。その他の食べ物ない。

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