このページは旅行記『モンゴル旅行記2007夏』 2007 aug. 14 - aug. 28  です。

私の日記 9日目

2007年8月22日(水) 曇

◎ オラーンゴムからの大移動(4日目) ============
未明:車中(オラーンゴム→ ウランバートル)
午前、午後:車中(ウランバートル→ハラホリン)
夕方:ハラホリン散策
                           ハラホリン泊
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 車中では基本的に寝ているが、それが寝ているという現象なのかは不明である。

 地平線は雲に隠されていたが、日の出を楽しんだことは間違いない。他に楽しみはない。


上:今日も太陽は昇ってきた(揺れる助手席からフロントガラス越しに写す)。

 それから何回かうたた寝をしているうちにウランバートル市内に近づいてきたようだ。草原を破壊する道が増えたからだ。


上:無数の道が同じ方向に向かっている。ところで、車が走ることで禿げた草原は元通りに復元するのか、それとも砂漠化してしまうのか。私が観察したところでは、雨量が多い場所は回復していたが、標高が高く雨が少ない場所では砂漠化していた。また、裸の大地から舞い上がる砂埃が草原に降り掛かる様を見ていると、その周辺の植物にも影響を与えるように感じる。

 日本の人生訓として「自分の前に道はなく、自分の後に道ができる」を美徳とするものがあるが、モンゴルの草原においては全く当てはまらない。道は容易にできる。後に残ったものは惨殺された大地である。上の写真の右端を注意して見ると、草原が薄く禿げているのが分かるだろうか(写真下は上の部分拡大)。


上:このようにして破壊されていく。


上:砂埃を上げて走るトラック。この砂埃に驚いてはいけない。このような写真がとれるのは、風が右から左に吹いているからで、通常はこの砂埃を追い掛けながら走っている。これはたまたま横に飛んでいるから綺麗に撮影できたに過ぎない。1時間のうち50分は、前の車の砂を冠りながら走る。無風状態でも同じである。ウランバートルに近づけば近づくほど、車と砂埃の量は増えていく。

 前方に車が2台ある場合、車間距離を100mとっても呼吸したくない。そんな道を何10時間も昼夜の区別なく走る状況は辛い。

8:35 ウランバートル着
 突然ついた。まさか、こんなに早く到着するとは思わなかった。


上:ウランバートル市内を地上から確認した。下に部分拡大を示すが、煙突に着目するとその位置が分かるだろう。

 舗装道路に変わった。

 トローリー電車や大型バスが走っていた。

 次第に交通渋滞の様相を見せ、まだ中心部まで10Hあろうかというのに動かなくなった。

 片道2車線のうち、一方を完全に封鎖、舗装し直しているからだろう。

8:30 バスターミナル(ウランバートル西部)
 ドヨさんにバスターミナルまでつき合ってもらって、ハラホリン行きのバスを探してもらった。何人かの客引き声をかけれたが、大型バスはない、という。すでに出発してしまった可能性が高い。結局、ミニバンで移動することになったが、助手席はすでに予約済みで、私は最後尾にあたる最悪の場所になった。ハラホリンまでは10時間の道のりだが、これまでの経験に比べれば楽勝である。

9:00 ウランバートル発
 予定よりも早く出発した。私はこれまでに走ってきた同じ道を戻ることだけは止めて欲しかったが、その願いは「叶った」と思う。

私の座席から外は見えない。
窓には暗い遮光フィルムが張られている。

身動きはできない。
両隣りの人と密着して座っているので、身体はおろか脚も動かせない。
足の5本の指を動かし、靴の中にも血液が通っていることを定期的に確かめなければ、壊疽してもわからないだろう。

10:30  朝食
 その店はれんが造りの立派な食堂だった。

 この村には、何件かのレストランがあったが、1軒だけが満席で繁盛していた。メニューは少なかったが、低料金で味も良い。これが評判となって客が回転しているのだろう。


上:美味しい食事を出すレストラン。画面左の深緑色のワンボックスカーが私の車。


上:
1000トゥグリクの定食。腹ぺこだったので半分以上食べてから撮影した。申し訳ない。

 コーヒー(200トゥグリク)も飲んだ。もー、最高の幸せである。肉もよい部分が使ってあり、美味しい。このような低料金、少ないメニュー、美味しい料理、という経営方法は魅力的だ。しかし、日本人は簡単に同じ料理に飽きてしまい、目新しい料理や店を求めるから、日本では通用しないだろう。

 それにしても3人がけのシートに4人座ることは厳しい。10時間なら我慢できるが、できるなら我慢しくたくない。さて、この狭いシートで思うことを記述しよう。
(1)この厳しい座席でも、旅行できる人は裕福である(もっと裕福な人は自分の車で旅行するが、それは1%に満たないだろう)。
(2)一般的なモンゴルの姿に触れたいなら、この窮屈も良い経験だ。
(3)目を閉じれば心は自由だ。

 右隣の女性は、私の肩に少なくとも3時間は頭を乗せて眠っていた。このため、私の体は左に傾き筋肉を傷めたが、彼女は良い夢が見られたであろうから我慢しよう。

 それから、すばらしい経験をしたので報告しておく。それは、私の最後尾の席から向き合う位置に座っていた婦人に関することだ。その婦人は、大変深く胸が開いた服を着ていたので不思議だったが、その婦人が抱いている子どもの様子を見ているうちに理由が分かった。その婦人は大変な美人なのである。子どもは婦人の顔を触ったり、口づけをしたり、全行程10時間にわたって眠ることなく遊んでいた。この車には3人の子どもが乗ってが、その他の子どもは寝ていた。最後まで元気に遊んでいたのは彼1人だった。彼女は見れば見るほどに美人だから、眠れないのである。私もずっと見ていたが、飽きない。どれだけ見ていても飽きない。つまり、これが本当の美人なのである。その子どもは美しいものを見つめて育つから、審美眼の優れた人になるだろう。ただし、幸せになるかは不明である。とにかく、今は寝ている暇などない。お父さんもカッコいい男性だが、子どもは見向きもしないし、お父さんも反対方向を向いて寝ていた。それを見ていると、一般の子どもが母親に求めていること以上のことを、その子どもが求めていることが分かった。また、私はカンボジア各地で体感したアルカイックスマイルを思い出した。アルカイックスマイルの神秘性は、日本人の血に良く馴染む。またさらに、日本の武士道では用もないのに笑うことは良くないとされているが、私はアルカイックスマイルを絶やすべきではない、と思った。それは自分の子どものためではなく、私も幸せのお裾分けをしてもらいたいからだ。

 それから、つまらない余談であるが、朝食前にトイレを使用した。そのトイレは草原のまん中にぽつんと設置され、2人並んで用を足せる構造になっていた。もちろん「ぼっとん式」と言われるもので、深さ5メートルの穴の上に、2枚の板が渡されているものである。万一板が割れて落ちれば、生き地獄(想像不可)である。私が歩いて行ったときは、女性2人の先客を確認していたので、離れて待った。彼女達が出て来たので、私は2つある個室のうち、左側に入った。個室といっても扉はないし、隣との壁は隙間だらけである。私は下痢気味だったので、失敗しないようにゆっくり時間をかけて用を足そうとしたが、何と、私の右斜め前方5mの位置にアルカイックスマイルの婦人が立っているではないか。私は、もう少し場所を変えてくれないかなあ、と思っていたら、その婦人は隣にしゃがんだ。用を足すためである。見ようとすれば丸太の壁から全容が見えるが、その行為はあり得ない。しかし、下界に広がる地獄は共通、丸見え地獄である。私が出したもの、隣人が出したものは地獄の一部と化していくが、それ以上の描写はこのHPの趣旨に反するので控える。ここはモンゴルであり、私は日本人である。

19:00 ハラホリン着
 約9時間で到着した。予定通りなんて信じられない。画期的だ。

19:30 ホテルにチェックイン
 予定していたホテルはナイトパブに変わっていた。ホテルよりも儲かるからだろう。仕方ないので、近くにあるホテルに飛び込んでみた。


上:私が飛び込んだホテル。ビリヤード、カラオケ、卓球などの施設がある。

 ビリヤードで遊んでいる人に声をかけたら、ホテルのオーナーの部屋を教えてもらった。薄汚れた部屋に案内されたが、他に宿泊施設もなさそうなので、部屋の掃除をしっかしするように言って、ここに決めた。英語が通じたことが、決定した原因の1つである。

 荷物を解いてから、ハラホリンの中心『エルニデゾー』まで歩いた。地図では数100mの距離だったが、実際は20分以上歩いた。18時に閉門していたので中に入れなかったが、壁によじ登って内部を撮影した。すみません!


上:エルニデゾー。


上:空には無気味な雲がいっぱいあった。これから雨が降るかも知れない。明日は雨かも知れない。


上:トリが帰って来た。私も帰ろう。


上:私が当初予定していたホテルに入ってみた。ミラーボールのようなものが回わるナイトパブになっていた。何か食べるものをくれ、と言ったが酒しか置いていないので、すごすごと引き返した。

21:30 夜食
 ザハ(市場)の周りを探してみたが、食堂はない。あったとしても、私1人のために食事を作ることはあり得ない。仕方ないので、ホテル前の商店で適当なものを購入した。


上:本日の夕食メニュー。左からビール、ポテトチップス、バナナ、ザハで買った馬乳酒、昨日買った馬乳酒。

22:30 消灯

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