このページは『モロッコ旅行記 2007春』 2007 march -2007 april です。

私の日記
2007年4月1日(日)            小雨
                      
◎ 雨のカサブランカ =================
5:00 マラケシュ(列車)→ 9:20 カサブランカ10:05(列車)→
    カサブランカ空港
13:20 カサブランカ(エミレーツ航空EK752)→ 
 翌日1:10 ドバイ 2:50(エミレーツ航空EK314)→ 17:40 セントレア空港
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4:00 起床
 普段は目覚まし時計をセットしなくても予定時刻の5分前になると自動的に目が覚めるのに、今朝は2種類のアラーム音を聞いた。不安だったので、2つセットしておいたのだ。モロッコ最終日の今日は、列車に乗り遅れると大変なのに、こんな日に限ってだらだらしてしまう。

 宿を出て大通りに出ると、タクシー運転手が声をかけてきた。鉄道駅まで50ディナールだと言う。彼は自主的に40ディナールまで値引きしたけれど、僕は歩いていくと言ったので、彼はタクシー乗り場と料金を教えてくれた。しかも、正規料金は20ディナールだって。

 実際、教えられた方向へ歩いていくと何台かのタクシーがいて、料金は20ディナールだった。私の希望価格だったので、言い値で乗り込んだ。英語は通じなかったけれど、鉄道のジェスチャー『シュッ、シュッ』は万国共通なので全く問題ない。


上:午前4時半のマラケシュ最大のミナレット『クトゥビア』(タクシーを止めてもらって写す)。

4:35 マラケシュ鉄道駅
 列車が出発するまで25分ある。カフェでコーヒーとほんの少しの腹ごしらえがしたい。


上:鉄道駅のカフェで注文したカフェオレとバナナ。少し食べてから、エスプレッソを注文した。

5:00 マラケシュ
 私のコンパートメントは電気が消され、2人の男が座っていた。まん中の席が空いていたが、窓際の男とバッティングするかのように彼の正面に座った。私は、そのまま目を閉じ、眠りについた。約15分後、列車は時間通りに動きだした。

 私の正面に座っていた青年は軍人で、高校を卒業してから、軍人学校で4年間勉強し、さらに1年間会計に関する勉強をしたそうだ。そして、過去3ヶ月間、無休で働いたから20日間の休暇をもらって実家に帰るところだと言う。さっぱりした身なりをして1等席に座れるのだから、良い給料を貰っているのだろう。やはり、人間は勉強しなければならない。知識と教養は、人間社会に生きるために必要な条件だ。

9:20 カサブランカ着
 カサブランカ市内から空港までは、鉄道があるのでここで乗り換えれて行くこともできる。空港には11時20分につけば良いから、移動時間を差し引くと90分の時間がある。しかし、カサブランカは寒く、冷たい雨が降っている。時間はあっても、街へくり出す気にはなれない。私は空港駅までの鉄道チケットを買って、カフェに入った。出発まで温かいミントティーを飲みながら仕事をすれば良い。
<メモ>
・カサブランカの市内には、鉄道駅が3つある。


上:クロワッサンは売り切れだったので、チーズサンドを注文した。
 お店の人は、チキンサンドを勧めてくれたけれど、、、(15ディナール、7ディナール)。


上:カサブランカの鉄道駅前の風景。

10:05 カサブランカ駅発
 ここで2年前のイランの旅日記を読み返してみると、今回は旅の最後にパワーがなかったと思う。リスクを背負って頑張る部分がなかった。時間のリスクはかけてはいけないから、その面では間違っていなかったけれど、体力的な面でもう少しリスクをかけても良かったと思う。楽をし過ぎた。少し無理かなと思う範囲までトライする精神を忘れてはいけない。でもカサブランカは本当に冷たい雨だった。

 メディナを世界遺産にするのは、もしかしたら、低所得者に名誉を与えて、低所得のママ働かせようとする政治的策略かも知れない。そのような穿った見方はしたくないが、自分の所得が増えるにつれ、自分を守りたくなるのは知的生物なら当然のことで、強者が考える巧妙な策略であるような気もする。その考えの延長線上に、貧しい者が貧しい者を見て、「ああ、自分よりも貧しい人がいる。ああ、汚い。」と感じるなら、政治家の目的は完全に達成されている。貧しいもの汚い者を保存して、それを変化させないように進歩させないようにするのだ。


上:カサブランカから空港へ向かう列車(1等席)。

10:38 カサブランカ空港着
 特に大きな問題もなく、空港内に入り、チェックインをすませ、出国し、搭乗ロビーに到着した。電源も発見し、快適にパソコンを打っている。

 マラケシュの印象は、今も様々な人が行き交っていること。ヨーロッパ人は裕福な人から中産階級の人、モロッコ人は外国人を相手にする心悪しき人から心清らかな人。純系を感じることは少なく、ほとんどの人にアジアの血を感じる。ただ、アフリカから移動して来た人からは、アジアの匂いを感じない(ここで言うアジアは、中央アジアから日本まで)。

 また、頭髪を観察すると、70%の男性が坊主頭にしている。肌が黒いので青白く見えることはなく、頭蓋骨の形が良いので頭髪の違いに意識が向かない。それに比較して、私は直毛、真っ黒で、しかも「フュゥー」っと長くたなびいているので極めて異質な純血な民族であることを感じる。しかも、中年であるのにもかかわらずスーツを着ず、民族衣装を着ることもなく、妻子も持たない。この得意な価値観を理解できる人、つまり、同じような経験や人生を歩んでいる人は皆無と言える。日本においてもモロッコ空港においても私は1人だ。

13:01 空港の搭乗口にて
 離陸予定時19分前になっても、動きがない。私の乗り継ぎ時間は90分程度だから、ちょっと厳しいけれど、もし、乗り継ぎに失敗したら、それは私の原因ではないから、クレームを付けてドバイで1泊遊べるかも知れない。嬉しいかも。でも、上手く交渉しないとダメだから、とにかく頑張ろうね! 乗れても乗れなくてもベストを尽くそう。

13:09
 しばらく目を閉じて休憩している間に、飛行機のクルー達が並んでいた。そこそこの遅れで出発してくれそうな気もするが、良く見ると、彼等は自分の手荷物を持っているので、まだ準備は何もできていないようだ。うーむ、君達まで待たさせているのか。やがて、人々がざわめき、幾人かの人々が並び始めた。


上:乗務員たちも、出発を待っている。

13:13
 ほんの僅かな時間のことであるが、この僅かな時間が人々を動かす。

 アナウンスが入った。全員が乗り込むには、もう少し時間がかかるだろう。 


上:エミレーツ航空の機体。


上:カサブランカ郊外の畑。


上:カサブランカ郊外の風景。


上:左右から押されてできたと思われる地形。


左上:高度1000m程度の層雲。
右上:もう少し高度のある積雲。


左上:完全に雲を突き抜けた。下界は雨だろう。
右上:軽食。




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私の日記 4月2日

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