このページは『モロッコ旅行記 2007春』 2007 march -2007 april です。

私の日記
2007年3月27日(火)   
                      
◎ 世界遺産『フェズのメディナ』==================
終日:フェズのメディナ散策
ザウィア・ムーレイ・イドリス廟
                             フェズ泊2
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4:40 起床
 コーランに起こされた。パソコンを起動し、画像を転送し、シャワーを浴びようとしていたら、「他の人が寝ているから、8時にしてくれ」と注意された。シャワーは共同になっているから当然のことだ。ちょっと反省!

 それから朝寝することもなく、だらだらと写真の整理をしたり、パソコンに入っていた古い書類を呼んで時間を潰してしまった。

6:45 朝食のための散策
 メディナの店の扉はほとんど閉まっていた。庶民のための店というより、観光客のための店が大半だからだろうか。それとも生鮮食料品の店を見ていないからだろうか。いずれにしても歩き回らず、近場で腹ごしらえしたい。

 スープのようなものとパンで3ディナール。このスープは大変美味しく、今までのところ、モロッコで1番美味しかった。すり潰した豆のスープで、新鮮なオリーブオイルが浮かんでいる。


上:本日の朝食。スープの上に浮かんでいる赤いものは、私がかけた薬味(トウガラシなど)。パン1/2は、サービスでついているのか分からない。また、私の正面では他の客が食事をしている。彼はスプーンではなく右手を使っているので、スプーンは特別サービスなのだろう。

 次に買ったのは、クスクスを焼いたもので、これまた美味。腹が減っていることが第1原因だとしても、美味しさは嘘ではない。


上:クスクス(左)とカフェオレ。

 私は、飲み物専門店にクスクスを持ち込んだ。他で買ったものを食べながら飲むのは、モロッコの喫茶店の常識である。この後、食後のデザートとして、エスプレッソを注文した。
・カフェオレの料金(4ディナール)
・エスプレッソの料金(3.5ディナール)

 なお、この店の前にある喫茶店には客が1人もいない。なぜなら、料金を知らない外国人観光客に高額の料金を請求するので、地元の人に嫌われているのだろう。私のいる店には、15人ほどの老人達がモーニングコーヒーを楽しんでいる。かなり優雅でオシャレな時間だ。

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 朝の散歩の帰り道、ホテルの正面にハマムを発見。アラビア文字は読めないが、アラビア数字8:30だけが読めたので、ハマムだろうと判断した。扉を開けると案の定ハマムで、入れ!と誘われたが、まずはホテルで準備しなければならない。

 ヒゲ剃り、石鹸、デジカメをもって出動。入場料8ディナールは、メクネスより安い。しかし、これは最後に分かることだが、貸タオルに5ディナールも払ってしまい、ぼられた可能性がある。

 さて、ハマムの構造は、以前のものと同じだった。また、1番熱い部屋で寝ていると、身体が弛み、マッサージが始る。私は一般客にマッサージをしてもらったが、彼は常連客のようで、他の人はみんな笑っていた。マッサージをしてもうために来た人に、逆にマッサージをさせてしまうなんて、、、。

 それから、背中を下にして寝ていたら、筋肉が暖まり過ぎて、ぎっくり腰になるところだった。こんなところで背中を痛めたら、モロッコの旅は一貫の終わりである。あな恐ろし。

8:45 朝ハマムから帰る。

 それから体制を立て直して、メディナの職人街を散策した。


上:路地の風景

ザウィア・ムーレイ・イドリス廟
 メディナの中心にあたるカラウィン・モスクの西50メートルにある。私は、ここがカラウィン・モスクだと思っていたが、メインのカラウィンは修復工事中で、外観すら拝めなかった。もちろん、地元の人々も同じである。

上:霊廟の門の裏側にある立派な装飾。何からの意味があるようだが、私には分からない。大勢の観光客を引き連れたガイド達が盛んに解説していた。


上:霊廟の入り口から中を拝見することができる。門に座っている乞食(写真右下)は喜捨を私にねだっていたが、やがて無視されるようになった。そして、中にいる係員(信者)が写真を撮りたければ撮れ、と合図した。白人の観光客達は、ビデオカメラを回していた。


上:中庭に面したところでは、信者たちが食事をしたりお茶を飲んでいる。写真の老人は、ガスボンベを持ち込んで湯を湧かし、ミントティーを作っている。


上:中庭の全景。


上:ここの人々もミントティーを飲み、うたた寝をしている。遠方より巡礼に来て、ここで宿泊している人もいるだろう。


上:霊廟内の様子。この写真は、霊廟外から撮影した。カメラを向けていても、人々はほどんど気にしないし、私の隣には警備服を着た人が3人いたが、全く気にする様子がない。


上:この上の写真を撮影した門。


上:信者から水を貰い、喉を潤す巡礼者。


上:どこか忘れましたが、その他のモスク。

12時頃 昼食
 メディア内にある小さなレストランで食べた。


左上:魚、小エビ、芋のフライ。
右上:小エビの皮を取る人々。


上:メディア内にあった図書館。何かの付属図書館だと思う。


上:陶器などの土産物を売る店。この頃には、小雨が降り始めていた。

16:00 自室にて
 ようやく自分の部屋に入って落ち着く。今日は1日フェズのメディナ散策の予定だったけれど、生憎の雨で元気1/10になってしまった。それでも、いくつかの楽しみはあったから悪くはない。とにかく、カゼをひいて体力を落としているから、無理できない。少し睡眠をとってから、明日のバス(シャウエンまで)の時間をチェックしようと思う。そのためにはバス乗り場まで行かなければならない。

 小雨が降っているけれど、目的を達成するためにはリスクを負わなければならい。宿の店主モハメッドの説明によると、ここから350mの距離にあるが、バス停にたどり着けない。雨脚が強くなり、とても歩ける状態ではなくなった。私は小さな木の下で雨宿りしたけれど、それもママならない状況になり、城壁の門に駆け込んだ。

 5分もしないうちに、歩けるほどの量になったので、再びバス停があるであろう方向へ走った。

16:45 バスチケット購入
 バスセンターの中をきょろきょろしていると、1人の男性が声をかけてきた。彼は民営バスの男性で、案内されるままについていった。行き着いた場所は、立ち並ぶバス会社の1つと変わりなかったが、看板はCTM(国営バス)だった。そこでは、コンピューターでチケットを購入した。英語も通じたので、その他のいろいな情報が得られた。
・翌日7時半発、12時着(次のバスは10時半発)
・70ディナール
・座席は最前列(本当なら最高!)

17:15 イスラム人墓地へ登る
 それから、バスターミナルの隣のイスラム人墓地に登った。そこからフェズのメディナ(旧市街)を眺めると、フェズの街は王宮を頂上とする斜面に発達し、メディナの職人街は王宮の下に位置していた。斜面の1番下は河川になるが、現在は枯れ河になっている。かつての王が、どのようにして土地を定め、職人達を配置し、仕事をさせたかはとても興味あるが、現在の社会形態からは想像することは難しい。わずかに推測できることは、大都市の周りにベッドタウンと呼ばれる地域を作るために鉄道を整備することが考えられるが、これは、役人達が整備不良の土地を処分するために行ったことは、記憶に新しい。たくさんの住民が困っているのにもかかわらず、行政の対応が何年もかかることは、これを証明している。昔も今も、役人達のすることは、私腹を肥やすという点において変わりない。


上:墓地からの風景。画像をクリックすると拡大します。


上:朝と同じカフェで、カフェオレを注文する。ガラスグラスには、できたてのエスプレッソが入っていて、ウェイターが目の前で熱い牛乳を入れる。かなり旨い。砂糖はお好みに応じて入れるが、モロッコの人は全部入れることが多い。私も小雨降る街を歩き疲れていたので、甘く香り立つカフェオレが身体に染みわたった。

17:00頃 結婚式の行列に遭遇


上:歌い踊る行列の中心には、花婿がいる。花嫁もいるのかも知れないが、分からなかった。


上:花婿は落ち着くことがなく、辺りを見回していた。後ろを振り返る顔は、とても象徴的だった。


上:行列の後部には楽隊が並び、最後尾は長いラッパだった。また、ラッパの奥には深い緑色の布が被された3つの台があり、その上には、花婿から花嫁へのプレゼントがあるものと思われる(もし、正確な内容を知っている方がみえましたら、教えて下さい)。

 再びメディナへ


上:おす豚


上:左端にぶらさがっているのはラクダ。私は未だかつてラクダの肉を食べたことがない。

 以下の2枚は、カラウィン・モスクの周りにあるロウソクなど礼拝に必要なものを売る店。

 メディア内はしだいに暗くなった。太陽は完全に沈んだようである。

 店が閉まると、街路灯のない道は急に特徴を失い、私は方向を失った。

 帰り道は完全に道に迷った。女の子だったら、私の何倍も恐い目に合うことになると思う(いくらかのお金を払って、長い道のりを最後まで案内してもらうより他に手段はないだろう)。私は男だから、迷いながらも散策を楽しんだが、遅くなればなるほど危険になることは間違いない。人通りがまばらになり、道を教えてくれる人の質が落ちてくるからだ。また、染色職人の街に迷い込んだとき、通りすがりの男が自主的に工場の1つを案内してくれたが、何のことはない。靴を買えとか、写真は1枚20ユーロだとか、お金の話になった。一気に興醒めして、帰ろうとすると、帰り道では、プレゼントをくれとか、ペンをくれとか、、、。私は「君は、私の友だちだと思っていた」と切り返したけれど、暗い夜道は怖さを増した。全てを知っている振りをして、力強く歩くしかない。

21:30 無事に帰ってきた 


上:この門が見たかった。人通りがあり、1人の警察官もいる。

21:40 シャワー
22:30 消灯

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私の日記 3月28日

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