このページは『モロッコ旅行記 2007春』 2007 march -2007 april です。

私の日記
2007年3月30日(金)      快晴
                      
◎ タンジェ市内散策==================
終日:タンジェ市内散策
21:00 タンジェ(夜行寝台列車)→ 翌10時 マラケシュ
                            列車内泊
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6:00頃 起床
 朝食を兼ねた朝の散歩に出かける。


上:私の部屋から見たタンジェのメディナ(旧市街)


上:朝のコンティネンタル・ホテル。昨夜、海辺の部屋が満室だっただめ、断念したホテル。

 しばらく歩くと、ドゥチェ(シャワー)の看板を発見。
 料金を尋ねたら、入場料10ディナール、バスタオル3ディナールなので、入ることにした。
 もしかしてハマムかも、と期待していたが、シャワールームだけだった。さっぱりした身体で朝の散策を始めるのは清清しい気分だ。


上:個室シャワー(ドゥチェ)。

 新市街に出た。欧米からの観光客気分で朝食をとろうと、良い雰囲気のカフェに入った。雰囲気は良くても、ウェイターは何も知らない日本人観光客(私)から小銭を奪い取ろうとしたり、釣り銭をテーブルに投げ出したりする無礼者である。しかし、慎ましやかな生活をしている現地の人々にとって、観光客は金を落としていく悪者なのかも知れない。


上:朝食代として20ディナールを出したら、ウェイターは釣り銭を出さなかった。私が釣り銭を要求すると、彼は、ポケットから1ディナールを取り出し、テーブルの上に投げた。かなり屈辱的で、そのまま帰ろうかと思った。

 それから、地図を見ながら現代美術館を探したけれど、なかった。それらしき建物にいる何人かに人に尋ねたが、アラビア語とフランス語しか通じないので、閉鎖したのか改装工事中なのか内容を変更したのか分からなかった。

 次に訪問した工芸博物館は、作業しながら展示即売している施設だった。しかも、開いている作業所は7、8箇所だけで、私がたまたま見学したマシーンは大量のほこりによってショート→断線した。私でも十分に修理できるものを放置しているのだから、、、。このような状態になるのは、商品が売れないこと、買う人がいないこと、一部の人々に利益が集中しているのが原因だ。

 時計は11時を回っていたが、私はホテルに帰ることなくタンジェの街を散策した。



上:坂道のある街で生活することは大変だと思うが、心踊るものがある。



 自分のホテルの近くに戻った。ここからはタンジェの港が良く見える。


上:タンジェ港。正面の港には、モロッコとスペインを往来する船が見られる。また、この波止場を歩くためには出国しなければならないので、無国籍地帯ということになる。

 タンジェの北側からはヨーロッパ大陸が見える。天気が良いためか、領土を争う人々の姿を想像することはできなかったが、地中海を見ながらミントティーを飲みながら過ごす時間は最高の逸品だと思う。


上:遠くにうっすらと見えるのは、ヨーロッパ大陸のスペイン。また、この広場には、ヨーロッパ大陸から攻めてきた軍艦に対抗するための巨大な大砲が接地されている。


上:↑この画像をクリックすると拡大します。

 それから、再びメディナを散策した。


上:モスクの門を掃除する青年。

 カスバの前では、モロッコで初めて大声を上げてしまった。とてもしつこい子供が「日本人はファック」と言ったからである。ここは日本人を代表して、面目を保たなければならないと思い、大声を上げて叱った。悪質な子供は地域を問わず、小さいうちに叩いてく必要がある。少しはタンジェの街の役にたてたと思う。周りの子どもは当然であるが、大人達もビックリして家から飛び出してきた。

1300 コンチネンタルホテルのテラスで昼食

上:
雰囲気を十分に楽しませてもらった。最前列に座るより、少し離れたところ、あるいは、1番後ろの方が雰囲気を楽しめる。かなり余裕の遊び方ができるようになってきた。

16:42
 ホテルの前にあるカフェのテラスにいる。

 今日は1日中ガンガン仕事をするつもりが、ホテルで眠ってしまった。
 予想通りの怠惰な生活をしていても、自分らしいと感じてしまうから困る。


左上:カフェのテラスからの風景。
右上:テラスで、カフェオレを飲みながら日記を書く。写真右に写っている男性は、ロンドン(イギリス)で経済学を勉強していると話した。将来は貿易関係の仕事をしたいらしい。今は春休みで故郷に戻ってきている。


上:美しい衣装の女性は観光客だと思うが、詳細は分からない。


上:ヨーロッパからのバックパッカー達。

 テラスから写真を撮りはじめると、日記をかくよりはるかに面白いので、ホテルにパソコンを置いて出動することにした。


上:ウェイトトレーニングの看板。流行っているのかなあ。


上:サッカーをする少年。私自身も懐かしさを覚える空間だった。現在、このような空間はあちらこちらにあるが、数10年後には日本と同じように無くなってしまうのだろうか。


上:錆ついた大砲の上に座り、読書する青年。


上:白い壁の家。


上:引き潮の海岸で遊ぶ少年達。


上:ビー玉で遊ぶ少年達。

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19:00 カフェにて
 エスプレッソが6.5ディナールとは、全く下せぬ。こんな記述から始るのが本当に情けないが、これまた観光地ならではの頭に来る話である。毎度毎度のことであるが、知らない相手に対して嘘をつくことは全く良くない。ただし、私が大金持ちであるから嘘をつかれているいるのであって、貧乏人なら嘘をつかれまい。しかしだ。本当の貧乏人ならエスプレッソなどを飲むわけがないから、結局のところ、知らない者に対して、旅人を騙していることになる。僕が頭に来ているのは、嘘をつかれることに対してであって、それ以外に何もない。

 さて、カフェに入る前に、カシューナッツとクルミを買った。カシューナッツは温かく、炒ったばかりではないと思われる美味しさだった。日本に帰ったら、カシューナッツを食べる時はレンジで温めてみよう。美味しくなるかも!

19:21
 今日はこれから夜行寝台に乗ってマラケシュにいく。マラケシュでの滞在は約20時間ほどになるが、期待するとろくなことがないから、マラケシュで帰りの列車の手配が上手くいき、予定通り日本へ戻れることを目標としよう。

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 ホテルに戻り、自室のテラスから人々の往来を見ていると、カフェの男が私を呼んでいる。本気で呼んでいるから、下に降りると、私の財布を渡してくれた。どうやら椅子に座った拍子に落としたらしい。彼は、財布の中身が全てあるかチェックしなさいとアドバイスをしてくれ、本当に嬉しかった。先ほどは、ぼったくられかと思ったけれど、例えツーリスト価格を払ったとしても財布を届けてくれたのだから、心からお礼を言わなければならない。どうもありがとうございます。

20:15 チェックアウト
 少し安くしてくれるかと淡い期待をしていたが無駄だった。私は今晩の宿泊料金を支払い、宿を後にした。これから夜行寝台列車に乗り、マラケシュに移動するためである。

 大通りに出れば、すぐにプチタクシーを拾えるだろうと思っていたら大間違いだった。プチタクシーはたくさん走っているが、どれも客を乗せている。流しの乗り合いタクシーも拾えない。乗り合いタクシーが拾えないのは、鉄道駅が中心から離れているため利用客が少ないことが原因らしい。

 私は状況を変えるため駅の方向に歩きながら、10台以上を止めたと思う。しかし、一向につかまらないので、6人乗りのグランタクシーを貸し切って(20ディナール)、駅へ向かった。

20:50 鉄道駅にて
 駅の入り口が閉鎖され、入り口に100人ほど群がっている。

 私は状況が分からないまま周囲の人々にチケット見せた。一般の人々がOKと言うので、人をかき分けて入り口に進んだ。閉じられた扉が僅かに開き、私1人だけが通された。とても嬉しかったと同時に、特別な意識を感じた。私はたくさんの人々が見守る中、トイレに行き、キオスクで鶏サンドウィッチを買った(22ディナール)。

 当初は、駅構内で事件があったのか、その影響で列車が運休になったのかなどと心配したが、結局は、事前にチケットを購入していない人々が殺到して混乱するのを防ぐだけだった。それだけのために入り口を封鎖するのは野蛮な気がした。

21:10 プラットホームにて
 係員にチケットを見せると、彼は丁寧に案内してくれた。

 彼は列車の鍵を空け、列車の中に入るように促した。1等車両は1番手前にあった。私は彼の案内にしたがって通路を歩き、部屋の中に入った。ベッドは予約した通り上段だったので、とても満足した。

 同じコンパートメントになったのは、スペイン人の男性、フランス人とネザーランドのカップル。カップルの女性はとても綺麗な人で、近くで見るとより美しい。寝る前、長いおしゃべりを楽しんだ。

 翌朝もコンパートメントの前で朝靄を見ながらお喋りを楽しんだ。「彼女ができると言葉(外国語)が上手くなる」という意味が良く分かった。


上:私のコンパートメント(翌朝写す)。番号は2番なので、随分早くに予約したことになる。

続きをどうぞ!

私の日記 3月31日

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