このページは『モロッコ旅行記 2007春』 2007 march -2007 april です。

ムーレイ・イドリス
2004年3月25日(日)   

15:00 グランタクシー出発


上:緑の絨毯のような風景の向こうに、白い建物が斜面全体に張り付いていた。私は、これがモロッコ最大のイスラム教の聖地『ムーレイ・イドリス』であると直感した。


上:近づくにつれ、小さな丘全体を民家が覆い尽くしていることが分かる。この外観に、旅心をくすぐられた。

15:30 ムーレイ・イドリス到着
 グランタクシーから降りると、何人かの自称ガイドに声をかけられた。私は1人で歩きたかったので、彼らの申し出を断り、街の頂上を目指した。街全体の大きさは、タクシーの中からだいたい掴んでいるので、15分も歩けば頂上にたどり着けるはずだ。


上:グランタクシー乗り場(バス乗り場も兼ねている)から大通りに出たところで、ロバが食事をしていた。狭い路地は車が走れないので、彼らが活躍するのだろう。道はアスファルトで綺麗に整備されている。


上:ほどんど全ての家の壁面は白いペンキで塗られ、街全体に統一感がある。法律ではなく、人々が自主的に白くしているとすれば、住民の連帯感は非常に強いと判断できる。実際、このムーレイ・イドリスの街は、最近まで外国人に開放されていなかったらしい。

 私は、自称ガイド達を無視するように、彼らが指差す方向と違う道を登った。やがて、道は行き止まりになり、街の頂きに辿り着くことはできなかったが、一般観光客が歩かない道で人々と挨拶を交わし、また、生活に欠かせない川の流れ行くさまをじっくりと観察した。


上:写真左上の崖は、この辺りが古い岩盤(地層)からできていることを証明している。


上:行き止まりの道。迫り出した岩盤の上に民家が建てられている。日本の建築基準ではあり得ないと思う。法的な規制はなくても、岩盤を削って無理に道を作ったみたいだから、危険は自主的に回避した方が良いと思うけれど、、、、

 それから、歩いてきた道を戻り、街の中心に向かう細く急な路地を登った。5分もかからず、頂上に出るだろう。

 どこからともなく数人の少年が現われ、道案内を始めた。全く必要無いのに困ったものだ。彼らが話す内容は分からないが、「テラス」という単語だけは分かった。私はテラスに反応したわけではないが、あるレストランに入り、食堂を通り抜け、屋上へ出た。そこからの展望は、ムーレイ・イドリスの街を一望するものだった。


上:中央に見える緑色の屋根の建造物が、街に中心となる宗教施設。河川は、写真左側を流れている。


上:宗教施設『モスク』の一部を拡大したもの。何10枚かの絨毯が敷かれ、2人の子どもを連れた婦人の姿が見える。ここは女性専用の礼拝堂であろう。


上:ムーレイ・イドリスの街と一緒に記念撮影。この近辺のレストランや民家の屋上からは、同じような展望が期待できる。見晴しのよい展望はこのレストランに限らないから、適当な建物のテラスに上がれば良い(もちろん、許可を得てから)。

 コーラを注文し、モロッコの旅、モロッコの人々、モロッコのイスラム教について考えた。

 しばらくすると、私はとても悲しく辛い気持ちになってきた。つまり、この美しい街を形成しているのは純粋な宗教に対するモロッコの人々の心であり、平和に健康に豊かに暮らしたいという願いである。それに対して、私は同じ願いを持っていても、異教徒であるがゆえにモスクに入れない。私は、この街で1番大切なもの、1番美しいものを見ることができないのだ。

 そう思うと、私はとても大きな苦痛を感じ、席を立った。もちろん、これから先、他の街でもモスクに立ち入れないことに変わりはないが、この街は美しいが故に、はやく帰りたいと思った。見下ろしていることも苦痛だった。

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 自称ガイド(少年)は、帰ろうとする私に小銭をねだった。しかし、金品を与えるという質の低い教育をしてはいけない。この街は自立しているし、異教徒も観光客も必要無いのだ。


左上:街の路地。重い荷物の運搬に「ろば」は欠かせない、と書きたいところだが、ろばは見られない。
右上:民家の扉。3つの象徴的な『ファティマの手』が見られる。ファティマはイスラム教の最高予言者ムハンマドの4女で、彼女の手は魔除けの効果があると信じられている。また、全体の形は「手」に見えないが、これは5本の指が左右対称にデザインされたからであり、この他にもいろいろな形に装飾されている。ムーレイ・イドリスは信仰深い街なので、よく探せば、いろいろな『ファティマの手』を発見できるだろう。


上:街の広場を歩く人々。若い女性は、頭髪を見せていることが多い。


上:モロッコ各地から、巡礼に訪れている人々。


上:広場の風景。

 メクネスまでの帰り道は、公共バスを使うことにした。バスの入り口で切符を買い、車内に入った。乗車率7割だった。戒律が厳しい国では、男女の席が明確に分けられているが、ここでは隣に座らなければ問題ないだろう。


上:バスの車内。私は最後部座席に座り、バスの出発を待った。10分もしないうちに出発し、30後にはメクネス市内へ入った。


上:バスが出発する間に撮影した荷物運びの老人。
 彼の仕事は、バスから大きな荷物を持っている人に声をかけ、ロバに背負わせて運ぶことだろう。しかし、このバスから降りてきた乗客は、ほどんとが小さな荷物ばかりだったので、仕事にはありつけなかったようだ。

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