このページは『モロッコ旅行記 2007春』 2007 march -2007 april です。 |
私の日記
2004年3月25日(日)
◎ 世界遺産『メクネスのメディナ』散策==============
午前:メディナ(旧市街)散策
・王宮庭園のゴルフ場
・クリスチャンの牢獄
・ムーレイ・イスマイル廟
・マドラサ・ブー・イナニア
・ジャメイ博物館
午後:ムーレイイドリスの街へGO!
メクネス泊(2日目)
===================================2:30 深夜に起床
移動に時間をたくさん使ったけれど、列車の中は寝ていたので疲れが残っていない。部屋の電気とパソコンの電源を入れ、旅の日記を書く。部屋は寒く、毛布を離せない。指が冷たくなり、動かなくなるまで仕事をする。ベッドの中で虚ろに思うことは、
(1)自分が歳をとった(経験を重ねた)ので客引きもあまり寄って来ないし、言い寄られても簡単に対処してしまう。
(2)仕事のことを思い出して、ぞっとする。===
7:10 朝食
地上階にあるレストランは、とても綺麗で、これまでの肌寒い印象を吹き飛ばすのに十分だった。毎日の掃除が行き届いているので、もう1泊したくなる。朝の挨拶は「ボンジュール」。その意味が「おはよう!」であることを忘れていた。久しぶりのフランス語は忘却の彼方にある。
それからガイドブックを読みながら待っていると、パンとバターとカフェオレが来た。目の前で、カフェとミルクを半々に入れてくれるサービスが嬉しかった。バターとパンの組み合わせが美味しい。
上:本日の朝食。 何人宿泊しているが知らないが、私は1番目の朝食客だった。7:50 チェックアウト
部屋に戻り、パッキングを終えると、すぐにチェックアウトした。今宵は場所を変え、世界遺産のメディナ(旧市街)の中で眠りたい。メディナまでは市バスもあるが、徒歩30分なら歩いていこう。歩き始めると、とても元気な自分に気づいた。小さな荷物を背負い、知らない土地を歩く快感を味わっている。そもそも僕は、「自分は旅好きではない」と思っていたが、今回の旅でその認識を変更する必要がアルかも知れない。「僕は旅が好きなんだ!」 否、頑張って旅をしているうちに旅が好きになってしまった。松尾芭蕉のことは高校生の時から意識してきたけれど、齢を重ねることで旅の深みにはまりつつある。
上:街角で見つけた満開の木。名前は知らない。
上:新市街の交差点。ここには何の変哲もない道を歩く人々と、それを楽しんで撮影している自分がいる。
上:メディナ(旧市街)の入り口から新市街を望む。新市街とメディナの間は低くなっていた。文献を調べていないので断定できないが、低い部分は昔、川が流れていたに違いない。街が繁栄していた頃は、川の豊かな水が人々の生活を支えていたのだろう。しかも、今のように汚染されていないから、さぞかし美しい風景が連続していたに違いない。地図を見ると、現在は「枯川」として記載されていた。
上:メディナの入り口。余談であるが、写真中央に写っている銀色のタクシーは『グランタクシー』と呼ばれる乗り合いタクシーで、これを乗りこなせるようになると、かなり旅行しやすくなる。
上:メディナの第1印象。私がモロッコのメディナ(旧市街)に立ち入ったのはここが最初だった。低い門を通り抜けると、古いレンガの壁が高くそびえ、「ここから迷路に入るんだ!」とワクワクした。私は新鮮な印象を忘れないようにカメラを取り出し、道行く女性の写真を撮った。その行為は、彼女に嫌がられるのではないかと思い、被写体に迫ることはできなかった。メディナ内に入ると、すぐに道に迷った。地図を見ているのに迷った。とても簡単な道が分らなくなっている自分がいた。ただ、メディナの最深部には入っていないので、全く気にすることなく、どんどん歩いた。
9:05 王宮庭園のゴルフ場
たまたま日曜日だったからだろう。王宮庭園の入り口が開いていて、中では地元の人々がゴルフを楽しんでいた。200ヤードまでのショートコース8ホールなので、ゴルフ好きな人なら、軽い運動になって良いと思う。
上:少年の左手にはゴルフグローブ。また、グリーンの奥に見える壁はコンクリートではなく、王宮の城壁である。
上:王宮の城壁にあるモザイクの前で、写真を撮りあう高校生達。彼らは、モロッコ各地から修学旅行に来ている。9:05 クリスチャンの牢獄
ムーレイイスマイル時代、異教徒であるキリスト教弾圧のために造られた地下牢。当時は4万人が収容されていたらしいが、そんなに入れるような広さはなかった。完全には発掘されれていないのであろうか。
上:牢獄の中から地上との出入口を写す。写真にたくさん写っている人は、修学旅行の高校生達。なお、牢獄の中には何もないので、よほど興味がある人以外は入らなくて良い。牢獄の天井にある穴から落とされたゴミを目撃するだらいだ。===
さて、ここでも学生達に「一緒に写真の写って欲しい」と頼まれた。「ここでも」ということは、先ほども頼まれたという意味である。私はここ3日間、ヒゲを剃っていないから申し訳ないと思いつつも、日本人を代表して写った。ここまで来て断る理由は何もない。子供達は嬉々として喜び、フランス語より不得意な英語を一生懸命話してくれた。彼らはとても元気で、太鼓をならして踊り、私を若返らせてくれた。
9:55 ミントティー
テラスのあるレストランでミントティーを待っている。開門時間はガイドブックより、ほぼ30分ずつ遅れているので、時間を潰すしかない。私はお金があるから、けちけちせず楽しく贅沢な旅をしなければならない。高級レストランで高価なミントティーを飲むことが正しい。
さて、私の辞書には「贅沢」という単語はないが、今日ここで初めて登場した。これからの余生は、贅沢について考察してみようか。実は、恥ずかしいことに私は一般的な「贅沢」の意味を知らない。知らないついでに、自分らしい贅沢を作ってみようと思う。
上:モロッコでのミントティー初体験。ミントの香りはするけれど、緑色のミントの葉はない。葉は銀色のやかんの中に入っている。ティーには大量の砂糖が溶け込んでいるので、疲れている身体には良いと思うが、今の元気な自分には甘過ぎる。さて、ほんの15分のつもりが、学生達と写真をとったり、店のおじさんに日本語を教えたりして30分経過。このままだらだらしていると大変なことになるから、すぐに移動しよう。
上:ここでも記念撮影。彼女たちは、見晴しの良いレストランのテラスからの眺望を楽しみ、そして、外国人の私との記念写真をとって大満足の様子だった。レストランのウェイターは、「彼女たちは、君と結婚したがっている」と冗談を言い、彼女たちは笑って「結婚したくない」と言った。これがモロッコのムスリム達の日常会話なのだろう。10:25 ムーレイ・イスマイル廟
ガイドブックには最高の見学ポイントの1つにように書いてあったが、結果は下の写真の通り。私の心を1番惹き付けたのは、中庭にある1つの日時計(写真右列の1番上)。それは、高い壁で完全に包囲され、四角に区切られた空間の壁面(北側)についていた。当時の指導者たちは、差し込む太陽の光の角度によって、正確な時間を人々に伝えようとしたのだ。時間によって生活を区分し、1日に5回礼拝することは、大切な生活リズムになっていたに違いない。学校に例えるなら、キンコンカンコンのチャイムのようだけれど、暑くてだらだらして仕舞いがちな環境においては、とても有効だったに違いない。僕はチャイムは嫌いだけれど、、、
上:廟の入り口。入場料金は0。
右:廟の中庭部分にあたる所にある日時計。これは目立たない構造物なので、気にとめる人はほどんといない。
上:廟の内部にある噴水の前で記念撮影する人々。
上:ムーレイイスマイルの墓石の前で記念写真を撮る人々。
右:この写真で見る限りは、かなり良い感じである。
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12:00頃 昼食
メディア内の小さな食堂で、挽肉のサンドウィッチを食べた。かなり美味で、モロッコで最高の1品に近い。
上:挽肉を小さく丸めて鉄串に刺し、炭火で焼く。火力を上げる時は、写真のように小型扇風機で風を送る。このとき大量の煙りが発生するので、店の天井につけられた大型扇風機2台が連動して動く。大量の美味しい煙りは道に流れ、腹を空かせた人はこの店に入る。私もその1人である。、
私が写真を撮りはじめると、お店のお兄さんは青い服を着た。その時は理由がわからなかったけれど、写真を見直すとお洒落をしたのだった。
また、ミントティーも頂いた。ここのミントティーは、先ほどのレストランとは違い、大量のミントが詰め込まれている(右写真の1番下)。味は、サンドウィッチと共にかなり良い。
料理を食べていると、ビニール袋に挽肉を入れた地元民が訪れ、肉を焼いてもらっていた(3ディナール)。家庭で焼くより、ここで焼いてもらった方が美味しいのだろう。
上:食後の『源氏パイ』。まさに、日本で売っている源氏パイを発見。これは食べたい。値段が分からないので、1ディナール硬貨と交換しようとしたら、店のおじさんは2個くれた。かなり感激。同じパイでは面白くないので、1つはジャムの入りのものに変えてもらった。地元価格が分かったことも嬉しい。12:40 マドラサ・ブー・イナニア
14世紀に建てられたイスラム教の神学校。入場料10ディナールを払う必要があるためだろうか、私の他に誰もいなかった。見どころは少ないが、落ち着いた雰囲気と精密なつくりが気に入った。なお、マドラサとは「学校」の意味である。当時のほとんどの神学校は、ここに限らず宿泊設備を伴う立派なものであったが、現在はこのマドラサと同じように使われておらず、観光客のために開放することで保存修復に努めている。
上:神学校のパティオ(中庭)
左上:回廊から見た神学校のパティオ。 右上:ここに限らず、ネコを良く見かける。13:20 グランモスク(1番大きなモスク)
それからメディナ(旧市街)の中心となるグランモスクを訪問したが、異教徒は入れないので悔しい思いをした。下の写真はグランモスク前でバナナを売っている人である。
左上:写真の背景にあるのはグランモスクの壁で、白い門はその出入り口である。異教徒の私は入れない。
右上:モスクの入り口には、必ず手や足を洗う場所があるが、生活用水としても欠かせない。
上:世界遺産メクネスのメディナからグランモスクを見る(写真中央にある緑色のタイルからできている建造物が、グランモスクである)。13:40 ジャメイ博物館
この博物館は必見である。メクネスの他の全ての建造物を見のがしても、ここだけは見学したい。建物の造りだけでなく、収蔵品も見ごたえがある。
14:30 マンスール門
これは下の写真の通りである。緑色のタイルで装飾されている部分である。
上:有名な門の割には、観光客はいない。===
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===それからムーレイイドリスという街まで小旅行をすることにした。ガイドブックの写真や文章に惹かれたからである。ムーレイイドリスは公共バスで30分の距離なので、バスを使おうと頑張ったが、地元の人はバス停をよく知らないので、私は数カ所のバス乗り場(メクネスの東外れ、マンスール門など)でうろうろいしていた。バスの運転手に何回も声をかけたが、結局、親切な運転手がグランタクシー乗り場まで連れていってくれて、グランタクシーでの出発となった。
15:00 グランタクシー出発
グランタクシーは20年前のベンツで、助手席に2人、後部座席に4人乗る。隣の人と密着するが、比較的快適な乗り物である。私は、景色が良く見える前部座席の窓側になった。片道料金10ディナール。
上:グランタクシーの助手席からみたムーレイイドリスの街。この角度からは大したことはないが、近づくにつれ、街全体の外観の素晴らしさが分かる。
下の文字をクリックして下さい。 ムーレイ・イドリスの街へGO! 18:00頃 メクネス着
バスが市内に入ると、乗客は思い思いに場所で降りていった。私は地図見ていたので、どこを走っているのか良く分かったが、私のホテルとは遠く離れたところが終着地点だった。たくさん歩くことになってしまったが、移動式遊園地があったので、散歩するには最高である。
上:移動式の観覧車。この観覧車は、ぐるぐると何回か回転した後、1つずつ乗客を乗り降りさせる。
上:右上の遊具は気持ちよさそうだった。
上:ロケットのようなものは、どのような動きをする分からないけれど、オブジェではない。
上:屋台も出ているけれど、まだ時間が早いので人がいない。
上:スイートを買ってもらう子ども。19:00頃 夕食
部屋に帰る前に、食事することにした。メクネスの街は、禁酒国であるのにもかかわらずワインの名産地ということなので、是非試してみたい。私は大きなレストランを何件か回った。しかし、結局出てきたとことは、昼に食事を出してくれたとレストランであり、ここでも秘密にしておいて欲しいということだった。
上:オリーブ各種と赤ワイン。赤ワインはフルボトルしかなかったが、店長と交渉して半分だけもらった。新品のボトルを開け、2つのコップに注いでもらった。グラスに雰囲気はないが、サービスとワインとオリーブは満点である。
上:スープが出てきた。ワインで正確な味は分からないけれど、うまい。満足。
上:鶏肉のタジン。鶏肉が美味しかったことは言うまでもないが、最大のポイントはプラム(4つの黒い実)が、ワインにも鶏にも合うこと。
上:デザートのプリン。これまた最高の逸品でした。21:00 ハマム
いったん宿に帰り、貴重品を置き、水中カメラをもってハマムへ出動した。モロッコで初めてのハマム体験で、しかも、かなりローカルなハマム(綺麗とは言えない)だったので注目を一身に集めていたのでカメラを取り出すタイミングが難しかったけれど、かなり楽しみました。
上:ハマムに来ていた青年達と記念撮影。
上:脱衣所で少年達を写す。
上:ハマムの入り口。アラビア語が読める人は、これで十分だと思うけれど、読めない人には全く分からない。入り口から内部が見えるはずがないし、時間によって男女の区別がされているので、ハマムを見つけるのはかなり厳しい。ただし、ハマムは相当数あり、1キロ四方に5、6軒以上ある。
上:メクネスのメディア内のホテルの私の部屋。おやすみなさい。
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