このページは旅行記『イスラエル旅行記2008春』 2008 mar. 22 - apr. 1  です。

私の日記 4日目

2008年3月25日(火曜日) 

◎ 岩のドーム見学、そして、死海へ ==============
午前:岩のドームなどエルサレム旧市街散策
午後:市バスベツレヘムへ移動し『聖誕生教会』見学
 エルサレム(エゲットバス)17:00→ エンゲディー
              エンゲディーのユースホステル泊(1/2)
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0:15 起床
 ホッとシャワーを浴びてから、ロビーへ移動した。そこにたむろしているのは、酔っぱらって尻が半分見える女とタバコを加えた女、そして、1人の異国の男だ。3人とも片言英語なので、言いたいことが良く分かる。

 カメラ画像とビデオ映像をチェックし終わると1時間以上が経っていた。それから2時間ほど仕事をして、再び部屋へ戻った。私は不規則な生活をしているけれど、昼寝もしているしこれといった無理は何1つしていないから大丈夫だ。満足できないのは、ベットの幅が狭くて寝返りを同じ場所でうたなければいけないことぐらいだ。

7:15 朝食
 昨日と同じホスピスに来た。朝食が始まる15分前だったけれど、食堂で準備が整ったものから自分の皿に盛り付け始めた。

上:昨日と同じような朝食


上:嘆きの壁は、男女を区別するための壁がある。この写真は女性側から撮影したものである。

8:55 岩のドーム

写真はありません
 岩のドーム(ムスリムによって入場制限がかけられた区域)の写真は消失しました。残念な気もしますが、ジューディッシュの悲劇を考えれば、データの消失はどうってことありません。これも神の思し召しです。むしろ私は、ジューディッシュと運命を共にしたようで嬉しいのです。

 岩のドームへの入り口はたくさんあるが、非ムスリムに開放されているのは1箇所だけだ。それは、嘆きの壁の西側に作られた木製の通路で、そこを通過するためには長い行列を作って持ち物検査を受けなければいけない。私は25分ほど待った。ようやく岩のドームに辿り着いても、その中にある岩を見ることはできない。理由は私がイスラム教徒ではないからだ(非ムスリム)。これは大きな悲しみである。私はただの好奇心で岩を見物したいだけであるが、ドームを取り囲む壁の外で、祈りを捧げているユダヤ教の人々にとっては悲劇そのものだ。

 日本人である私は穏やかな性格の部類に属すると感じているが、これは許せない。頭の中で整理整頓しようとしても、生理的に許せないものがある。イスラム教の人々は、その岩がユダヤ教の人々にとってもキリスト教の人々にとっても大切なものであることを知っているのに、なぜ、見ることを許さないのだろう。戦争を起こそうとしているのか。私は観光客だからぎりぎり我慢できるけれど、自分の祖先を大切にして生きている人々が可哀想だ。過去の争いの結果だとしても、それを今に引きずっていはいけない。

 自分が何かを信じたいなら、他人が信じていることも認めなければいけない。これと同じことは写真についても言える。ユダヤ教の人々は写真を撮られることをあまり厭わないが、それはカメラマンが己の信念に基づいて撮影していることを知っているからだ。ジューディッシュはいろいろなことを主張するが、それよりも多くのことを他人に対して認めているようだ。だから、嘆きの壁で毎日のように祈ることができるのだ。

 私は、岩のドームをイスラム教徒によって作られた核兵器、あるいは、原子爆弾のように感じた。それは一刻も早く一般に開放しなければならないし、公開することによって逆に、平和の象徴へと一転するだろう。もしかしたら、その歴史的な瞬間に私は立ち会うことができるかも知れない。私は、嘆きの壁で最後に祈ったことは以上の通りである。

 ムスリムが立ち入り制限をかけている区域を出たのは午前10時前だった。わずか30分も見学しなかったことになるが、たくさん考えさせられた。その反面、見るべきものはなかった。丸いドームは金色に塗られて美しいけれど、外見がどんなに美しくても、その精神が狭く閉じられているので私に心には共鳴しない。むしろ、私の心は歪んだエネルギーで汚されてしまった。早々に退散することが私の心を純粋に保つために必要なことだ。

11:30 イエスが産まれた教会があるベツレヘムへの小旅行
 岩のドームでユダヤ人の悲劇に共感してから、ベツレヘムへ向かった。

 ベツレヘムへはバスで30分程の道のりである。旧市街城壁のダマスカス門から、124番のバスに乗った。乗り場が分からなかったので、近くのホテルのフロントで教えてもらった。地元の人は意外に乗り場を知らず、タクシーの運転手が寄ってくるばかりだった。

 バスの中では、前の席に座っている青年に声をかけれた。彼はイスラエルで仕事をしているドイツ人で、今日は母親を連れて『聖誕教会』へ観光へ行く途中だった。彼の話によると、このバスはベツレヘム市内へは行かず、近郊のボーダーを通過するだけなので、ボーダーからタクシーを使う必要があるそうだ。親切な彼は、不案内な私に声をかけ、一緒にタクシーに乗ろうと誘ってくれたのだ。

 ボーダーにつくと、彼は迷うことなくゲートに向かって歩き始めた。もしも私1人だったら、近くにいる人に尋ねなければならないし、たくさんの時間のロスをしただろう。高さ4〜5メートルあるコンクリート・ゲートの中に入り、完全に囲まれた狭い鉄柵の中を100メートル以上進み、1人ずつパスポートチェックを受け、金属探知機で検査された。彼の話によると、ここの警戒レベルは3段階のうちの最高レベルA、だそうだ。確かに、飛行機で空港からイスラエルへ入国する時よりも緊張感があった。何しろ、完全に囲まれた鉄柵だから、身動きが取れないし、ライフルをもった係官が私の頭上の鉄柵上を巡回していた。何らかの事件があったら、私は逃げ道がない柵内を走るか、身を屈めることしかできかできない。


上:後ろのコンクリートの壁がボーダー(帰りのタクシー中から写す)。1人で来たら、この壁のどこに入り口があるのか、つまり、この壁の中に入る場所があるのか分からないだろうし、わかったとしても、100メートル以上続く鉄柵の中を1人で歩くことは抵抗があるだろう。ディズニーランドのアトラクションへ入場するのとは違う。

 ボーダーを超えると黄色いタクシーが待っていた。3、4人のタクシー運転手に取り囲まれ、ベツレヘムを含む近郊の遺跡巡りへ行こうと誘われた。かなり強烈なアピールだったから、ベツレヘムでの乗客はとても少なく、本当に生活に困っているのだと思う。一方、ドイツ人の彼は、「教会までの片道でよい」「30シェケルは高い。20シェケルじゃないとダメ」と主張し続けた。どの運転手も浮かない顔で「ダメダメ」と言っていたが、しばらくして1人の運転手が立候補した。どうもありがとう。

 タクシーの中では、運転手が「帰りも迎えに来る」「待っている時間のお金はいらない」と言い出した。実際、帰りもタクシーが必要なので、私たちは彼にお願いした。運転手にとっても私たちにとっても僅かなお金の移動であるが、ベツレヘムにおいては貴重な金銭なのだろう。

13:00 聖誕生教会
 聖誕生教会の外観はこれまで見学してきた教会に比べて立派だったが、入り口はとても小さく、身を屈めて入らなければならなった。まるで、日本の茶室に入る侍の気分だった。


上:入り口を入ると、広い礼拝堂が広がっている。画面左手に人が集っているのは、床のモザイクを見学するためだ。そのモザイクは、現在の床の下2メートルほどのところにある。つまり、昔の床はもっと低いところにあったのだ。


上:礼拝堂の壁面の上に、昔のモザイクの一部が残っている。かなり良い感じ。また、木製の天井にも注目したい。


上:聖誕生教会の祭壇。この地下に有名な星形の祭壇がある。地下に入る入り口は左右にあるが、礼拝したいなら左側の行列に並ばなければならない。私は出口にあたる右側から入り、人々が礼拝する様子を見学させて頂いた。


上:中央に穴が空いた星形が見えるだろうか。この地下にイエスが生まれた洞窟がある。

 私が撮影していると、ドイツ人の親子もやってきたが、何と彼らは礼拝しなかった。クリスチャンではないのだろう。そんなことなら私と同じように右側から入れば良かったのに、と思ったが、彼らは人間としてのマナーができている。どうもすみません。


上:教会の中庭。

 これで教会の見学はお終い。1時間に満たないものでしたが、心に残る時間だった。


上:生誕生教会の近くから眺めたベツレヘムの街。


上:教会付近の路地。不思議なことは、休日でもないのに教会付近の商店の80%近くが閉まっていることだ。深刻な不況なのだろうか。心配だ。


上:ベツレヘム(アラブ人地区)とイスラエル国を区別する壁。


上:この壁には平和を願う人々の絵が描かれている。


上:写真中央の壁に、2つのソファーにはさまれた四角い窓(左右にカーテン)があるのがわかるだろうか。この絵は有名が画家が描いたものであるが、何ものかによって、窓の中に描かれた平和のメッセージが消されてしまったらしい。どうしてそのようなことをするのだろう。この世には、平和を愛する者とそれを破壊する者がいる。


上:ボーダーの中には広い駐車場がある。たくさんの大型車が順番待ちをするのか、それとも軍用車が停まるのか、、、あああ。


上:ボーダーの中。画面の右手にある倉庫のような建物は、間が検査を受ける場所である。この中には長い鉄柵がはり巡らされている。


上:この回転扉を入ってから、右手にずうーっと歩いていき、それから検査を受ける。そうそう、私はこれらの建物は撮影禁止だと思っていたが、ばんばん撮影して良いことが後から判明した。もちろん、ライフルを持っている人がいるから、笑顔で撮影する気にはならない。


上:帰りのバスの中で。私は切符を持っている。4.5シェケル。帰りはアラブバスだったので、料金が安かった。

14:00頃 エルサレム着
 旧市街のダマスカス門前に帰ってきて、ほっと一息。このように書くとアラブ人地区は危険なように勘違してしまう人がいるので加筆しておくと、危険な地区はどこにでもあるし、アラブ人地区は物価が安いぶんだけ人情が厚いと考えて良い。これは後日、危険と噂されていたアラブ人地区『ジェリコ』で確認できた。


上:ダマスカス門前で。


上:同上。

14:30 遅い昼食
 ダマスカス門から旧市街の路地に入って見つけた小さな食堂で食べた。非常に美味しい鳥肉だった。


上:通常は2本ずつ注文するが、私は無理をいって1本にしてもらった。

 それから、ヤッホ門にある自分の宿まで歩き、預けてあった荷物をもらい、市バスで中央バスターミナルに向かった。

 中央バスターミナルでは、建物に入るために荷物検査を受けるために並んだ。私は大きな荷物を持っているので、専用の入り口へ回った。建物内は食堂付きのショッピングセンターのようだった。私は切符売り場で、午後5時発エンゲディー行きの切符を購入した。

 それから、エンゲディーの宿に電話をした。バス停からの歩き方を確認したいからだ。誰もいない夜道を当てもなく歩くのは考えられないからだ。さて、電話をして吃驚したことは、私が日本から持ち込んだガイドブックの電話番号が違っていたことだ。実は、ヤッホ門のインフォメーションセンターで宿の予約をしてもらったので、その時は何の問題もなかったが、今度私が電話した時は、違う宿にかかっているのだ。エンゲディーには2つの宿しかないが、その距離は2km以上離れており、しかも、そのうち1軒は予約がいっぱいなのだ。最終的には事なきを得たが、乗車前に右往左往した。

17:00 エルサレム発
 なんとバスは満員で、私は通路に座ることになった。もちろん、立っていても良いが、疲れているので降車口の階段を利用して座った。私と同じように席がない人が他に数人いたが、その内の1人は軍服を着た青年で、彼は通路に仰向けになって寝た。ちょっと間違えば靴で顔を踏まれるような体勢である。

18:30頃 エンゲディー着
 ここで降りたのは私1人だった。宿の明かりは見えたけれど、さっき電話で確認しておいた良かった。


上:バスで降ろされた場所。

 今晩の宿は、エンゲディー・ユースホステル。その名の通り、小学校中学年の子ども達が走り回っていた。


上:ベッド5つのドミトリー。シングルルームなどは完全に満室だった。

19:30 夕食
 子ども達が全力で食べている中、負けないように食べた。

上:まるでスクールランチ。

20:30 消灯

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