このページは旅行記『イスラエル旅行記2008春』 2008 mar. 22 - apr. 1  です。

私の日記 7日目

2008年3月28日(金) 

◎ ナザレ市街散策、ガリラヤ湖へ移動 ===============
午前:ナザレ散策
 (1)受胎告知教会
 (2)聖ガブリエル教会
 (3)青年イエスの家
 (4)旧市街とその周辺
 ナザレ(エゲットバス)→ ティベリア
夕方:ガリラヤ湖畔散策
                        ティベリア泊(1/2)
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6:00起床
 窓を開けると外は太陽で明るくなっていた。温かいシャワーを浴び、ゆっくり荷造りをした。今日の午前中はナザレの市内観光、午後からティベリア湖に移動する予定である。明日はシャバット(休日)なので交通機関が止まってしまうから、それまでに湖へ移動し、休日は自転車を借りて湖畔をサイクリングしようという作戦だ。

7:00 朝食
 フロントで朝食を食べたいと申し出ると、食堂に電話をかけてくれた。私は朝食の予約をしていなかったのである。フロントの女性は「あなた1人なら大丈夫よ」
と微笑み、今日からサマータイムが始まるので、時計の針を1時間進めるように教えてくれた。

 今は午前8時、季節は夏になった。


上:簡単な食事に見えるけれど、この焼き立てのパンは最高級に美味しかった。パンは焼き立てに限る。表面の白胡麻も香ばしい。

 食堂係の女性は片づけをはじめていた。たくさんあるテーブルは無人で、その上は食べ終わった皿が残されていた。すべて宿泊客は食事を終えているようだ。私の「7時は早すぎる」という予想は逆だった。ナザレは巡礼者の街で、とても生活習慣がしっかりしていると感じた。食事係の女性は「遅いわ」と私に注意したが、丁寧に席を用意し、準備を整えてくれた。

8:40 受胎告知教会
 この教会はナザレの中心にあるだけでなく、特徴のある大きな天守堂を持っているので、市内の小高いところにからは、その大きな外観を見逃すことはない。

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左上:教会入り口付近にある扉の1つ。一番上の彫刻は『蛇にそそのかされる楽園のアダムとイブ』。
右上:ギリシャの聖母子像。ここは受胎告知教会だけあって、この他にも世界各国の母子像があった。


上:受胎告知教会の礼拝堂の中。この後、巡礼者の団体が来たので、一般観光客はこの位置に入ることができなくなった。何もなければ、正面ある祭壇の前までいくことができる。
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上:世界各国の『母子像』がある。一番左は日本。
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上:聞き覚えるのある言語だなあ、と思って近づくと、牧師が日本語で説教していた。


上:地下にある、、、

10:00 聖ガブリエル教会
 昨夜、ツーリスト・インフォメーションでもらった市街地図にしたがって旧市街を10分ほど歩くと、この教会に辿り着く。正式名称は『受胎告知教会』なので、先に訪ねた受胎告知教会と混同しないように『聖ガブリエル教会』と言うことが多いようだ。


上:聖
ガブリエル教会の正面


上:教会内部にマリアが使った井戸がある。なお、この教会を出て南東へ徒歩100mの位置にある『マリアの井戸』はプレートが外され、大変汚れた状態になっていた。

 聖ガブリエルを訪問した後、青年イエスの教会へ向かった。それに至る道はかなりの急斜面で、息を切らしながら登った。

右:旧市街から青年イエスの家にいたるまでの坂道。その途中にある教会。この入り口には、流れ星のネオンサインがあるので、夜は綺麗だろう。教会の名前はチェックしなかったが、『マロニテ教会』だと思われる。

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11:00 青年イエスの家
 
青年イエスの家は一般観光客が訪問する場所ではないようで、大きな鉄製の門の入り口で、「何をしに来た」と質問された。どうやら、子どものための学校になっているようで、教会も開放されいない。私は、せっかく長い坂道を登って来たので「ナザレを見渡す写真が撮りたい」と言って、入場させてもらった。


上:青年イエスの家から見たナザレ旧市街(手前)、受胎告知教会(中央)、ティベリア湖へ向かう国道(上)。

 これで予定していたキリスト教に関係するナザレ観光が終わり、旧市街を散策を残すのみとなった。私は、登ってきたときと同じ道を降りた。

11:30 旧市街とその周辺
 旧市街は非常に狭く、南北は10分、東西は数分で歩くことができる。


上:旧市街の周辺
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上:旧市街の周辺の民家

上:旧市街にあるナシゴーグ教会

上:旧市街周辺でみつけた民家の壁


上:旧市街の中心にある青空市場
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上:旧市街中心にある青空市場とモスク

上:旧市街の風景

上:ニンニクを選ぶ男性


上:旧市街の中心部にある青空市場


上:旧市街の中心部にある青空市場


上:子どもがねだる本を選定する母親。

12:00頃 甘い昼食
 
ナザレのメインストリートで適当なレストランを探しているうちに、行列ができているお菓子屋さんを見つけたので、昼食はスイートに決定した。私の人生で初めてのことかも知れない。


上:とても繁昌している店で、3つあるレジにも行列ができていた。今朝作ったばかりのお菓子は、30〜50種類あった。


上:私が選んだ4つのお菓子と炭酸水。とても甘いけれど、お腹が減っているのでうまかった。食後には、エスプレッソを頂いた。

 食事を終えると、宿に戻り、荷物を受け取り、バス停へ向かった。


上:イスラム教徒達が、正午の礼拝を始めた。私がカメラを向けると、そのうちの1人が私を追い払った。いつもは、軽く受け流す私だが、ここではムスリムの閉鎖性を感じてしまった。

13:00 バスが来るはずの時間
 理由は全く分からないが、バス停で2時間半待った。ナザレから北へ向かう道はここだけであり、シャバットが始まる金曜日の特別時刻表を見たはずなのに変だ。私の他にも5、6人の客が待たされていたから、現地の人も分からない理由があったに違いない。とにかく、たくさん待ったけれど、バスが来た時は嬉しかった。


上:長い時間待たされたバス停。始めの1時間半は日陰なのでよかったが、午後2時半を過ぎたあたりから太陽が当るようになったので、近くの店でミネラル水を買い、その店先の椅子に座った。1分で飲み干すはずが、バス停が見える位置だったので65分になった。ちなみに、ここの水は4シェケルだったけれど、場所代と思えばただみたいなものだ。とにかく、このバス停は思いで深い場所になった。


上:ナザレの市バス。

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上:ナザレのマンホール

15:35 ナザレ発
 待ちくたびれてしまったからだろう、バスの中は良く眠った。私の他の乗客も寝ていたから、神経をすり減らしてバスをチェックしていたことが窺われる。

16:30 ティベリア着
 バスに乗っていたのは1時間足らずだったけれど、待ちくたびれて眠りこけてしまった。気がつくと、車窓からティベリア湖が見えた。ちょっと感動。


上:バスの車窓から見たガラリア湖。

 予定していたホステルはホテルに格上げになって、予定価格の約5倍、シングルルーム210ドル(シェケルではない)になっていた。それからほど近いホステルに飛び込むと、4ベッドのドミトリーをシングル扱いにして125シェケルにしてくれたが、空気が暑苦しいので取りあえず断った。次に、ツーリスト・インフォメーションへ向かったけれど見当たらない。シャバットで閉店してしまったのだろうか。

 結局いろいろ歩き回って、ティベリア市街南外れのホステルに決めた。そこは、130シェケルで、大通りに面したテラスで、掃除が行き届いていないところだった。ちょっとよごれているけれど、先ほどの宿へ引き返すまでもないので、ここに決めた。とにかく、ここティベリアは、私が持ってきた6年前のガイドブックとは大きく様変わりしていた。


上:ホテルの外観(翌朝写す)


上:私の部屋。ダブルベットで、清掃は行き届いていない。


上:テラスから見た風景。ちらっとティベリア湖が見える。

 荷物を部屋に置き、ティベリア湖畔散策にでかけた。完全に観光地化されていて、自然を感じることはできなかった。ビールを飲むしかない。


上:遊覧船。


上:湖畔のレストランで乾杯。


上:船の舳先にイスラエル国旗とアメリカ国旗が掲揚された。


上:カイツブリの仲間。


上:変更フィルターを使うと、ものすごい量の魚群が見えた。明日は、この魚を食べよう。『聖ペテロの魚』という愛称で観光客に人気があるらしい。


上:テラスで夕食。ビール、
ツナ缶、ポテトチップス。かなり侘びしい夕食であるが、手頃なレストランを通過してしまったことと、自分が抱いていたティベリア湖のイメージの違いが、このような夕食の形になって現われた。

19:45 どうでも良い話だけれど、隣のテラスのカップルが接吻を始めた。勝手にしてもらっていいけれど、わずか2メートルの距離は短すぎるし、チュッチュという音が耳障りである。まあ、それは我慢できるとしても、今度は、彼らの友だちのカップルが合流して、さらに喧しくなった。2組のカップルはテラスにバックギャモンを持ち出し、タバコを吸い、酒を飲みながら対戦をはじめた。静かなわけがない。あー、最悪だ。一時退散しよう。

23:56 起床
 真夜中に起きてしまった。隣のテラスが爆発している。

 さっきは酒の勢いがあって眠れたけれど、今度は無理だ。奇声を上げ、手を打鳴らすといった、過った手段で放出されるエネルギーを数メートルの距離で受け止め続けるのは、もう無理。この部屋は大通りに面しているので、車の騒音も気になり始めた。普段は相当量の車でも大丈夫なのに、抵抗力がかなり減退している。

 私は財布とマックを持ち、散歩に出かけた。夜食でも食いながら、日記を書こう。午前2時になれば彼らはダウンしているだろう。

続きをどうぞ!

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