このページは旅行記『イスラエル旅行記2008春』 2008 mar. 22 - apr. 1  です。

私の日記 8日目

2008年3月29日(土曜日)シャバット

◎ ガラリア湖畔のサイクリング ==================
 (1)ヤルデニット(イエスが洗礼を受けた場所)
 (2)デガニア(ユダヤ人居住地)
 (3)ガラリア湖で泳ぐ
 (4)ハマット・ティベリア国立公園
                             ティベリア泊(2/2)
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0:00 深夜のティベリア湖畔散策
 財布とMacを片手に湖に向かって歩き始めたが、たくさんの人々が歩いている。

 午前0時を回ったのに、あちこちの店からビートが効いた曲が聞こえる。小さなスピーカーから無理な音量を出すので、大変耳障りだ。音量の割に客が少ないのは、音が悪いことも原因のような気がする。ここは喧噪の湖畔。まるで私の予想を覆す悪魔の時空間だ。あー、だから旅は止められない。休日前のイスラエル人は、宗派に関係なく弾けてしまうのか、それとも、弾ける人種がここに集まって来るのか。とにかく、私は場違いなところに来てしまった。/ 場違いと言えば、普段の生活でも同じようだが、、、

1:40 不味い夜食
 寒くなって来たので、宿の近くまで移動し、小さな店で調理パンとコーヒーを注文した。その店先には、傾いた机が1つ置いてあるので、そこで時間をつぶす作戦だ。本当は、高級ホテルのバーで優雅な時間を過ごしたいのだが、ホテルの門は閉じられ、フロントは真っ暗だ。大型ホテルの宿泊客は、ホテル内の施設で十分に満足できるし、ホテルも外来客を入れる必要はあるまい。

 ところで、夜食のパンとコーヒーは本格的に不味かった。21シェケル(600円)も高すぎる。とにかく不味すぎる。と、不満一杯で私のホテルのテラスを見ると、隣の部屋の若者達の姿が消えていた。まだまだ100%安心はできないが、安らかに眠ることができる可能性が見えてきた。早く帰ろう。

2:05 消灯
 彼らのテラスには宴のボトルが転がっていた。「未成年の分際で」と叫びたいけれど、彼らにとって思い出の1ページに違いない。私は、私の形で刻むことにしよう。

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8:00 朝食
 宿泊料金には朝食代が含まれていた。私は、隣の大型ホテルの食堂に移動した。そこの食堂はかなり豪華な雰囲気を出しているけれど、昨日の古いパンを出しているから大したことはない。

右:赤ワインを少々頂いて御機嫌な雰囲気を出してみた。

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9:30 サイクリングスタート
 宿で自転車を借りて、ガラリア湖畔のサイクリングに出発。走り初めは楽しかったけれど、すぐに飽きてしまった。これは一体なんだろう。


上:ティベリア市街を南から望む。


上:カヤックの練習をしていた。


上:ガラリア湖南端『ヤルデニット』への標識。湖畔道路も、普通な感じ。

11:00頃 ヤルデニット
 ここは『イエスがヨハネから洗礼を受けた場所』である、と言われている。新約聖書を読んだことがことがない人は意外に思うだろうが、イエスはヨハネからここで洗礼を受けたのである。


上:シャバットだからであろう、たくさんの信者が訪れていた。ここはティベリア湖の水が流れ出すところであり、ヨルダン川の始まりでもある。


上:洗礼を受ける、あるいは、イエスが洗礼を受けた場所の水に浸る信者(中央)。左右にいる2人の男性は、中央の信者の鼻をつまみ、後ろ向きにして頭を水没させるようにして水に浸した。順番を待つ信者や、洗礼を終えた信者達は、皆陽気に歌を歌っていた。

12:00 デガニア
 ヤルデニットの近くにある『農場みたいな所』を見学した。休日だったので敷地内にある博物館が閉まっていたので詳細はわかならいが、1910年に作られたユダヤ人の住居らしい。


上:農園みたいな場所で記念撮影。私の服装はマウンテンバイクに合わないが、日ざしが強いので仕方ない面もある。ヘルメットは法律で着用が義務付けられている。警察のパトロールカーは多く、10分に1回の割り合いですれ違うので脱いでいる暇はない。


上:とても小さな戦車。1948年、ここでシリア軍と大きな戦い繰り広げれらた。

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上:博物館の入り口付近にあった農具。木の裏側には無数の石(チャート)からできた刃物がついている。

13:00 ガラリア湖で泳ぐ

上:私のガラリア湖のイメージ


上:子供達が遊ぶ。


左上:その湖に入って写す。火照った身体を冷やのには良いが、綺麗な水とは言い難い。見ている方が良い。
右上:さっぱりした。


上:砂ではなく、小さな貝殻の浜もある。


上:溶岩の浜もある。

13:30 昼食
 サイクリングの汗を流したところで、お約束の魚を食べることにした。


上:聖ペテロの魚と呼ばれている料理。私の手のひらと比べれば分かるように、予想以上のおおきさに吃驚。ただし、淡水魚の例にもれず水臭いので、レモンを絞らなければ食べられない。さらに塩も自分で振り掛けなければいけない。私が注文した店はカレー味だった!


上:ぺロッと頂いた。日本人としての見せ所である。


上:昼食を頂いたレストラン。


上:白い鳥はサギの仲間。注目して欲しいのは、左と右上にいるカラフルなカワセミの仲間


上:さっきとは違う遊泳場所。ガラリア湖はどこでも泳げるわけではなく、遊泳場所が決まっている。決まっているといっても、監視員がいるわけでもなく、自分で責任を取らなければいけない。


左上:愛犬と戯れるイスラエル人。
右上:ハマヒルガオの仲間。


上:私の足。湖には2回入ったが、水は臭く、とてもお勧めできるものではない。

15:00 ハマット・ティベリア国立公園
 昔の温泉保養地であるが、現在でも温泉が沸き出し、国道を挟んたところにある豪華温泉プールの源泉でもある。


上:モザイク発見。


上:温泉が噴出するところ。

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16:00 ティベリア・スパ
 それから、目の前にある温泉プールに入ろうとしたら、16時45分閉店だった。たったの45分間では着替えている間に終わってしまうので諦めた。少しだけ残念だったかも知れない。67シェケル。

 気を取り直して、サイクリングスタート。とはいっても5kmも満たない距離で市内に入ってしまう。


上:古いユダヤ人墓地からティベリア湖を望む。


上:ティベリア市街の中心、考古学公園の中にあるツーリスト・インフォメーションセンター。休日なので閉まっている。


18:00頃? 夕食
 昼食をたくさん食べたので、マックに挑戦してみた。


上:マックの店内。白人の子どもがポテトフライを美味しそうに食べていた。

右:現在の気圧から、ティベリアの『標高』を示すオブジェ。赤い電光掲示板の数字を見ると、-212.20mを示している。つまり、海面より約210m低いということだ。
 また、水色に縁取られた空間はガラリア湖、上下の割れ目はいずれもヨルダン川をを示している。私は今、電光掲示板の位置『ティベリア』にいて、今日は南端のヨルダン川までサイクリングした。そこは、イエスがヨハネから洗礼を受けた場所『ヤルデニット』である。

 なお、北端のヨルダン川の西側にある『ゴラン高原』は、今回の旅では訪問時間をとれなかった。

21:10 スポーツ用品店で洋服を買う
 プーマの長そでと半そでの2着を購入した。長そでは40%オフで、半そでは定価だった。さて、レジで会計を済ませると、店員の女性が質問した。「ユダヤ人についてどう思いますか?」彼女は、私が日本人であることに興味を持ったのだろう。私は「世界でもっとも平和を愛する人々の1つだと思います」。彼女はとても満足そうな顔で「私はロシアから来たユダヤ人です」と言った。私は「ユダヤ人はたくさんの血が混じっているので、美しい人ばかりですね」と答えた。これはお世辞ではなく、私の本心である。気持ちよく握手をして別れを告げた。

21:45 昨日と同じ商店でパンを買う
 昨日は値段を聞かずにレジに持ち込んだので、不味いパンに15シェケルも払ったが、今日はしっかり確認して美味しいパンを1シェケルで購入した。店員は昨日と同じ女の子なので、用心したのだ。その他にビールも購入しようとしたが、21シェケルというので止めた。金額を確認してからでないと、彼女は自分のポケットに入れてしまうのかも知れない。疑うのは良くないけれど、危ない危ない。結果として、値札がついている粉末コーヒー(9.9シェケル)を購入した。

22:00 日記を書く
 日記を書いている途中、昨日ナザレで買ったTシャツを置き忘れたことに気づいた。試着して一目惚れしてしたUS60ドルもするティンバーランドの新製品の水色のVネックのTシャツだ。この事実を発見した今、もう、明日の旅のスケジュールはどうでもよくなった。忘れたからではない。自分の旅に対する情熱を再確認したからだ。自分が気に入ったもの(大切なもの)を失った時は、残されたもの客観的に比較できるが、私は旅よりも、これまでの自分が着たことがない水色やVネックの服を着ることのほうが刺激的であるという事実だ。これを発見した私はショックを隠せない。されに、日記を書くことも飽きてきていることも事実がある。私は旅そのものより、日記を書いて発表することの方に興味がある。だから、日記を超えた新しいスタイルを創らなければならないだろう。HPの日記は、写真をたくさん張り付けたり、リンクを張れるという2点において、優れた手法であるが、そろそろ飽きてきた。旅以外の分野での出版も考えているけれど、自分の中におけるその限界性をすでに感じている。

22:15 土曜日の夜
 今宵はとても静かだ。目の前の通りの車は途切れることなく走っているが、昨夜のような狂乱は感じない。その痕跡は、隣のテラスの椅子の上に残されたタバコと、そのタバコの火で溶けたプラスチックの座席だ。火事になることはないと思うが、私はこんな汚い客が来るようなホステルの経営はしたくない。同じように、汚い子どもが集まる学校でも働きたくない。とにかく汚いものは良くない。きれいに掃除が行き届いていることが人間にとって一番大切なことではないかと思う。汚れるままに放置しておくことは、私には許せない。そう、昨日の乱痴気騒ぎも人間の汚れそもものと言える。

22:21 アラビック・コーヒー
 さっき、隣の店でアラビック・コーヒーの粉末を溶かして飲んでみた。うまい! これは、とても細かく惹いた豆に湯を注ぎ、数分間そのままにしておき、粉末が下に沈んだころに飲む、というものだ。私は小さじ3杯程度を入れるから、濃いめのコーヒーが出来上る。日本にいるときと同じペースで飲むと、胃腸が壊れてしまうだろう。それでも美味しいから、すでに3杯目を飲もうかとわくわくしている。ちなみに、こんなに遅い時間に元気なのは、昼間と夕方の2回、うたた寝を楽しんだからである。基本的に夜は好きではない。

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