このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19  です。

私の日記 初日
2008年7月19日 土曜日           
                      
◎ 名古屋からメキシコシティーまで旅行 ==============
自宅(タクシー)→ 金山(名鉄)→ セントレア空港
 15:45 名古屋発(ユナイテッド航空 UA830便、9時間35分 NON STOP)
 09:20 サンフランシスコ着  11:09発 (UA821便、4時間24分)
 17:33 メキシコシティ着
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 アメリカの飛行機は、もう乗らない!

 どんなに安くても乗らない。アメリカで乗り継いだり、アメリカ経由にしない。その理由は、今回のサンフランシスコでの国際線乗り継ぎの事実を記せばわかる。

アメリカでの『乗り継ぎ』
 私はアメリカに入国する必要がなかった。目的地はメキシコだからだ。しかし、アメリカは、私に高い入国税を払って入国することを強要した。そして、私の両手の人さし指の指紋を取り、眼鏡を外して顔写真を取り、私のパスポートに入国スタンプを押した。そして、機内に預けた荷物を引き取りらせ、税関で審査を受けさせ、すべての荷物を持って国内線出発ロビーを歩かさ、再び機内に預ける荷物を預け直させた。そして、係員は、どこにも表示がない国際線91番ゲートに行くように指示した。ここは国際線ではなく、国内線ロビーなのだ。どうやって国際線ロビーに行け、というのだ。ここはアメリカ国内だから、出国審査が必要だろ?! 私と同じように困まっている乗り継ぎ客はたくさんいて、国内線3番ターミナルで何人も質問していた。もし、自分で係員に質問しなければ、永遠に分からないまま乗り継ぎに失敗することになる。英語が不得意な人や、乗り継ぎ時間がギリギリの人は、本当に失敗する。/ 事実、私はメキシコから名古屋に帰国するとき、乗り継ぎに失敗した。名古屋に帰る便は、翌日までなくなった。第1原因は、メキシコでの出発が30分遅れたこと、第2は、私がキューバに旅行したことだ。しかし、いずれも私に責任はない。全ての責任は、アメリカの航空会社とアメリカ政府の政策とアメリカの役人の対応にある。/ さて、サンフランシスコの国内線ロビーにいた私は、案内係のおばさんに説明してもらい、小さな扉から出発ロビーの外に出て、貨物用のようなエレベーターに載り、約40人の乗り継ぎ客と一緒に小さなシャトルバスに乗った。バスを降りた場所は、ジェット機の騒音とベルトコンベアーが動く音が入り交じり、暑く、排気ガスの臭いがした。私達の頭上には、機内に預けた荷物を運ぶベルトコンベアーが延々と続いていた。私は、空港の裏側を見学ツアーに参加しているのか、あるいは、強制労働させらるのか、と思った。他の客と一緒に、頭上から落下物にしようと話ながら、作業用通路以下の道を歩き、最後に、するりと国際線ロビーに入った。そこは、空調され、高い天井から明るい電気がともされた綺麗な『国外』だった。一体、私は何をしたのか、何をされたのか、これ以上詮索しないが、このシステムはサンフランシスコに限らず、アメリカ全土で当てはまることらしい。私は、裏口からアメリカ国外に出国したが、これもテロ防止の一環なのだろう。


上:サンフランシスコ空港の国際線出発ロビーから写す

 それから、サンフランシスコ・メキシコ間では食事がなかった。午前11時に搭乗して4時間半機内に座っているのだから、誰でもお腹が減るはずだ。機内で配布すれば、全員が食べると思う。私は7ドル支払ってサンドウィッチを購入したが、気分は優れない。ただ、アルコール類は有料だったお陰で飲まずに済んだ。全く不機嫌な空の旅だった。


上:7ドルの昼食

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上2枚:メキシコシティー上空/ 右の写真のには、茶色のピラミッドが写っている。

17時半 メキシコ着
 メキシコ空港は、日本の空港のように感じた。スペイン語を勉強していったからだろうか。案内表示を見ても、行列を作っている人々の会話を聞いても、日本と同じような感じがした。

 入国スタンプを押してもらい、荷物を受け取るまでの間に、銀行でUS100ドルを両替した。1018ペセタを手に入れた。初めてのお金にちょっと感激した。最後のゲートを出ると、そこには1人の日本人男性がいた。実は、サンフランシスコからの機内で隣の席になった日本人女性の弟さんが迎えにきていたのだ。私は彼らと一緒にタクシーをシェアしようと考えていたが、タクシーは1ヶ所しか行かないというので諦めた。もちろんの規定料金125ドルに追加料金を支払えば良いと思うが、面倒な交渉はしたくないし、弟さんが地下鉄なら2ペソで安い! と勧めてくれたので、地下鉄にチャレンジすることにした。


上:空港を出たところ。
 この広い空間をてくてく歩き、突き当たり『1番通路』を出て、さらに100mほど歩くと、地下鉄入り口がある。まあまあ歩くけれど、慣れれば悪くない。タクシー乗り場まで歩き、長い行列に並んでタクシーに乗るより、20円の地下鉄の方が速いかも知れない。ただ、安全とは言えないし、地下鉄構内での乗り継ぎは面倒だから、微妙なとろこもある。ちなみに、タクシーは2500円の固定料金(市内中央)。

 地下鉄の乗り口までは1kmほど歩いたように思うが、まったく退屈しなかった。警察官を見つけては、「ドンデ・エスタ・プエルタ・デ・メトロ?」と話しかけたからである。実はこのスペイン語の意味は「地下鉄の扉はどこですか?」になるので少しおかしいのであるが、誰もが素直に教えてくれた。何を言っているのか1/10ほどしか分からなかったけれど、ガイドブックを見ずに会話が通じたことが嬉しい。その他にも、いくつかのスペイン語を使って話しかけてみたので、どきどきワクワクした時間だった。


上:地下鉄乗り場への階段。
 この写真はとても美しく写っている。

 初めての地下鉄は、待ち時間5分程度だったと思う。よく発達している。


上:メキシコシティーの地下鉄

 車内で驚いたのは、物売りがたくさいんいることではなく、その商品であるCDやDVDが車内で良く売れることだ。私が見てた限りでは、3人の物売りが乗り込み、4枚が売れた。ただ、1枚10ペソ、20ペソは安過ぎる(これは違法コピーかも知れないので、これ以上の記述は控える)。


上:地下鉄『イダルゴ駅』構内のお店。
 こっそり写真を撮ろうとしてカメラを構えたら、店長が親指を立てて微笑んだ!


上:駅を出て、徒歩5分ほどのところにあるサン・フェルナンド教会では、結婚式が始まるようだった。

19:00 チェックイン
 宿は、結局、日本人が多く集まる日本人宿『サン・フェルナンド館』に決めた。こんなことなら、空港で出会った人と一緒にタクシーを使っても良かったけれど、地下鉄で貴重なメキシコ体験ができたので十分に満足している。


上:ドミトリーのような部屋を1人で使った。
 シングルルーム扱いで15ドル/日。現地通貨で払うと170ペソなので、アメリカドルで支払った。

20:00 夕食
 夕食は、地下鉄乗り場の近くにある屋台で済ませた。2つの店で、タコスを食べた。食べ慣れない味だったけれど、うまいと思う。そのうち、たくさんのタコスを食べれば、十分な判断ができるようになると思う。ビールは、近くのスーパーで購入した。12.5ペソもする黒ビールはとても美味しかった。ビールは日本でもよく飲んでいるので微妙な味の違いが良くわかる。

上:地下鉄『イダルゴ駅』前に並ぶ小さな店。どこの地下鉄の駅の前にも、同じような店、タコスなどを売る店がある。
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上:さっきとは違う教会。ここではミサが行われていた。


タコス屋 その1
タコス屋 その2


 生地が緑色で、正体は不明。腸ずめの肉をはさむ

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 トウモロコシの粉を練って薄く焼いたもの(トルティージャ)に豚肉や鶏肉をはさむ。キュウリ、ライム、その他の薬味は、自分で勝手に取る。

 2軒めでは軽い失敗をした。酔っ払いと喋ってしまったのだ。リラックスしたことと、旅の初日で相手を十分に吟味する力ができていなかったことが原因だ。基本的に、酔っ払いと話をしてはいけない。とくに、相手から話しかけれた時は、十分な注意が必要だ。危険はなくても、ろれつが回っていない長話を聞くはめになる。

 夜はシャワーを浴びて寝た。消灯したのは、午後9時40分だった。

続きをどうぞ!

私の日記 2日目
7月20日

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