このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19 です。 |
私の日記 5日目
2008年7月23日 水曜日
◎ 近代美術館見学 =========================
・メキシコシティーの近代美術館見学
・ルフィーノ・タマヨ美術館見学
メキシコシティー泊5
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昨日と同じような時間に起きたが、今日は身体のあちらこちらに擦り傷や打ち身あるので痛い。自分の部屋でも仕事はできるが、人恋しくてロビーに降りた。階下では、まだ1組の男女が話していた。
僕はこれからの旅をどうしようか迷っている。今直ぐにでもメキシコシティーから脱出したいけれど、他に観光したい場所もない。というのは、来週月曜日に開催されるオアハカのゲラゲッツァ祭を見るために、この周辺で時間を潰さなければいけないのだ。途中にあるプエブラは、2日間もあれば十分だから、地図にない小さな町まで移動してみようか。
3.05
ゴーギャンのように「私は誰か!・・・どこで産まれ、何をして、どこで死ぬのか」という問題を考える絶好のチャンスかも知れない。私はメキシコで何をしたいのか探るための相談相手が欲しいけれど、最終判断は自分1人だから、結果は同じことだ。もちろん、大勢の人に囲まれ、シタバタしながら臨終を迎えるのも1つの生き方だろう。それはさておき、カメラが欲しい。2000ペソを上限として購入しよう。ただ、焦る事は無く、買うチャンスがなければ無くてもよい。その代わりにノートを買おう。B5サイズの白い紙が欲しい。それが僕の新しい出発点になるかも知れない。
9:00 起床
いつものように朝食をとり、出発。10:05 近代美術館
白紙ノートを買おうとしたけれど、やめてしまった。210ペソ(2100円)もしたからではない。ノートが欲しくない自分を発見したからだ。僕はメモ帳を持ち歩く人間ではないし、それに、こうして日記を書くような人間ではない。まあ、今書いているのはトイレで排泄しているようなもので、他人に見せるためのもではない、ということがハッキリしてきた。見せるためには、しっかりとした目的を持って書き直す必要がある(以上の文章は書き直しています)。さて、近代美術館にフリーダ・カーロはいなかった。彼女の作品を見たかったのに、1点もない。かなり寂しい思いをしたが、その代わり、バローの企画展をやっていた。バローには宇宙がある。それは、(1)文字通りの宇宙、(2)彼女の精神としての宇宙、(3)月の無い夜に瞬く美しい恒星達、である。
バローの絵には『ネコ』が良く登場するが、月は出ない。ここで僕の絵を振り返ると、月も太陽もないから、日本に帰ったら何か1つ描き入れてみよう。何らかの具体物を抽象的に表現することは、私にとって簡単だ。それから、私のモチーフには女性が多いから、花をたくさん勉強しておく事も大切だ。逆に、花から女をイメージしても良い。もう1つバローがよく描くものとして『貝』があるけれど、僕にはまだ早い。
ルフィーノ・タマヨ美術館
タマヨ氏が建てた美術館のコンセプトの高さに驚いたが、その主旨を発展的に昇華できる人がいないみたい。現代美術の企画展をやっているだけで、タマヨの作品も見れなかった。美術館そのものは、素晴らしい。寝る前の独り言
別に日記を書く必要は無いけれど、何か記録をしておかなければ、全て無くなってしまうのではないかと言う不安に襲われる。しかし、後から振り返る価値がないもの、つまり、自分にとっても他人にとっても価値がないものは本当に価値がない。日本で旅行届けを出した時に、「福地君は本当に好きだね」といわれた。私は即答できなかった。旅行は日本での活動を活気づけたりヒントを与えたり、日本の生活をリセットして自分自身を見つめ直したり、全ての関係を断ち切ってやり直したり、、、じゃないような気がする。自分が本当にやらなければいけない仕事からの逃避では、、、日本にいて、他にするべき事があるのでは、、、。チャンスがあるという理由だけで海外を歩くのは100%間違っている。また、今回の強盗事件が発生した原因の1つとして、日本人宿に宿泊した事が挙げられる。自分では十分に注意していたつもりだけど心の隙ができていた。
日本人宿に長期滞在する者は、日本に居場所が無かったり、威張りたかったり、人との関わりが上手でない人が多いように思う。ここでは基本的に通りすがりだから、当たり障りの無い話をしておけば時間が過ぎて行く。どんなに頑張っても、逆に、どんなにいい加減でも同じなのである。ここは異次元空間、つまり、どこにも存在しない空間なので、この空間には時間も存在しないのだ。
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7月24日