このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19  です。

私の日記 6日目
2008年7月24日 木曜日           
                      
◎ 盗難届取得、プエブラでデジカメ購入 ==============
警察で盗難届を取得
  午後 メキシコシティー(大型バス) → プエブラ
プエブラ旧市街散策
・デジカメ購入
                       プエブラ泊(1/1)
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 昨夜、寝る前にスキミング(暗証番号を盗み見ること)の話を聞いた。おかげで、私の盗まれたカードが気になって眠れなくなったり、朝から国際電話をしたり、警察で盗難届を取得したりするという行事ができた。それに発想を転換すれば、メキシコで病院に行くチャンスは今しかない。傷が完全に癒えてしまっては、手遅れになってしまう。(私はすぐに前向きな方向に転換してしまうから、少しは落ち込んでいなければいけないと思う時がある)

 日本への国際電話は、一昨日と同じように宿の女主人に頼もうとしたけれど、彼女は昨夜から外出していた。自力で頑張るしかない。街角に屋台のような店(キオスク)を出しているおじさんに100ペソ(1000円)のテレホンカードを売ってもらい、「国際電話はどこからできますか」と質問すると、すぐ目の前の電話ボックスを指差した。さっそく電話してみたが、使い方が分からない。キオスクのおじさんに助けを求めると、電話が壊れているということで、裏側の電話で使い方を教えてくれた。まず、プリペイド・カード(100ペソ)を差し込むと、135ペソ通話できることが表示される。これで第1段階完了。次に、私の日本語ガイドブックの説明通りに番号すると、呼び出し音がなった。どうやら、私の実家の電話が鳴っているらしい。時差14時間を計算すると、日本は午後10時になる。したがって、私の両親はすでに寝ている時間だけれど、運が良ければ出てくれるはずだ。トゥルルル、トゥルルル、と2回コールした後に、母の声が聞こえた。喜んで返事をすると、トタンに留守電メッセージに変わった。どうやら不審者と間違えられたらしい。もう一度かけなおすと、今度は、ピーヒュルルルル、ヒーーー、のファックス音なので、もうダメだ。わが福地家の電話の対応はこんな程度だれど、懲りない息子は、それから2回、ファックス音に向かって喋り続けた。結果はダメだったけれど、公衆電話には通話時間と料金が表示されるので、10ペソで1分間通話できるのか調べられただけでも価値がある。ま、4回かけて40ペソ(400円)使って、いろいろ勉強できたから良しとしよう。次の挑戦は、父が起きて朝食の準備を始める午前5時半を狙おう。運が良ければ電話に出てくれるはずだ。

 電話が一段落ついてから、露天で緑色のタコスを食べた。何だか分からない野菜を煮たものの他に、チーズとチキンを入れて10ペソ。まあ、ほどほどに美味しかった。それから、先ほどのキオスクのおじさんのお礼を言うと、話をしていた日本人を通訳にして事件の顛末を知りたがった。ただ、その日本人のスペイン語も私と同じ程度なので、少しだけしか伝えられなかったけれど、私のことをとても心配してくれたので嬉しかった。それから、その脚で警察に向かった。盗難届を取得するためだ。どれだけ時間がかかるか分からないけれど、これもメキシコでしかできない経験だから、美術館見学と同じレベルで考えれば良い。

 まず、交差点に立っている警察官に声をかける。彼から、「3ブロック西へ歩き、そこから2ブロック北へ行けば良い」という情報を得て、言われた通りに歩く。たった10分の道のりだけれど、私は何度も「ドンデ・エスタ・ポリシア?(警察署はどこ?)」と通行人に確認しながら歩いた。

 警察署はとても大きなビルだったけれど、入り口には警察らしい表示が何もない。何も表示がない小さな扉を入らなければ、全く何のビルか分からない。中に入り、盗難届が欲しいとことを伝えると、別室の案内され、ふかふかのソファーの座るように勧められた。そこには5、6人の男女がいたが、いずれも私服だった。私が事件の顛末を身振り手振りで伝えると、彼らは首を横に振りながらも、満面の笑みで頷いていた。私のジェスチャーが面白かったのかも知れない。それから10分ほど待たされた後、1人の男性について来い、と手招きされた。私達2人は警察署の外に出て、パトカーに乗り、ゆっくりと移動した。英語が話せる人がいる所へ移動する、とのことだった。パトカーで面白かったのは、パトカーはとてもゆっくり走るけれど、信号をすべて無視することだ。歩行者と接触しそうな時もあったけれど、カタツムリのように遅ければ怪我はないだろう。

 ソカロの近くまで来たのだろうか。私はどこにいるのか分からなかったが、運転している警察官も目的地が分からないようだった。道ばたにいる何人かの警察官に場所を尋ねながら走った。ようやく、「ポリシア」という表示があるビルの前に止まった。そこで、私は恰幅の良い男性に引き渡され、そこで1時間近くかけて盗難届けを書いた。彼の英語はあまりわからなかったが、彼には彼の仕事の型があるので、何とかなると思った。それに彼の文字はとても丁寧で美しく、外国人にも大変分かりやすいものだった。私は、彼の文字を見て大変安心した。私は、彼が書いてくれたスペイン語を写した。盗難証明書は、自分で書かなければいけないらしい。

12.00 チェックアウト
 宿のお手伝いさんが女主人に電話をかけ、清算金が30ドルで良いか確認した。その電話で、私は女主人に別れを告げた。彼女はとても良い人だった。

 それから、プエブラまでの移動については、あまり記憶がない。

プエブラ旧市街散策

上:プエブラのドミンゴ教会内部。柱や天井は、純金で光り輝いている。これだけピカピカだと、一見の価値がある。

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上:教会の内部


上:毎日のように夕立ちがあるけれど、今晩は土砂降りで、路面は5センチほど水がたまっている。排水が悪いわけではない。

 プエブラのドミンゴ教会の前のカメラ屋さんで、デジカメを購入した。この2日間、カメラに対して愛情を失っていたが、雨が降ってきたお陰でカメラを購入することになった。身動きが取れないので、この店で時間を潰したからである。2万円までで購入する、と決めていたこともあり、ほとんど迷わなかった。コダック社のものに、1ギガのメモリーカードを入れて1900ペソ(19000円)。私は200ドル(20000円)支払って100ペソのおつりをもらった。割り引き店頭表示価格より、さらに1割程度の安くしてもらった。


上:右から、店の主人、その奥さん、かなり満足している私(鼻の頭に傷跡がある)。机の上にあるのは、メキシコシティーで購入した帽子(帽子も強奪された)。なお、この店の名前は「アサキチ」というが、その由来は、日系2世の奥さんが息子の名前を「朝吉」とつけたことによる。当の朝吉さんは、日本語は話せない。彼女も、単語を少し話すだけである。



上:プエブラの中心部


上:宿の前にある土産物屋


上:本日の夕食


上:プエブラの宿。

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