このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19  です。

私の日記 9日目
2008年7月27日 日曜日           
                      
◎ タラコルーラで本をスられる ===============
(1)
タラコルーラの市場散策
(2)その市場で本をスられる
(3)ミトラ遺跡見学
(4)オアハカ博物館見学
(5)ゲラッツッァ劇場でゲラッツッァ祭見学
                       オアハカ泊3/3
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 今日は日曜日。週1回の露天市場がタラコルーラ村で開かれるので、出かけることにする。

 ホテルから『ドバストス市場』まで歩き、その前を走る国道で『乗り合いタクシー』を拾う。タクシーのフロントガラスに『行き先』が書いてあるので、それを自分で読み、手を挙げて呼び止める。

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上左:快適に国道を飛ばす。
上右:タクシーの運転手と記念撮影。後ろのワインレッドの車が彼のタクシー。フロントガラスには『タルコルーラ』という表示が書かれている。今日は市場が立つので、乗客にはこと欠かないだろう。そうそう、オアハカ周辺の道路は工事中ばかりで、とても渋滞していた。


上:オレンジ、赤、青、緑など色とりどりのシートが私の気持ちを駆り立てた。


上:移動『花屋さん』だ。


上:ちょっとここらで昼食。美味しくないけれど、気分良し。
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上:何かの動物の皮を油で揚げたもの。この時はびびって見ていただけだけど、後日、ビールに合うことを確かめた。

右:焼き肉屋かな? ずっと奥まで続いている。とても良い匂いなんだけれど、商売の臭いがしない。とにかく真剣そのものに焼いているだけなのだ。何故だ?

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上:肉屋で買った肉をその場で焼いて、焼いたものを持ち帰るしくみ、かな?

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上と左:この羊シチューが50ペソは間違っていると思うけれど、食べてしまった後ではどうにもならない。「たくさん肉を入れたから」と言われたらお終いだからだ。しかもスペイン語しか話せないからね。後にも先にも、ボッタクラレタのは、この店だけだった。まさか、この雰囲気で!

 しかし、この店のあやしさやは、やはりタルコルーラ村の市場を象徴していたと思う。何しろ、この後、ガイドブックをすられてしまったのだ! よくよく考えれば、初めに食べたタコスも不味かったし、この雰囲気は何かの間違いを含んでいる。肌の色が白い外国人観光客も大量いるし、大型観光バスも並んでいるし、、、

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左:タルコルーラ村の教会


上:教会の中


上:村の楽団だと思う

タラコルーラの市場で本をスられる
 今度はガイドブックも失った。
 もうメキシコは嫌い。カメラを強盗されてから、30ペソ(300円)の帽子をかぶり、325ペソの洋服を着て、鞄を前方にかけて注意していたのに、鞄(リュックサック)の真ん中のジッパーが開けられ、ガイドブックをスられた。そんなに隙がある人間ではないと思うけ、私の立派なヒゲがいけないのだろうか。狙われている。うーん、何がいけないのだろう。もう、ある程度の確率で物を奪われることは計算しておかなければいけないけれど、このパソコンだけは何とか日本へ持ち帰りたい。

 タラコルーラの市場の雰囲気はとても良く、私の気分を十分にワクワクさせたけれど、昼食で50ペソを払わされてから急にテンションが下がった。一刻も早く帰りたい気分になったが、その後にやれらた可能性がある。うまく行かない時は続くものだ。

それでも『ミトラ遺跡』へ行く
 ガイドブックを失ったので、オアハカに戻り、英語のガイドブックを買うことも考えたけれど、これから先はガイドブックなしで旅しよう。僕の旅は、初めから当てのない旅だから、ガイドブックはいらない。大ざっぱなルートだけを決めて、好きなように歩けば良い。重要な見所を外すかも知れないけれど、それはそれで、自分の野生の勘を取り戻すチャンスになるだろう。最善を尽そう。

 タラコルーラのバスターミナルで、ミトラ往きのバスを発見した。
 満員で座れなかったが、直ぐに出発した。
 料金は6ペソ。

ミトラ遺跡
 ミトラのバス停から遺跡まで、徒歩20分だった。
 バス停を降りた時は、遺跡までのアクセス方法が分からなかったけれど、たくさんの外国人やメキシコ人観光客が歩いて行く方向へ歩いた。

 幸い『スペイン語の会話集』は残っているので、ミトラ遺跡の呼び方を調べた。
「?ドンデ・エスタ・パラドール・デ・ミトラ? (ミトラ宮殿はどこ?)」
になってしまったけれど、何度も聞きながら歩いた。


上:遺跡近くにある教会

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上:遺跡の入り口

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上:第1印象

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上:これがベスト・ポイントの1つ

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上:赤い色はオリジナル

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上:この模様には深い意味があるらしい

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 遺跡の感想は、「あっ、写真で見た通り!」の一言に尽きる。それ以上でも以下でもないけれど、簡単にアクセスできるので、時間がたぷりあるなら行っても悪くないけれど、期待してはいけない。また、ツアーで参加するようなものではない。


上:ミトラ遺跡で記念撮影。構造物としては、バックのものが最高で、赤い色はオリジナル。

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上:ミトラでスナップ

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上左:地下に降りると墓がある。まあまあ。エジプトのように『小』の臭いはしないけれど、、、


上:ミトラ遺跡からミトラ市街までは、ミニタクシーを利用した(10ペソ、100円)。贅沢させてもらった。

ミトラからオアハカへ
 ミトラ村のバス停(ただの分かれ道)には1台のバスが停まっていた。私を乗せてきたタクシーの運転手は、そのバスに乗れば良いと行った。バスの表示を見るとタラコルーラになっていたが、バスの運転手に確認すると、表示をぐるぐる回しながら、オアハカへ行くと言った。乗客は少なかったので、私は車内後ろから2列の日陰で外が見える座席を選び、2人分を使ってゆったりと座った。

 調子良く国道を走っていたバスは、タラコルーラのバスターミナルへ入ってしまった。そこで乗客を乗せるだけなら許せるが、しばらく待たされた後、「他のバス移動しろ」と言われ、私は座席を失った。

 乗り換えたバスは満員で、またしても立たされる嵌めになった。疲れていたので、すぐに降りそうなインデアンの婦人の前に立った。案の定、私は10分ほどで座席をゲットし、熟睡した。鞄をスラレのはもうご免なので、膝の上にしっかり抱きかかえていた。中には大したものは入っていないので、1番大切なものは会話集になった。もちろん、私の腹にはパスポートと全財産が入っているが、ダミーの鞄を大事そうすることは安全対策として重要である。まあ、誰もいないところで身ぐるみ剥がされたら終わりだけれど、、、

オアハカの2等バスターミナル
 バスは、オアハカの2等バスターミナルに着いた。


上:オアハカの2等バスターミナル。

 インフォメーションセンターでもらった無料の地図を見て、ドミンゴ教会を目指した。途中で腹が減り、ビザハットみたいなチェーン店に入って、ミリンダ・ジュース(10ペソ)を飲み、トイレへ行き、一息ついた。

 それから、ドミンゴ教会に隣接する『ダンザ広場』で17時からあるダンスの様子をチェックしたけれど、15分前だというのに空席がいっぱいあるので通り過ぎた。そして、昨日夕食を食べたレストランに入った。心寂しくなっていたからである。

本日の夕食

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 スープ、パン、サラダ、白い飲みもの、メインディッシュ、デザートで50ペソ(500円)(タルコルーラの羊と同じ値段とは信じられない)。

 ここの店で働いている男性は、英語だけでなくフランス語やドイツ語も話せる。しかも、日本語の勉強も熱心で、昨日私が教えてた「ようこそ」という言葉で迎入れてくれた。そして、記念撮影をしたときに、彼の名前が「さとし」であることを教えてくれた。また、会いに来たいです。優しくしてくれて、ありがとう。

右:店の看板

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 それから、ソカロ前のインフォメーションセンターに行ったけれど、昨日の英語が話せる親切なお兄さんはいなかった。でも、頑張ってスペイン語で、英語のガイドブックが買える本屋の場所や、モンテアルバン遺跡へいくバスの出発場所などを教えてもらった。

オアハカ博物館見学
 博物館はドミンゴ教会に隣接していた。面積は大きいけれど、展示物の密度が低いのでさっと回れる。ここよりも、昨日見学したタマヨ美術館の方がずっと楽しいし、時間をかけて自分の感じたことを熟成させられるし、そのための空間もある。


上:メキシコに来て、初めてカーロに出会った。ただのポスターだったけれど、、、
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上左:魔術師が使ったお面
上右:彼らが使用したおまじない用品だと思う。卵もある

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上左:薬草

 博物館の閉館時間は、表示よりも30分早い18時半だった。

ゲラゲッツァ劇場でゲラゲッツァ祭見学
 ゲラゲッツァ劇場までは歩いた。

 途中で出会ったメキシコ人と一緒に、最後の階段を登り、彼らと一緒に見学することになったが、今回は失敗だった。家族連れなので動きが悪く、情報な正確を持っていないので見難い席になってしまった。とても親切な奥さんだったので、別れるタイミングを失ってしまったのだ。


上:写真は、急な斜面を表現できていない。私1人なら10分もかからないけれど、、、


上:一番後ろの席なので、ステージの人が見えません。
 手前には警備の人が2人写っているけれど、その下のロール(照明あるところ)まで無料席なのであった。


上:リンゴ飴を売る人


上:ステージが始まりました。かなり良いダンスだったけれど、細部が見えないと面白くないのだ。


上:今日も花火が出ました。


上:最後に記念撮影する出演者達。

 公演が終わり、私はどんどん下に降りていった。


上:出演者と記念撮影する観客達

 それから、ぼちぼちと歩いて帰る。
 途中でアートギャラリーを訪問。

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22.00頃 宿に帰る

部屋の扉が閉まる
 このホテルは3回目の夜になるので、落ち着いた感じがする。しかし、洗濯物を外に干したら、自室の扉が閉まってしまい、歯ブラシをくわえたパンツ姿で、フロントまで行き、合鍵を出して欲しいと頼んだ。しかし、フロントの少年は持っていないというから大変だ。彼と一緒に部屋の窓からの侵入を試みた。結局、私が小さな窓から手を伸ばして鍵を開けてから、大きな窓を開けて、屋根づたいに中へ入ったが、一歩間違えば転落事故になるし、そもそも私の部屋のセキュリティーはゼロ、ということになる。こんな部屋にパソコンをおいておいて良いのだろうか??? うーん。とりあえず、無事だったから、これで良いのだろう。あー、もー、かなり適当だ。素晴らしい!

 それから、バーガーキングで買った高価なコーヒー(10ペソ)やテキーラ(ヒマール)などを飲みながら日記を書いていたら、翌日の1時2分になってしまった。でも、まだあまり眠くないのでどうしよう。テキーラは危険なので飲みたくないけれど、明日は月曜日なので美術館は閉まっているし、やることがあまりないので飲もうかな。

続きをどうぞ!

私の日記 10日目
7月28日

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