このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19  です。

私の日記 12日目
2008年7月30日 木曜日           
                      
◎ パレンケ遺跡の見学 ====================
7.15 サン・クリストバルからパレンケへ大型バスで移動
パレンケからパレンケ遺跡へ移動し、遺跡見学
19.00 パレンケからビジャエルモッサへ移動
21.00 ビジャエルモッサ着

                   ビジャエルモッサ泊
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6.30 起床
 目覚まし時計をセットしておかなければ完全に寝過ごすところだった。起きてから10分でパッキング完了、次の10分で昨日買っておいた朝食用マンゴ・ヨーグルト、クロワッサン、砂糖をかけたパイを頂き、チェックアウト。バスターミナルまで徒歩5分。

サンクリストバルのバスターミナルで
 昨日購入したいくつかのチケットの時間を変更した。ここからカンクンまでのチケットをできる限り正確に購入しておきたいからだ。しかし、昨日も窓口にいた感じの悪い女性は何も調べずに「満席!」と言い、私を受け付けなかった。そんなはずはないので、もう一度並び直し、もう1つの窓口の男性に頼んだ。


上:パレンケのバスターミナルの前で

7.15 パレンケへ向けて出発
 バスは30分遅れで出発した。そして、2時間ほど走ったところで30分間停車した。すべて運転手の気分だ。そして、最終目的地のパレンケに3時間遅れで到着したが、これは安全運転とは言わない。ただの怠慢だ(所要予定時間は4時間半)


上:バスの車窓から

右:パレンケに近づくと、道はカーブを増した。

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14.00 パレンケ着
 バスターミナルからパレンケ遺跡までは、バスで隣の席になったイギリス人夫婦と一緒にタクシーをシェアーした。3人で70ペソ(8キロメートル)。遺跡に入る直前に、国立公園の敷地に入るためだろうか、20ペソで黄色いベルトを購入させられた。これは後から知ったことだが、メキシコ人達も購入したから、そのようなシステムに変更されたのであろう。

パレンケ遺跡に入る
 入場券(48ぺソ)の次に、昼食用バナナ2本(5ペソ)を購入した。そのうちの1本は、未だに私のナップザックにあるから、つぶれて大惨事になっていないことを祈るばかりだ。何しろ、パレンケの公園で横になった時、すっかり忘れて枕にしていたからね。

 遺跡の第一印象はとても良かった。バスの旅が長くなったお陰で、パレンケやチチェンイツアーなどマヤ遺跡の勉強がたくさんできたし、これまでの高原の清涼な気候から、一気に熱帯雨林に入り込んだような33度の暑さの中で遺跡に出会ったからだ。


上:写真が下手で申し訳ない。うだるような空気の中でも、遺跡自体に清涼感を感じる。

 私は、早く動かないのようにした。長ズボンのチャックを開いて半ズボンにしたり、タンクトップになったりした。そして、バスの中で読んだパレンケ遺跡に関する記述を読み直した。もし、一等バスやタクシーを乗り継がずに、暑さに苦しんでいたなら、遺跡を十分に堪能できなかっただろう。それはジャングルの中にこつ然と現れた、という表現でも悪くないが、当時は現在のようなジャングルではなく、人々が生活するのに必要な水が流れる肥沃な土がある場所だったに違いない。


上と右:地下にある墓を見学した。私は石館よりも天井の三角形が気になった。
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 マヤ遺跡の特徴的な背の高い二等辺三角形の屋根の上の方には、左右に直径15センチmほどの穴があいているので、当時は木材が渡され、何らかの木造構造物があったと思われる。また、T字型の明かりとりの窓や、T字型のロウソクを置く場所?も生活感があった。これらは私の推測だが、人々が住んでいた場所の多くは木造建築で、移住する時に破壊したのかも知れない。


上:王宮の中

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上:5階立ての建造物は珍しい(天文所)。


 重要なレリーフはほとんど国立博物館に移動しているので、想像力は大切だ。

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 3時間の滞在でも、十分に堪能できたのは間違いない。日本に帰ってから、もう一度勉強をして、紀元前のマヤ文化について空想を働かせてみよう。

 そうそう、神と一体化する、という考え方も確認した。私が絵を描くときも神と一体になろうとする場合があるが、それをもっと積極的にしたものが『国王による宗教的儀式』なのだろう。私の場合は、とくに儀式を考えていないが、一定の形式を整えることも重要だ。うん、この発想はおもしろいぞ! クロッキーの儀式をしなければ、クロッキーにならない、というものである。完全なる自由、何人にも拘束されないための儀式という発想は、その中に完全なる矛盾を含んでいるが上に美しく、面白い。


上:パレンケ遺跡の出口の一般駐車場の前

 午後5時10分前、遺跡から退場して、ミニバスに乗り込んだ。10ペソでADOのバスターミナルまで運んでもらった。自分で扉を閉めたり、開けた窓から入っている風が全身に吹き出していた汗を乾かしてくれるのを感じて、ようやく旅に馴染んできたように感じた。私はどこにいても風のようでありたい。

17.40 パレンケの町

17.50 夕食
 パレンケの繁華街は、もう少し先にあるらしいが、トイレを我慢していたので、適当なレストランでトイレを借りてから焼き鳥定食を注文した。この店は焼き鳥専門店で、大きさ(1匹、半分、1/4)と、テイクアウトするかしないかを選択することしかできない。私は1/4をこの店で食べた。1匹注文したからといって割安になるわけではないが、テイクアウトの方が安くなるのは不思議だ。とれからトルティージャを揚げたものが大変美味しいこと、それに、レモンや塩や辛子をつけるとさらに美味になることを発見した。23ペソ。ジュースは12ペソ。


上:パレンケの町にあるレストランで夕食

 バスの出発予定時刻まで1時間半あったので、目抜き通りを散策した。ソンブレロ(帽子)を買いたかったけれど、安くても60ペソするので手を出さなかった。メキシコシティーでは30ペソだったのになあ、、、。痛いよ。

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 バス乗り場に20分前に戻り、カンクンまでのバスチケットを全て手配した。これで8月2日にキューバに飛び立つ予定が完成した。チケットがそろう逆に、カンクンでダイビングもしたくなったので、カンクンに着いたらキューバ往復のチケットが変更できるかどうかを確認してみよう。

 私はメキシコへの興味を失っている。その原因としては、メキシコ国内でマヤ文化がほとんど感じられないからだ。ただ、本当の原因は私で、今の私が興味を失ってしまったのかも知らない。私は生きている人の中に文化を感じたい。

19.00? パレンケからビジャエルモッサへ
 ビジャエルモッサまでのバスは良く仕事ができる。隣にはチリの女性が座り、雰囲気が良い。途中で、ポリスによるボーダーのチェックが入り、私はパスポートを提示した。警察は私と彼女が一緒に旅行していると勘違いしたようだった。車内では、今日1日の日記を書いた。

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上左:バスのテレビ

21.00頃 ビジャエルモッサ着
 宿はバスターミナルのそばで見つけた。1軒見つければ、あとは芋づる式に出てくる。5軒ぐらいで部屋を見せてもらい、結局、フロントに感じの良い男女がいるホテルに決めた。料金は、エアコン付きで240ペソ。これまでの旅で一番高額な部屋になったのは、エアコンがあるからである。これがなければ、これまでと同じ150〜190ペソになるが、私はエアコンなしでは生きていけない気がしたのである。今もがんがんに付けたままで丁度よい。私はクーラー病なので、これがないと熟睡できない。暑いのは絶対にダメだ。
 それから、近くの酒屋でコロナビールを買った。950mlで25ペソ。何故か、小さい瓶は売ってくれなかった。理由はさっぱり分からないけれど、はっきしりていることは、コロナは不味い、ということだ。ま、これは私の嗜好に過ぎないから、、、美味しいと思う人はどんどん飲んで下さい。


上:私の部屋

 洗濯をたくさんした。貴重品袋も洗った。

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