このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19  です。

私の日記 17日目
2008年8月4日 月曜日           
                      
◎ ハバナ市内ちょこっと散策 =======================
(1)ハバナ国立大学
(2)航空券の変更
(3)革命博物館とグランマ号
                       ハバナ泊
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8.50 起床
9.00 朝食
 話に花が咲いて、次から次へと珍しいものが出てくる。今日もたくさん食べ過ぎてしまい、町へ繰り出したのは10時近くになっていた。

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上左:ゆで卵2個、ハム、フレッシュジュース、果物2種、エスプレッソ
上右:今朝焼いたパン、珍しいチーズ、ジャム2種、分からない果物

10.00 帰りの航空券を変更するために中心街へ
 中華街の近くで、昨日の4人に出会った。
 彼らのうち2人は、機内に預けた手荷物が届かなくて、本日午後5時に空港へ引き取りに行くことになっている。郵送してもらうことも可能だけれど、時間の都合もあるので仕方あるまい。


上:公衆電話を使う人


上:オビスポ通りの西


上:旧国会議事堂(カピトリオ)

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上:ちょっとした壁画


上:地元民専用タクシー


上:小さな印刷工場


上:たくさんの子どもがいるのだろう。


上:ハバナの国立大学
 私の宿の女主人オアキーナは、ここで哲学を教えていた。今は退職しているが、年に何回か教壇に立つそうである。

 教えてもらった通りに道を歩いた。途中で市バスに乗るつもりが、面白くて最後まで歩いてしまった(目的の交差点まで1時間消費)。次に、最終目的地の航空会社のオフィスの住所を書いた紙を取り出そうとしたが、宿に置き忘れていたので、散々いろいろな人に尋ね回った。

航空券の変更
 何とか12時前にたどり着き、チケットも問題なく変更できたので嬉しかった。変更料金はアメリカ35ドルと印刷されていたが、キューバ25ペソで済んだ。アメリカドルの価値が低くてラッキー! これでキューバに1週間長く滞在できる。私はメキシコに興味がない。

 帰りは適当なバスに飛び乗ったので、途中はどうなることかと思った。

 中華街でピザを食べたが、しゃがみ込んで食べていたら、2人の怪しい少年に目をつけられ、私が食べ終わって動き出すと同時に口笛で仲間を呼び、私を尾行し始めたので何度か睨んだ。宿まで数100mだったけれど、油断は許されない。キューバの警察官の動きは、メキシコより緩そうだから、自分の身は自分で守らなければいけない。

13.30 宿で昼寝
 1番暑い時間は動かない方が良い。

15.00 国立美術館へ向かう
 途中で、親切そうな男女2人組に「鞄のチャックが開いているから注意しなさい」と注意された。その後、「英語を話すか」「美術館は休みだよ」「今日はサルサ祭があることを知っているか」などと話を続けた。私は休館日なら仕方ないし、祭りに興味があるから、場所の確認だけしようとついていった。しかし、彼らが案内したのは小さな1軒のバーだった。小さなテーブル席に座れと言うので、私はそこで辞退した。そもそも、鞄のチャックを開けたのは彼らかも知れないし、美術館も開いているかも知れない。私は、ノー、グラシャスと行って、踵を返し、美術館へと向かった。しかし、美術館は休みだったので、彼らの言っていたことの半分は正しかった。

16.00 革命博物館とグランマ号
 美術館の反対方向を見ると、戦車や飛行機が展示してあったので、柵を乗り越えようした。すると軍服を着た女性兵士が目を剥き、「あっちの入り口から入れ」と注意した。振り返ると、さっきの男女のうちの男が、「2ブロック先に入り口がある」と教えてくれたが、「ドラッグ(麻薬)はいらないか」と誘った。やはり、鞄のチャックを開けたのは彼らかも知れない。私は全くかかわり合う気がないので、お礼を言って1人で入り口へ向かった。彼も深追いしなかった。


上:革命博物館の屋外展示場。私はこの白い柵を乗り越えようとした。また、写真中央にあるガラスのケースの中に、グランマ号(英雄チェ・ゲバラがキューバ独立のために命を賭けて仲間と共に乗り込んできたとても有名な船)がある。8月12日撮影。

 博物館の見学時間は1時間しかなかった。しかも、スペイン語の展示しかなかったけれど、いくつかの発見をした。つまり、指揮官に大切なことは、綿密な計画、正しい情報収集、戦闘中におけるタイムリーな決断、決断を伝達するときの強い意思、勝利の後の会議と調印であることだ。博物館では入場料5ペソの他に、写真代1ペソを支払ったが、デジタルカメラの調子が悪くて画像を紛失してしまった。

 その後、雨の中を無心で遊ぶ少年や、鉄パイプ製ソファーを傘代わりにして歩く3人や、雨の中を走る自転車タクシー等を撮影したが、それらも失ってしまった。非常に残念だ。宿に帰ってから、2時間近くパソコンと格闘したが、結局だめだった。さらに、メモリーを初期化したものの、パソコンにカメラを接続しても認識しないようになってしまい、これからの画像もどうなるか分からない状態なので不安である。

 それから、クロッキーの今後の活動について具体策を練った。たくさんの成果ができたので満足したが、その一方で、キューバに着いてから日記を書いていない自分に驚いた。私は、とてもキューバに満足し、自分のリズムに似合っていることを感じる。

23.30 消灯

 そうそう、韓国人男性2人とスペイン人女性2人が同じ宿に泊まっているが、1人のスペイン女性が1人の韓国男性に恋して、片言の英語で一生懸命にアタックする姿がいじらかった。私は、彼女に頼まれて2人の写真を撮った。その一方、お互いの国の友達は姿はほとんど見なかった。

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私の日記 18日目
8月 5日

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