このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19  です。

私の日記 22日目
2008年8月9日 土曜日           
                      
◎ ハバナでゆっくり仕事1 ==================
(1)旧アメリカ領事館?大使館?
                            ハバナ泊2
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8.00 宿のテラスで
 表通りに面した窓際で仕事を始めようとすると、物音を聞きつけたオアキーナが起き出してきた。彼女は窓を開け、大きく戸外の空気を吸い、「何て素晴らしい朝なんでしょう」と言った。そして、私に朝食の時間を聞き、北京オリッピックをテレビ観戦しないか、と勧めた。彼女の部屋のベッドには息子が寝ていたが、その横に扇風機をと椅子を用意してくれた。彼女は息子と1つベッドに寝ているのだろう。オリンピック中継は、キューバとどこかの国のビーチバレーだったが、残念なことにキューバが1セット落とした。

 彼女は何でも許してくれそうな広い懐がある。私はここで1週間、ゆっくり自分のしたいことに取り組もうと思う。8時に起きてから2時間経過したが、それは、これまでの私はない時間の流れだ。このような時間の移ろいを感じることは、私にとって何よりの収穫だ。未知の世界に挑戦するためには、新しい時間の使い方をする必要がある。

10.00 朝食
 食事の時間に得た情報では、フェスティバルは面白くないようだし、パレードは昨日と一昨日で終わってしまったそうだ。今日は最終日だけれど、あまり期待できそうではない。それにしても、同宿の元気溢れる韓国人女性とたくさん会話できることは幸せだ。

 午後2時過ぎまで仕事に集中した。その後、昼食を買いに出かけたが、10ペソ(40円)のチャーハンを外国人用通貨2ペソ(200円)で買ってしまうところだった。失敗しそうになった原因は、数日前に韓国人男性が外国人用通貨2ペソ(200円)で美味しそうな肉入りチャーハンを買ってきたこと、中途半端な5倍料金をふっかけられたことだ。しかし、私は一緒に頼んだ小さなカツの値段を知っていたので、1度払った金を取り返した。

 カツは1個1ペソ(5円)なので、外国人用通貨5ペソを払ったおつりは、外国人用通貨2ペソと22ペソになるはずであるが、私がもらった金額は違った。他の客とのやり取りを注視していると、チャーハンの値段も違うようだ。私はチャーハンを購入した1組のカップルを追いかけて価格を尋ねた。チャーハンは10ペソ(40円)だというので、私の合計金額は12ペソ(50円)になる。事実を確認した以上、チャーハンを返してでも外国人用通貨5ペソを返してもらう、という勢いで店員に詰め寄った。いずれにしても、この店は本当に怪しいので、もう2度と行かない。おそらく他の観光客も同じように騙しているのだるろう。繁盛している店だから、心を売ってまで小銭を儲けなくてよいと思うのに、、、店員個人の卑しさと(=資本主義の犠牲者)、と考えることにしよう。


上:10ペソのチャーハン、1個1ペソの小さな揚げ物2つ、10ペソのサンドウィッチ、水。

 昼食を食べてから午後4時まで、よく冷えた自室で昼寝した。

 それから再び仕事を始めたが、クーラー漬けで寝た身体は外気の暑さに耐えられず、気持ちがよい窓際から暗い部屋のベッドの上へ移動することになった。それでも仕事は捗っているから悪くないが、、、ここで、昨日できなかったデジカメのデータ転送に再挑戦すると、見事に成功! とても嬉しい。これでビデオ撮影もできるし、街角の人々もじゃんじゃん撮影できる。初めてキューバに降り立ち、自分を感動させたハバナの正体を検証することが容易になった。カメラとパソコンという道具は、もはや私の手足以上のものになりつつある。この先、新しいツールに出合うのは少なくとも15年後のことだろう。逆に、ノートと鉛筆のように、ほとんど使わなくなった道具もある。

19.00 散歩に出かける

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上2枚:見て欲しいポイントは、2階テラスから降ろされたひも付きビニール袋。これに物をいれて引き上げる。よくある光景。

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上:とても立派な民家。外壁が崩れたり、窓ガラスが割れていない。

左:屋上から垂れ下がったロープで遊ぶ子供

20.30 コッペリア(アイスクリーム屋)の前に集合
 夜は日本人3人、スイス人1人、キューバ人1人と一緒に散歩した。今宵は、1週間続いたカーニバルの最終日なのだ。

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上:マレコン通りに集った警察官。私がカメラを向けると、その行為を制止しようとした。


上:とあるホテルの屋上から見たカリブ海。

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上:マレコン通り沿いに特設された子どものための広場

左:チャーハンと焼き鳥。これを買うために小1時間並んだ。並び疲れて空腹を忘れてしまいそうだった。ビールを買うのも大変で、手に入れることができるのは、温いビールだから、たまったものではない。それから、飯は脂が濃くて途中で飽きた。



旧アメリカ領事館?大使館?
 まず、下の写真を見て欲しい。これはキューバで最高の思い出の1つだ。写真の左手奥にある建物は、アメリカ政府が建設したビル。現在、その土地はアメリカ政府のものであるが、職員はほとんどいないので廃虚同然である。その6階を見ると、建物内部に赤いテロップを流す特殊器機が設置され、キューバの政治体勢が不利になるようなニュースが24時間流されていることが分かる。


上:アメリカ政府の建物とキューバのカストロ議長が立てた国旗

 このアメリカ政府の手法に対して腹を立てたカストロ議長は、その前にキューバ国旗を林立させた。まるで子ども同士の喧嘩であるが、その原因はアメリカにある。キューバに対するアメリカの経済封鎖も直接的な流血を伴わないが、卑怯な手段であることに変わりない。後日、私はアメリカで飛行機を乗り継ぐ時、キューバを観光したという理由だけでアメリカ政府から実害を受けた。私はアメリカ政府が嫌いだ。


上:正面からみたキューバの国旗? 黒地に白い星。

23.00
 カーニバル最終日だけど何も起こりそうにないので、歩いて帰る。

翌0.00過ぎ
 旧国会議事堂(カピトリオ)の前で、「先生みっけ!」と声をかけられた。ばったり、カンクンで同宿だったヒロユキさんに出会った。彼はキューバに7年間通い続けているドラマーである。

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上:カピトリオ前の特設ステージ。

 ヒロユキさんとは1時間ほど水を飲みならが会話。

翌1.30 消灯

翌1.40
 同室の韓国人男性は元気で、隣室の女性と会話するために出ていった。

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