このページは旅行記『メキシコとキューバの旅行記2008夏』 2008 jul. 19 - 2008 aug. 19 です。 |
私の日記 29日目
2008年8月16日 土曜日
◎ メキシコシティーでゆっくり仕事1 ============
(1)世界遺産『ソミチコル』
(2)ドローレス・オルメド・パティニョ美術館
メキシコシティー泊2
=================================大変ゆっくり眠れた。
さて、今日はキューバ人とメキシコ人の違いについて記述しておこう。キューバ人が魅力的なのは、気温が高いので裸に近いからだ。衣の量はわずかで、肌を露出しているので、身体そのものの美しさに気をつけている。重ね着することも少なく、ファッションはシンプルかつ洗練されたものになる。それに、よく見ると、彼らは穴の空いた服をほとんど着ていないし、汚れた服も着ていない。毎日洗濯したものを着ているし、1日に何回もシャワーを浴びているようだ。私がキューバに着いた時は午後4時頃になると毎日ように激しい雨が降ったが、誰も傘をもっていないので、雨の中を歩いていた。火照った身体と街にとって、冷たい雨はとても気持ちよい。私は傘を持っていたが、何度か雨に打たれて歩いたものだ。キューバ人も魅力の2つめは、老若男女の体型が変化に富んでいるだけでなく、それぞれの筋骨がしっかりしていることだ。とくに若い男性の筋肉は立派だ。トレーニングジムで鍛えているのではないと思うほどである。上半身裸でいることが多いが、胸の張りは男性の私からみても美しい。若い女性も同じようにガタイがしっかりしているが、下腹が出ているのが頂けない。ただ、若い男性はその点をあまり気にしていないように見えることが不思議だ。中年は飛ばして、60歳以上の老人になると、これがまたビックリするほど美しい。背筋がピント伸び、人生経験を積んだ精悍な顔つきは若者以上の美しさを感じることさえある。ゆったりとした動作も悪くない。どうも、このように描いてみると身体のことばかりになってしまったが、メキシコ人は汚れた服をたくさん着ていることが多いので注目する気にならない。日中の気温は同じように30℃を超えるのでTシャツ1枚で十分だけれど、メキシコは標高2000mなので夜は冷え、長袖を2枚重ねても寒いから、汚れた服を重ねる結果になる。それに貧富の差が加わるので、私のように安い地下鉄を利用したり、裏道を歩いたりすると、貧困で汚れた人ばかり見る結果になる。その点、社会主義で一定の水準を保っているキューバは、少なくとも表面的な汚れを感じない。道路掃除人もしっかり働いている(とても汚れている場所もあるが、、、)。魅力の3つめは、人々の目が美しいことだ。仕事にあくせくしている感じがしない。私は外部から遮断されたプランテーションや工場を見学したことがないからこのような感想を言うのかも知れないが、私が見える範囲で働いている人々は誰もが楽しそうだったし、ぼけーっとしていても幸せそうに見えた。少年達は道路で野球ばかりをしているし、雨が降れば雨と戯れている。主婦達はおしゃべりが好きで、何人かが同時に勝手に話していることもある。ただ、ハバナの国際空港で働いていたツーリストインフォメーションの女性や出国税を徴収する女性はダメだ。目の上に蛍光ブルーのアイシャドーを描き、「ケ・カロー(暑っちィーー)」といって腹を出して仕事をしていた。仕事も遅く、相手を人間と思っていない態度だった。彼女たちが原因で、私がキューバに入国したときと出国したときの印象は最悪だったから、政府は定期的に職員を見回ると良いと思う。第4の魅力は、ニューヨークのスラム街と同じ匂いがするのに、深夜に出歩いても安全なことだ。ニューヨークなら3分も経たないうちに身ぐるみを剥がされるか、凶器を突きつけられるか、死傷しするかの雰囲気なのに、何もないのである。もちろん、現地の人に聞くと、スリが出るので危険だという話だけれど、所詮「スリ」である。私は何度も夜中に歩いたけれど、実際、声をかけれることもなく何もなかったし、フラッシュを焚いて写真を撮っても、「オラ!」で済んでしまった。ただし、これは2008年8月時点の話であり、9月は極悪になっている可能性があるので、この記述については一切の責任はとれない。5つめは、経済状態が上向きなことだ。たくさんの外国人観光客が訪れ、たくさんの外貨を落としていくから状態は確実に良くなっている。彼らはそれを感じている。ドルショップと呼ばれる店には、政府からは支給されない様々な物品が並ぶようになり、7年前の「カミソリ」がぽつんぽつんと並んでいるだけのドルショップからは想像できない現状だ。まだまだ物が溢れているとは言えないけれど、新しい物が並ぶことは、ワクワクすることだ。それから、キューバ政府は食料を支給しているの飢えている人はいないし、医療費と教育費は完全に無料なので、怪我をしている人も教養が低い人もいない。この2点については日本の方が遥かに遅れている。私が1週間お世話になった民家のお姉さんは、大変な近眼だったが無料で手術してメガネなしの快適な生活を楽しんでいる。それに引き換え、私は不便なメガネを今もかけている。とほほほほ・・・。次に、6つめのポイントして「踊り」について書いておこう。キューバ人は確かに踊っているし、踊るのは好きだけれど、どこでも音楽があれば全員が踊るわけではない。気分が乗れば踊る、ぐらいのものだ。日本人と一緒に踊るのは、日本人を踊らせるのが目的だから、本来の踊りとは違うこともわかった。これはメキシコにおいても同じだと思うが、メキシコの方が踊っている人を見かけることが少なかった。7つのポイントは街だ。キューバの世界遺産に指定されているような街は、非常に重厚な作りであるが、窓ガラスが割れていたり、太い柱が1本なかったり、電気が1つもなかったり、そこに当然あるべきものが欠けているから面白い。人がいなければ廃墟といえるほど酷いけど、それが良い。とくに夜中は街路灯もなく、窓明かりもない場所に蠢(うごめ)く人々の気配は、廃墟からうまれる生命、母体の中の胎動を感じる。キューバの人々は、日本なら簡単に直せるような木材、ちょっとした金具、ペンキを手に入れることができないので、壊れた世界遺産の中で逞しく生活している。そのギャップは欠落ではなく、人間がもつ無限の可能性や豊かさを感じさる。
10.00 朝食
近くのレストランで「ちょっと優雅に」と思い、
上:デサイウノ(朝食)のセットを頼んだ。
一番手前にあるのは、パンの上に「小豆」と「チーズ」のせて軽く焼いたもの。私のお口に合わない。一番美味しかったのは、右上のサラダ。 フルーツはキューバで美味しいものを食べ過ぎた。13.00 宿を変える
日本人宿に来てしまった。変えたくなかったが、昨夜のホテルは「夜9時にならないとチェックインできない」というから、ラブホテルのような仕組みなっていたのかも知れない。まあ、午後1時まで使わせてもらったから私は満足しているが、、、。シングルルームは満室だった。私はドミトリー2泊分の料金を払い、チェックンを終えた。
ソミチコル
世界遺産ソミチコルになっているに出かけた。実は、500年前のメキシコシティーはすべて湖だったが、その湖は侵略者スペイン人によって埋め立てられてしまった。ソミチコルは、当時の面影を僅かに残す水路なのだ。この歴史はとても興味深いが、現在のソミチコルの写真を見る限り大きな期待はできない。私は、地下鉄とミニバスを乗り継いで行ったが、まるで面白くないものだった。船に乗れば面白いこともあったと思うが、1船貸し切るのに200ペソも必要だし、地元の人々が一緒に乗せてやろうかと声をかけてくれたけれど100ペソ払えと言う始末だ。メキシコ人の懐のなさに失望するだけだった。
上:とても小さな入り口を入ると、無数の小舟が停泊していた。ただし、観光客は、10人程の団体さんだけ。料金交渉する余地も気力も湧かない。
上:もう1枚上の写真を、別な市から見たところ。情緒なし。
右:水路に捨てられた船。
体長30cm程度のフナがたくさんいて、産卵をしているようだった。メキシコ人は、鮒を食べる習慣がないことが分かった。それが一番の収穫だった。.
上:ちょっと離れたところで、勝手に船に乗り込んで記念撮影。これで十分だ。帰り道、優雅な美術館を見学した。
ドローレス・オルメド・パティニョ美術館
入場料は45ペソもしたけれど、十分な価値があった。倍料金でも構わない。とても優雅な気分にさせてもらっただけでなく、ディエゴ・リベラの絵画にかける情熱と多様な表現について勉強させてもらった。私の絵画に使う時間の少なさを痛感したが、その代わりに教育分野で頑張ったから許してもらおう。絵画だけでは勝負できないから、それを超えたものを目ざすしかない。
上:この美術館の持ち主であるロドーレス婦人像。私もこんな寛い心の持ち主になれるように努力したい。
上:リベラの頭像。
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上:放し飼いの孔雀が優雅に歩く。
帰り道は、路面電車を使った。
上:路面電車とその駅
上:電車の中。運転席が見える。
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上:乗客の様子。
上:南バスターミナル18.00 夕食
上:めちゃ旨いので、また来てしまった店。南バスターミナルの近く。
上:豚肉です。19.40 宿
シャワーを浴びて、ドミの部屋で1人パソコンで日記を書く。ここは寒い。メキシコシティーの夜は冷える。
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