このページは旅行記『バルカン半島9ヵ国 2009夏 2009 AUG.11 - AUG. 31  です

1日目 2009年 8月 11日(火)
==午後からウィーン市内観光============================
 ドーハ(飛行機)→ ウィーン
(1) フィガロハウス(モーツアルトが2年半住んだ家)
(2) シュテファン寺院
(3) 王 宮
(4) グラーベン大通り
================================ウィーン泊(1/2)==

7:23 ドーハ空港内のCOSTAという茶店で
 時計を6時間遅らせてから、特大カプチーノとチーズ・クロワッサンを頼む。そして、マックを開けて日記を書く。


上:カフェの香りを楽しみながら、短いデスクワークを楽しんだ。

メモ
(1) 大阪からドーハまでの飛行時間は10時間半だった。
(2) ドーハの外気温は、早朝4時半だというのに37℃。絶対にムリ。外は呼吸不能かと思う。


上:窓ガラス越しに見たドーハ空港。

 今日はこれからウィーン(オーストリア)へ行く。その後の予定は現地を歩き始めてから決める。面白ければ1泊、さもなければ夜行列車で移動する。列車なら、夜行寝台が使えることを願っている。体力が持つかどうか心配だけれど、なるようにしかならないし、ダメならそこでゆっくりするまでだ。

8:15 ウィーンへの機内へ

上:カタール航空の飛行機でウィーンへ向う。

 私の座席は後方窓側28F。3列シートの真ん中が空いているので、リラックスして座る。乗り込むとき、ドーハの外気温37℃を体験した。実際は、飛行機の排気ガスで軽く40℃を越えていただろう。さて、以下に紹介する3枚の写真は、窓から撮影したドーハの地形。


上:ドーハの沿岸部。この形は自然ではなく、人間が造ったものである。注目したいのは、手前より奥の部分で、『葡萄の房』のような埋め立て地が分かるだろうか。ドーハは、10年前からこのような造成地、巨大ビルへ世界中の投資家が金を注ぎ込んでいたが、2007年のサブプライム問題から暴落が始まり、現在は廃虚になるのではないかと囁かれているらしい。私は詳細を知らないけれど、尋常ではない自然破壊、人間の強欲を感じることはできる。


上:同上。沿岸部(海)は、地上からの土砂や人間が廃棄したもので汚染されているように見える。美しい海岸があるとすれば、それは人工的に砂を入れてくつったものだろう。


上:同上

13:15頃 ウィーン
 スムーズにオーストリアへ入国。スタンプももらった。


上:空港の到着口で、知り合いを待つ人たち。私は到着口を出た自由の身である。そして、空港内で何もせず、表示にしたがって近郊列車の乗り場へ向かった。何枚かのウィーンに関するコピーといくらかの現金(ユーロ)を持参したので、ツーリストインフォメーションにも立ち寄らなかった。

13:45 ウィーン市内への鉄道チケット購入
 市内までの片道切符は3.6ユーロ。鉄道の名前は、QBB。タッチパネルの自販機の使い方が分からず少々手こずったが、英語の表示があること、現金でも購入できることが分かってから購入できた。初めはクレジットカードしか買えないのかと思って驚いた。ただし、このチケットは使わないままゴミ箱へ捨てた。理由は次の通り。

14:05 CAT(シティー・エアポート・トレイン)に乗る
 私はSバーン(近郊電車)のチケットを購入した(3.6ユーロ)けれど、プラットホームで30分以上待たなければいけないことがわかり、隣の線路の電車(CAT)に乗った。追加料金を払えば良いだろうと思っていたら、ダメだった。車内で満額10ユーロ支払った。何故なら、CATと近郊電車(Sバーン)は違う会社なので、料金追加は無理。したがって、Sバーン(近郊列車)の切符はゴミ箱へ。やられた!


上:CATのウィーン市内中心にある『ミッテ駅』

14:20 『ミッテ駅』着
 ここからシュテファン寺院を目指して歩く。その途中に適当な宿があればチェックインしよう。予算は60ユーロまで。


上:ドナウ運河。水量が少なく、脆弱(ぜいじゃく)という言葉が浮かんだ。

15:07 ペンション・シティーにチェックイン
 ・シュテファン寺院から北東へ徒歩1分
 ・65ドル/日(朝食付き)
 ・フロントは、8.00〜20.00
 ・朝食は、6.30〜10.30?


上:私のお部屋。ロケーションも設備もほぼ完璧。

15:20 フィガロハウス(モーツアルトが2年半住んだ家)
 チェクインを済ませてから、さくっとモーツアルトの家へ向かった。私はモーツアルトに強い関心を持っている。

 しかし、入場料10ユーロも支払ったのに、ろくな展示がない。室内を写真撮影禁止にするまでもない。日本語の音声ガイドを貸してくれたけれど、室内に流れているモーツアルトの曲を聞いている方が1億倍良い。たった1つだけ足を運んだ価値があったのは、2階の窓からの眺め(写真撮影禁止)。モーツアルトも毎日眺めていたであろう風景をバックに記念撮影したなあ・・・ 

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左上:白い4階立ての建物のうち、モーツアルトは2階部分だけを借りていた。借用期間は2年。
右上:私が記念撮影したかった通りの風景。でも、2階の窓から撮影しないと面白くない。感傷もない。

 モーツアルト考
 モーツアルトの活動の目的は、『名声・名誉・金』であり、それを得るための手段として『音楽』があった。このように述べると、彼の音楽がつまらなく感じるが、僕はそれでも良いと思う。なぜなら、手段としての音楽があまりに美しいからだ。モーツアルトによれば、作品の美しさが全てだ。美しい仕事、人々を魅了する仕事によって、自分の社会的地位、名誉、金を高くする。完全、天才といわれる仕事をやり切ることの大切さや根性を教えてた。モーツアルト先輩、ありがとう!

 もう1つ記述したいことがある。それは、偉大なモーツアルトを後輩のようにも感じてしまうことだ。その理由は分からない。彼は僕よりも早く生まれたのだから(早く死んだけれど)、世間一般の『先輩』である。それでもやっぱり、僕は彼を後輩のように感じるのは何故だろう。これは未解決の問題だ。彼の生き方や彼が生きた時代が問題なのだろうか。僕は彼の足元にも及ばないことばかりだというのに、この感覚は一体何だろう。これこそ彼が永遠の若者、天才である理由なのか、あるいは、へりくだる天分を持っていたのか、いずれにしても天才を感じる。

16:30頃 シュテファン寺院
 入場無料。とくに感動することなく、淡々と見学した。見学を終えてから、否、見学をはじめた途中から、私は何年か前にこの寺院を訪問していたことを思い出した。ウィーンに来ていたことを忘れるなんて、本当に自分らしい。当時の私は夜遅くこのシュテファン寺院の横を歩き、おどろおどろしい雰囲気を感じた。その異様な感覚だけを覚えていた。ヨーロッパには同じような教会がたくさんあるから、記憶が錯綜するけれど、巨大な

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上:シュテファン寺院
右:シュテファン寺院


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上、左3枚:寺院の内部。天上の大部分が修理中だった。外装も修理中だったけれど、修理していない時期はない、ということがシュテファン寺院の特徴のかも知れない。

17:00 宿に帰る
 とても疲れたので宿に帰り、シャワーを浴び、衣類を洗って一寝入り。もう身体が動かない。こんなことなら、空港からここへ来るときも国鉄にすれば良かったが、それは後の祭り。3.5ユーロは国鉄への寄付、別会社の男に手渡した10ユーロは、オーストリア人と私の良心を試したに過ぎない。

18:20 起床
 ウィーン市内を散歩する。何気なく入った教会のちょっとして部分のつくりに感動したり、街自体の装飾、躍動感に感動する。僕は以前にもウィーンに来たことがあって、その時に感じた『狂気の熱』をまざまざと思い出した。その場所はグラーベン通り(写真下)。室内ではなく、通りを行き交う国際色豊かな観光客と同じように国籍不明の大道芸人達、そして、そこで商売する人々によるものだ。快楽を求める者と金銭を求める者の欲望の交錯。それが狂おしいまでのエネルギーを発生させる。


上:ウィーンの目抜き通り(グラーベン大通り)は工事中だった。でも、歩き始めると面白い。

 今回は、小学生ほどのアコーディオンを抱きかかえた男の子が陽気に歌い、弟と思われる子どもが空き缶をテンポ良く叩く様子に見とれた。それは音楽ではなく、通りすがりの観光客から金品をもらうための策、狡猾さだったが、幼い頃のモーツアルトに重ねることもできる。楽しく陽気な音楽は、金銭と引き換えが目的だ。道行く人々は少年とアコーディオンを楽しみ、金を出した。私は少年達の狡猾さが鼻について何も与えなかったが、彼等の凄まじいエネルギーと尋常ならぬ欲望と行動力に感動した。このような幼いグループは、少なくとも2組あった。他人から金をもらえるレベルに達していない少年は、他にもたくさんいたと思うが、私の目にとまらなかっただけだろう。狡猾さが足りないという訳だ。金品を得るという単純明解な目的、数字によって到達度を比較できるもの得る目的のために音楽を使う。幼い頃のモーツアルトは、彼らと同じようにして生計を立て、名を成していったのだろう。


上:彼らの演奏技術は高く、音楽的解釈も立派だった。少年達と違うのは、音楽を金銭を引き換えることを第1の目的としていないことだ。

右:ウィーン市内中心に位置するグラーベン通り。ウィーンに宿をとるなら、是非この通りを歩いて下さい。前述したような中世ヨーロッパの活気を感じることができるでしょう。そして、あなたが気に入った演奏家がいたら、小銭をどうぞ! プロの音楽家やその卵達はそのようにして生計を立て、成長しています。

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王 宮


上:大宮前の広場
右:上の写真の正面の門の両脇にある徴彫刻のうちの1つ、だと思う


上:王宮にはウィーンの国旗が、、、
補足:王宮内部は一切見学していないので何とも言えないが、ここより先に『シェーンブルン宮殿(翌日見学)』を見るべきだろう。

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上:翌日写した王宮


上:王宮前にあるミヒャエル教会、あるいは、その近くにあるペーター教会の内部

22:01 鉄道『南駅』でリュブリャーナ(スロベニアの首都)までのチケット購入
 64.4ユーロ。想像していたよりも高額なのでビックリした。この調子で移動したら、かなり予算オーバーになる。有効期限は8月13日から10月12日までの2等列車。ドイツ語表記なので、それ以外はよく分からない。

上の2枚:地下鉄で帰る。ウィーンは地下鉄があるから便利。路線が明確なので迷わない。

22:30頃 夕 食

上:本日の夕食はマック。何とも情けない話であるが、中途半端に遅くなり過ぎた。食にこだわらぬ一人旅の悲しさを感じるよ。

続きをどうぞ!

私の日記 2日目

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